〈Side ロナルド〉
俺は夜寝台に寝転んで天井を見ていた。
二、三日内に出発……ねぇ。
王族は魔王が封印されている場所を知っている。
この王宮からなら……辿り着くのに多分一週間以上はかかるだろう。
その間に魔物は増え、人々や家畜が襲われる。俺はそれが我慢できなかった。
兄さんも本当は解っている筈だ。直ぐ様魔王封印に向かうべきだと。
「だから兄さんは優しすぎるって言うんだよ……」
俺は一人呟いた。
聖女の機嫌取りに尽力している兄さんが王太子に相応しいと俺には思えなかった。
「……よし!!」
決心した俺は勢い良く起き上がると、急いで寝台を降りた。
クローゼットを引っ掻き回し、旅の準備をする。
夜に馬を走らせるのは危険だが、もう一分も待っていられない様な気分に急かされて、俺は荷物と共に部屋を出た。
自分の馬に跨って、俺は一人王宮を出る。門番には適当な嘘をついた。
月が大きく見える。お陰で王都の中は難なく馬で走り切る事が出来た。
王都に魔物が出ない理由……それは聖女が居るからだと言われている。王太后が亡くなっても、アナベルがいる限りは王都は大丈夫かもしれない。
しかし他の領地は?
最近は魔物の被害が多い領地を持つ貴族からも不満の声が上がってる事が俺の耳にも届いていた。
アナベルについては本当に魔王を封印に行く気があるのかさえ疑わしい。
「さて……もう少し頑張ってくれよ」
俺は馬の首を撫でて、次の街まで走らせる。
今日はそこで宿屋を探そう。俺の目指す場所は一つ。
―『魔女の森』だ―
「どけ、どけ、どけ!!」
俺は剣を構え、畑を耕していた老人と熊の様な魔物の間に飛び込むように割って入った。
「ヒッ!ひぇ〜〜〜」
老人は鍬を取り落とし、腰を抜かす。
俺は魔物を見据えたまま、
「逃げろ!早く!」
と背後に居る老人に叫んだ。
老人はアワアワ言いながら、這うように俺と魔物から何とか離れて行く。俺はその気配を感じながらも、魔物と睨み合っていた。目を離せば襲われる。
剣の柄を握り直す。その瞬間、魔物が雄叫びを上げながら大きな手を俺に向かって振り下ろした。
『ズシャッ!』
俺はその手先を剣で切り落とす。魔物はギャー!!!と叫び声こそ上げるが、俺への殺意を剥き出しに逆の手をまた振りかぶった。
胸元がガラ空きだ。俺はその一瞬を見逃さず、大きく剣をその胸に振り下ろす。
肉を切り裂く感触が剣の柄を通して伝わる。胸を大きく切り裂かれた魔物は断末魔を上げながら絶命した。
その大きな体がゆっくりと俺の方へと倒れ込んでくる。
俺はその体の下敷きにならないように、後へヒラリと身を躱した。
魔物はドシン!と大きな音を立て、畑に砂ぼこりを巻き上げながら倒れ込んだ。
「ハァ、ハァ」
これで何匹目だろう。王都を離れれば離れる程、魔物に出会う頻度は増え、人々に会う頻度は減った。
こう魔物が多くなっては、人々も外を迂闊に出歩けなくなったのだろう。
俺は剣を収めると、後を振り返った。少し離れた所で座り込んだまま、老人は青い顔をして震えながらこちらを見ていた。
俺は彼に近づいて手を伸ばす。
「大丈夫か?」
老人が俺の手を取ると、俺は引き上げる様に彼が立ち上がるのを手伝った。
「あ、ありがとうございます。何とか……」
そう言いながら、畑に倒れ込んだ魔物の死骸を俺の肩越しにチラリと見た。
「小さな魔物は何匹か見たことはありましたが、あんな大きなもの……初めて見ました」
老人の顔色はまだ悪かったが、震えは治まっている様だ。
「魔物は何度も?」
「畑の作物を狙って。しかし此処には家畜もいないし、小動物みたいな魔物だけだったんで何とかやり過ごす事が出来ていましたが……これじゃあ、もうおちおち農作業も出来やしない。聖女は何をやってるんだ!」
老人の恐怖が怒りに変わり、その怒りは聖女に向けられていた。
