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第26話

「あら?今日は宿屋なの?」


何故かその日の夜、私は宿屋に案内された。


「このままなら、あと二日程で森に着く。ここから先は宿屋などない山道だ。……湯浴みぐらいしたいだろ?」


ラルゴは私を部屋の扉の前まで案内すると、直ぐ様背を向け去って行った。


「湯浴み……」

私は思わず自分の右腕を鼻先に持っていく。

もしや臭かった?咄嗟にそう思って自分の匂いを嗅いだ。


約一週間ぶりの湯浴みはとても気持ちよかった。言葉に出来ない程。


「あーさっぱりした!!」

しかし、此処には私の身支度をしてくれるアメリはいない。私は自分のシルバーブロンドの長い髪を摘む。切ってしまいたい衝動を何とか抑え、緩く三つ編みを編むと、横に垂らした。

これぐらいなら自分で出来る。アメリが褒めてくれた髪を切るのは、やはり心が痛かった。


家族の事を思い出す。……いや元家族か。

とっくの昔に、私なんて除籍されている事だろう。いや、それで良い。それが良い。


養父は穏やかな人だった。

侯爵という上級貴族でありながら、野心家ではなく、ただただ領地経営に尽力していた。領地を豊かで領民たちの暮らしやすい土地にする事に全力だった。

養母は優しく明るい人だった。

子がない事を気に病んだ事もあっただろうに、それを微塵も感じさせず、私の様な孤児を本当の娘の様に大切にしてくれた。

令嬢としての振る舞いに悩んでいる私に

『大袈裟に考えなくて良いの。まず第一に、相手を不快にさせない立ち振舞を心掛けて』

彼女は私に根気よく、たくさんの事を教えてくれた。刺繍も彼女に習った。孤児院では繕いものをさせられていたが、刺繍なんて洒落た物とは無縁だった。

さっき着替えを探してアメリの用意してくれた鞄を開けて、刺繍セットが入っている事に少し笑った。

アメリがきっと、すぐに退屈だ、退屈だと言う私の為に入れてくれたのだろう。

義弟のロイは親戚筋の伯爵家の三男だった。

彼を選んだ理由について養父に尋ねると『ん?賢い子だよ。一を聞いて十を知る子だ。それに……実は優しいんだ』と笑っていた。

孤児院で小さな子の面倒をみていた私としては、単純に弟が出来た事は嬉しかった。まぁ、その時既にロイは十三歳。小さな子どもではなかったが。

ただ……ロイは私に絡まれるのを疎ましく思っていた様に思う。ロイは寡黙で大人しく、いつも本を読んでいた。そんなロイに私はよくちょっかいをかけていた。

ある日、木登りに誘った私を信じられないものを見るような目で見つめていたロイの顔を思い出す。

しかし、私に無理矢理登らされた木の上で、彼は息を上がらせながらも『綺麗だね』と沈む夕日にオレンジ色に顔を染められながら呟いた。


膝の上に乗せた手の甲に、ポトリ、ポトリと涙が落ちる。

私は王都を離れて初めて、声を上げて泣いた。




「さぁ、行きましょう」

翌朝、御者の彼が私に近寄って、そう言うと頭を下げた。


「昨日は助けていただいてありがとうございました。今までの貴女への私の態度は褒められたものではありませんでした。申し訳ない」


「別に良いのよ。魔女なんて呼ばれて追放される女に気を使うなんておかしいもの。貴方達の感覚が当然よ」


「それに……馬たちも癒してくれていたのですね。ラルゴに聞きました」

そう言われて、私は少し離れたラルゴをチラリと見る。彼は少しだけ照れた様に顔を背けた。


相変わらず馬車の乗り心地は最悪だが、私の心は軽かった。いや追放される身としては、この感情はおかしいのだろうが、ほんの少し優しくされただけで、こんな気持ちになる私はきっと単純なのだろう。


それから一山超えるまでに、何度も魔物に遭遇した。私とラルゴは協力して魔物を倒していく。

いつの間にか、私達の息はピッタリと合っていた。


「ハァ……魔物多いな」


「ハァ、ハァ。確かにね。でも、もう魔王の封印には討伐隊が向かっている筈だから、じきに皆も魔物に怯えずに暮らせる様になるわ」

大司教の話でも、聖女が相棒になる王子を指名すれば、直ぐにでも出発する様な事を言っていた。


魔王が封印されている山までどれだけの日数がかかるのか分からないけれど、そろそろ辿り着いていてもおかしくない頃だろう。


「だな。……でも、悔しくないのか」

ラルゴが言いにくそうに、私に尋ねた。


「悔しい?何が?」


「だって……聖女に選ばれたのは……最初は貴女だったんだろう?」

彼はあの広間に居なかった。近衛騎士団に在籍はしているのだろうが、そこまで上位の騎士ではない事が伺えた。しかし忠義には厚い男だと思える。

私のあの時の騒動は誰かから聞き齧った程度なのだろう。


「最終的に選ばれた人が聖女よ。私はなり損ないの上に魔女だって言われてるもの。でも……誰でも良いのよ。この国の民が安心で安全に暮らせる様になるなら。誰でも」

私の素直な気持ちだった。


「貴女は……魔女なのか?」


「違う……って言いたいけど、魔女ってものが何なのか、私にも分かっていないから。でもこれだけは言える。私は私の力を誰かを不幸にする為には使わないわ。私はこれを聖なる力だと信じてる。魔の力ではないって……信じてるの」


「俺も詳しい事は知らないが……魔女ってのは魔王の手下か何かだろ?なら何故魔物を倒せるんだ?同じ力なら、それはおかしいだろ?」


「手下ね。魔女と魔王の関係値は分からないけれど、手下が魔物と戦うってのもおかしな話ね」


「だろ?……だから俺も信じるよ。貴女が魔女ではないって事を」


「……ありがとう」

私達はその後も力を合わせて、魔物を倒しながら森へと進んだ。


森へと近づく度に、ラルゴが苦しそうに言う。


『俺は何のために貴女を森へ連れて行っているのだ』と。


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