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猫のニャン

 その猫を飼ったのは偶然だった。

 千里ちさとが上京してはじめて買い物に出かけたときのことである。買い物帰りの家路についたのだが、右も左もわからない方向音痴の田舎者である。完全に自分の位置を見失ってしまった。

「そう。こういう時こそ、GPS機能よね」千里は携帯電話で電子地図を調べ始めた。

 歩き始めると、左足になにやら違和感がある。ふと見下ろしてみると、一匹の白い小猫がしがみついているではないか。

「あらやだ。あなたどこの子?」

「ニャン」というだけで、猫は決してちさとの足を離そうとしない。接着剤で貼りついているかのようだ。仕方がないからそのまま猫を家に連れて帰って一緒に住むことになった。

 名前は「ニャン」と名づけた。安直なネーミングである。

 千里は頻繁に金縛りに合う体質のようだ。ニャンから見れば、千里が憑依ひょうい体質であることは一目瞭然だった。それから毎晩、猫は千里の悪夢と闘うことになった。


 その晩、千里の枕元に蓬髪ほうはつに鉢巻きを締め、鉢巻きに二本の百目蝋燭ひゃくめろうそくを突き立てた白装束の女が立った。女の耳まで裂けた真っ赤な口から伸びた鋭いきばは、今まさに千里の首筋に噛みつかんとしていた。

 ニャンは女の顔面に飛びかかり、その鋭い爪で顔面をおもいきり引っ掻いた。

「ぎゃあああああ!」と断末魔の叫びを上げながら女は壁の中に消えていった。

 またある時にはタヌキのような全身毛むくじゃらの妖怪が現われた。妖怪はマンモスのような巨大で重量感のある脚を千里の腹部にめがけて踏み下ろそうとしていた。もちろんニャンだって黙ってはいない。背中の毛を逆立てて、妖怪の肩といい、肘といい、股間といい、ありとあらゆる急所を尖った爪と鋭い歯で噛みついたのだった。タヌキのような妖怪は、オイオイと泣きながら天井へと消えていくのだった。

 ニャンの魑魅魍魎ちみもうりょうとの死闘は延々と続くのだった。


 千里が朝陽の中で目を覚ますと、いつも隣で寝ている猫が日増しにボロ切れのようになっていくのに気がついた。

「あなた、どうしたの。だいじょうぶ?」と、千里は暢気に声をかけるのであった。


※※※※※※


 月日が流れ、千里はある男性と恋におちた。ニャンはその男性を一目見て、安堵した。男は一見軟弱な現代風の若者に見えたが、その裏にとてつもない法力ほうりきを隠し持っていることが見て取れたのだ。

「これで安心にゃ。これからはあんたが千里を守る番にゃ」

 二人が結婚すると、ニャンは姿を消した。

「さよならにゃ。さよならにゃ」

 猫はだれも知らない黄泉よみの世界へと旅立って行ったのだった。

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