「ディグレ、あなたってお魚を食べるのね」
ディグレは他の動物に牙を向けることなく、大人しく私と同じ様に魚をむしゃむしゃと食べていた。
ディグレの優しさが他の動物達にも伝わっているのだろう。ディグレは怖がられる事なく、そこに馴染んでいた。
私は机の上に置いた日記の表紙をそっと撫でる。あの後も真実を知るのを怖いと思いながらも、この日記に託したサラの気持ちを理解したくて先を読んだ。
ーサラは聖女試験の最中、双子の妹に陥れられたようだ。二人の力は初代聖女にも匹敵する程の力があったのだが、ローラは二人で協力する事より、姉を排除する事を選んだのだろう。
自分の立場をより強固なものにするために。そして自分よりも力の強いサラの存在を消してしまうために。
ランドルフはサラの実家で雇われていた護衛だったこと、そしてサラには内緒で勝手にこの森に付いてきてしまった事が日記を読んで分かった。
『◯月✕日
今日も良く晴れている。この森全体に結界を張り直した。私が許可した者以外、ここに誰も出入り出来ないように。
これなら動物達も、魔物にも人間にも怯える事なく暮らせるだろう。
ローラは本当なら私の力を封印してしまいたかったのだろうが、私の方が力は上。彼女に私を封印する術はなかった。
魔女なのだから、魔王が封印されれば直に力も無くなるでしょう……大司教の言葉だ。ローラはそれを飲むしかなかった。
魔王を封印した後、私を消しに来かねないローラから身を守る為にも、この結界は必要だった。
ランドルフには悪いことをしてしまったと思う。彼は本当にとばっちりだ。
でも彼は、もう貴方は私の許可なくこの森から出られないのよ?と私が言うと、何故か嬉しそうに微笑んでいた。……彼と二人。いや、此処にいる動物達と共に生きよう。……寿命が尽きるまで』
サラはこの運命を受け入れていた様だった。
サラと私。何となく似通った所があり、他人事とは思えない。
それと同時に私の心に、この日記を読んだ時から湧き上がる感情があった。それは……私は誰かに陥れられたのではないか?という事だ。
まぁ……思い当たる人物は数少ない。アナベル様か、アナベル様の父親である宰相か……だ。
まさか、ウィリアム王子が私の事が嫌いで聖女にしたくなかった……なんて事が事実なら、それはそれで悲しくて仕方ない。
……ウィリアム王子。きっと多分私の初恋。
考え方を変えれば、アナベル様とウィリアム様の結婚式を見なくて済んだ事に感謝しよう。
此処にいれば王宮で何が行われていても、王都で何が催されようと、私には知った事ではない。それはそれで心穏やかに暮らせそうだ。
日記はあと二分の一程になった。彼女はあまり筆まめではないようで、毎日の記録という訳ではなかったが、動物の子が産まれた時や、ごくまれにランドルフと喧嘩した時……そしてローラへのやるせない気持ちが書かれていた。
双子として生まれ、こうまでも疎まれていたのか……と。
どうも彼女を魔女だと決定付けたのは、サラの作る薬にあったようだ。
彼女の力は癒しと守りに特化しており、彼女はその癒しの力を私と同じ様に物理的な物に変える事が出来た。それがサラの作る薬だったのだ。
彼女は薬草に自分の癒しの力を混ぜた。効き目は抜群。それが良くなかった。彼女を勝手に聖女だと崇める者まで出てきてしまった。
ローラはそれを『人を惑わせる薬を与えている』と彼女を告発した。
聖女試験の真っ只中。彼女には味方になってくれる者が居なかったのだ。
彼女は日記の中でこう振り返っていた。
『私の侍女でさえ、私を怖がった。薬を分け与えた事もあったのに……彼女も体の調子が良いと言っていたのに……侍女はローラの言う事を信じた様だった』
と。
「さて、続きは明日にしましょうね」
私はディグレの頭を撫でた。
ディグレは私の寝台の下で眠る。ディグレは私の言葉に、私よりも先にいそいそと寝室へと向かって行った。
気付けばこの森に来て五日が経とうとしていた。王都を出てから既に二週間弱という事だ。
日記を全て読んでしまった私は森の奥の湖に来ていた。
小屋の周りで摘んだ花をその湖に手向ける。
「サラ……寂しかったでしょう?」
私は湖に向かって手を合わせ祈りを捧げた。
この湖に彼女の体は眠っているはずだ、日記の通りであれば。
サラとランドルフとの平和な生活に変化が訪れたのは、この森で二人が暮らし始めて二年が経った頃だった。
日記もこの森に来た当初はローラやこの国についての記載が多かったが、その頃はもうすっかりこの森での暮らしについての日々の感想だけだった。だけどその日は急に訪れた。
『◯月✕日
私のお腹に新しい命が宿った。私と愛しのランドルフの子。私が守るべきものがもう一つ増えたのだと私は確信した』