「腰が痛くなってきたわ」
王都から離れるにつれて、馬車はガタガタと音を立て始めた。
田舎になるに従って、悪路が続く。
誰かに聞かせるつもりのない愚痴が馬車の車輪の音に掻き消された。
王宮仕様の馬車ではない、粗末な馬車である事も相まって、お尻も腰も痛くなってきてしまった。
「まぁ……追放される身には十分よね」
湯浴みすら出来ずに王宮から……いや王都から追放されて早五日。
「自分が臭う気がするわ……」
この長い髪も切ってしまいたい。しかし、涙を堪えながら私の髪を梳いてくれたアメリを思うとそんな事、出来やしなかった。
御者も護衛も必要以上には私と言葉を交わさない。こちらの苦痛を伝える術もなかった。
しかし、そんなある日。『ガタン!!』と大きな音を立てて馬車が急停止した。
思わず私は座面から転がり落ちそうになる。
私は何かあったのかと窓から外を見ようと思ったその時、
「クソッ」
と言う護衛の大きな声が聞こえた。
私は慌てて窓を開け身を乗り出し、前方を見た。
そこには馬車の前の道を塞ぐ様に、魔物が立っていた。その背丈は優に二メートル半を越えている様だ。筋骨隆々の身体に鋭い爪にギョロギョロと大きな目。
その魔物は低く唸りながらこちらを睨んでいた。
正直、試験の森でも見たことない大きさだ。
その瞬間、魔物が明らかにこちらを狙って走り出そうとした。
護衛は剣を構えているがその剣は震えている。
私は勢い良く馬車を飛び出した。
「どいて!!」
私が叫ぶのと同時に魔物がこちらに向かって来た。
私は有無を言わさず、護衛を突き飛ばすと、魔物に向かって弓を射るポーズを取る。
いつもの様に白く光る弓矢が現れ、私は魔物に向かって光の矢を射った。
「大きすぎるわ……!」
私の矢は魔物の脇腹の辺りに刺さったのだが、筋骨隆々の身体には然程ダメージを与えていないようだ。しかし、魔物の歩みを止める事には成功した。
「こ、ここは俺が……!」
護衛は震える声を必死に隠しながら剣を構え直した。
「ダメよ!近づく事は危なすぎる!」
そうしている内に陽が水平線に沈んでいく。辺りは益々暗くなっていった。
「逃げましょう!!」
御者が馬車を降り、魔物に怯える馬の手綱を掴んだ。
ここで逃げても、あの魔物が追ってくれば、直ぐに追いつかれる事は明白だ。
日が沈んだお陰で、私の力が体に漲ってくるのを感じている。……ここで勝負するしかない。
「貴方達は下がって。馬車と共に」
「あ、貴女はどうするんだ?!」
護衛はまだ剣を構えたまま、視線も魔物に合わせたまま、私に尋ねる。
そこには困惑が色濃く滲んでいた。
「いいから!ここは私に任せて!」
背後では馬車の遠ざかる音がガラガラと聞こえる。御者は私の提案にすぐさま乗っかることにしたようだ。
「俺は……残る」
護衛は私の横を動くつもりはないらしい。
……彼は私を森に連れて行くという任務を律儀に遂行する事に拘っているようだ。
「分かった。でも……私もこんな事は初めてだから……」
そう呟きながら私は目を閉じた。
意識を集中させる。身体中に散らばる聖なる力を全て両手に集める様なイメージだ。
両手が熱い。私は目をカッと開いて、魔物を見据え、少し後ずさる。
さっきは魔物が大きすぎて、頭も心臓も狙えなかった。私は大きく息を吐いて、また白い弓矢を構える。
「……いけ……!!」
私は魔物ではなく、魔物の頭上の空を目掛けて弓を射った。
私の放った矢は何本にも別れ、雨の様に魔物へと降り注いだ。
「ギャーーーー!!!」
魔物は身体中に矢を受ける。
断末魔を上げた魔物はまるで大きな銅像の様に固まったかと思えば、次の瞬間、黒い霧となって消えていった。
魔物が消えた空間を私と共に見つめる護衛。
「……凄い……」
彼はそうポツリと呟いた。
「最後まで残ってくれてありがとう。……もしかしたら今までも魔物が?」
良く考えればわかることだった。此処まで一匹も魔物に出会わずにやって来られた訳がない。
「今までの奴は、大した事なかった」
「ありがとう。ずっと守ってくれていたのね」
私が素直に礼を言うと、護衛は少しだけ驚いた様に目を開いた。しかし、直にいつもの仏頂面に戻ると、
「別に守っていた訳じゃない。森に送り届けるのが使命だからだ」
「『魔女』なんて、どこで野垂死んでも良かったでしょうに」
「陛下の命令だ。俺はそれを守るだけだ」
中々任務に忠実な者だと私は妙に感心した。
私に付けられた護衛は彼ただ一人。私は急に彼を可哀想に思った。彼も陛下にとっては捨て駒という訳なのだろうか?
「私、御者の隣に座るわ」
「は?何故だ?」
「魔物が出た時、その方がすぐに気づくもの」
「どういう事だ?」
「魔物退治は私がするわ。何なら今までも言えば良かったのに。私、結構使えるわよ?最終試験であり得ないぐらいに魔物を倒したらしいから」
私はわざと戯ける様に言った。でなければ、少し泣いてしまいそうだったからだ。
護衛の彼が素っ気ないくせに、体を張って私を守ってくれていた事が、地味に心に染みてしまった。
心が弱っている人間とは、こんなにも優しさに敏感になってしまうものなのか。
「だが、俺の仕事は貴女を森へ届ける事だ。それが護衛の仕事だ」
「……追放される私なんて……魔女なんてどうなってもどうでも良いでしょう?」
「……それとこれとは、話が別だ。さっさと馬車に乗れ」
護衛はそれだけ言うと、道の脇に避けていた自分の馬に向かって歩いて行く。
「賢い馬ね。ちゃんとつかず離れず貴方を待ってた」
「………夜。こっそり馬を撫でてたろ?あれは……聖なる力か?薄っすらと手が光って見えた」
彼が寝入っていると思っていた。
……護衛は一人しかいない。きっと有事の為に眠りが浅いのだろう。
彼はこの旅路の間、本当はきちんと寝ることすら出来ていないのかもしれないと、私はその時初めて気付いた。
「勝手にごめんなさい。馬を癒していたの。癒しの力は誇れる程ではないけれど、馬たちの疲れが少しでもましになればと思って」
「……どうりで。こいつがずっと元気な理由だ」
護衛は馬の首をそっと撫でた。そして、ぶっきらぼうに、
「ありがとう」
と背を向けたまま、礼を言った。
「ねぇ……貴方、名前は?」
「……ラルゴだ」
私はこの護衛の名前を初めて知った。