新しい聖女に代替わりした事は国民に広く知らしめられている。聖女に不満を持つ者は何もこの老人だけではないだろう。
「……確かにな」
俺は兄さんみたいに、表立った公務をする機会が少なかったからか、あまり国民に顔を知られていなかった。この老人も愚痴を吐いている人物が王族だとは思っていないようだ。
「いやしかし旅の人。本当にありがとうございました。あなたは命の恩人だ」
「大袈裟だよ。だが間に合って良かった」
「しかしこんな物騒な時に何で旅なんか?」
「……どうしても行かなきゃならない場所があるんだ」
「そうですか……しかしもう少しで日没ですよ?魔物が更に多くなります。今日はうちに泊まっていきませんか?この先は当分宿屋もありませんし」
正直少しでも前に進みたい気持ちはある。しかし、こう魔物が多くなっては野宿も危ないという気になってきた。
「そうだな……じゃあ甘えるか」
「どうぞ、どうぞ。あまり立派な家じゃありませんけど、体を休める事ぐらいは出来ます。馬も外では危ない。家の裏に小屋がありますので、そこに」
「すまないな。じゃあ今晩は世話になるよ」
こうして俺は野宿を免れる事が出来た。
「主人を助けて頂きましてありがとうございました」
俺が助けた老人の奥さんがシワのある手で俺の手を包み込む。その手はとても温かかった。
「いやいや。偶然通りかかって良かった。今日は世話になる」
「大したおもてなしも出来ませんけど、温かい食べ物と寝床ぐらいはご用意出来ますよ」
老女はにこやかにそう言って俺の手を離した。
「王都ならば安全だからとこの地を離れる者も多くなってきました」
ボブと名乗った老人はそう言った。
俺はお茶の入ったカップをテーブルにコトンと置いた。
夕食後、俺達は向かい合って話していた。
「そうか。空き家が多かったのはそのせいか」
「本当にここ数日魔物が急に増えてしまいまして。いや数カ月前から魔物は居ましたよ?でもこんなに増えるとは……」
「元の聖女の力が落ちているからな」
「でも新しい聖女様が決まったんですよね?ならどうして……っ?!」
それに対する答えを俺は持っている。だがそれをここで言う事は出来ない。
俺が黙っていると、ボブは申し訳なさそうに、
「あ……あぁ、すみません。貴方に訊いても仕方ない事は重々承知なんです。だけど、この気持ちを何処に持っていけば良いのか……」
そう俺に謝罪した。俺は項垂れるボブの肩に手を置く。
「いつかきっと……いや、近い内に絶対に魔王は封印される。それがたとえ……聖女じゃなくても」
「は?え?聖女じゃない……?」
「いや、こっちの話だ。やはり今日、ここに泊まるのはよそう。俺は先を急がねばならんのでな」
「外は危険です!」
「確かにな。だが、俺も一応剣の腕には自信がある。夕飯、美味かったよ。ありがとう」
俺は改めて礼を言うと、心配そうな二人に別れを告げた。
急がなきゃならない。
―俺とクラリスの二人で魔王を封印する為に。
「ったく!何匹居るんだよ!!」
俺の前にはまた三匹の魔物がノソノソと現れた。
俺の足元には既に二匹の魔物が転がっていた。
俺は剣を構えると、魔物に向かって走る。
その三匹の間を縫うように走り抜ける間に、三匹を斬って捨てた。
あまり大きな個体ではないとはいえ、こうも多くなると、流石に疲れる。
俺は自分に付いた魔物の血を、ゴシゴシと拭った。臭い……。
あの老夫婦の家で、湯でも借りれば良かったか……と後悔したが、もう随分と離れた場所まで来ていた。もう少し先まで行く事が出来れば、少し大きな街に出るはずだ。
「疲れたろう?ごめんな」
俺は愛馬の鼻先を撫でる。ブルブルと顔を振りながらも、俺の相棒は、俺にすり寄って来た。
こいつも体力はある馬だが、流石に疲れている様だ。野宿も考えたが、俺は地面に転がる五つの魔物の死骸を眺める。
やはり……野宿は危険か。俺はもう一度相棒に謝ると、ヒラリとその背に飛び乗った。