暫くすると、ロナルド様がディグレと共に戻って来た。
私は二人が離れている間に、この場所に薄っすらと結界を張った。この結界はこの場に魔物が立ち入らなくさせる程度の物で、弾け飛ばし消し去る程の力はない。
既に日が落ちたのだろう。私の聖なる力が漲り始めているのを感じていた。この結界を張る事ぐらいは朝飯前だ。
「おかえりなさい」
「少し先に水が湧き出ている場所があった。手持ちの水筒の全てに汲んで来たから、安心して飲んで良いぞ」
笑顔でロナルド様は私に水筒を手渡した。
「ディグレ、あなたが見つけてくれたの?」
私の問いかけにディグレは私の頬に自分の頭を擦り付けた。まるで褒めてと言っている様だ。
私がその綺麗な白い毛並みを撫でると、ディグレはグルグルと嬉しそうに喉を鳴らした。
「流石動物だ。本能的に生きる術を見つける事に長けている」
ロナルド様もディグレを優しく撫でる。すっかり彼もディグレに慣れた様だ。
私は膝の傷口を洗い、乾いた布でそこを保護するように覆った。
その様子を見ながら、ロナルド様がポツリと零す。
「自分の怪我を治せないってのは、厄介だな」
「そうですね。でも……それぐらいのハンデがないと聖女なのか……怪物なのか分からなくなってしまいそうです」
「怪物?」
「魔女と聖女が紙一重であるように。いえ……魔女なんて者はこの世に存在しません。しかし人は人智を超えた力に魅了され……そして恐れを抱きます。その力をどの様に使うかで、私達の様な者は呼び方を変える。しかし、それは周りが名付けたもの。私やサラの本質は変わりません。魅了された者は聖女、恐れを抱かれた者は魔女……と。聖なる力が自分をも癒すことが出来る様になれば、聖女は永遠の命さえ手に入れてしまうかもしれません。人はその様な者を人間と認めるでしょうか?」
「……それに恐れを抱く様になるだろうな」
「人は同じを好むもの。異質な者は排除される傾向にあります。魔王や魔物の住まう我が国では、聖女は大切に扱われますが、他の国ではどうでしょう」
「まぁ……恐れを抱かれているから我が国を侵略しようとする国もないのだろうな」
「他の国には私達と同じ様な者は存在しないと聞きます。得体の知れない化け物だと思われているのかも」
「確かにな。魔王と渡り合える力を持つ者がいる国など、恐ろしくて手は出せない……か」
「聖女は……その命が人々と同じ様に尽きるからこそ崇められているのかもしれません」
「そんな事はないだろう。魔王の封印に聖なる力は必要不可欠だ。きっと皆も感謝している」
「そうであって欲しいと……そう思います」
パチパチと焚き火の爆ぜる音だけが響く。魔物に取り囲まれているかもしれないが、今は静寂が訪れていた。
少しの間沈黙が二人の間に落ちる。
それを破ったのは、ロナルド様だった。
「後悔してるのか?その……力を持った事を」
私は言葉を選びながら答えた。
「……いえ。この力が発現した時『この暮らしが少しは楽になるかも』と思いました。周りの大人は驚き喜んでいるし、きっと素晴らしい力なのだと。孤児院で同じ歳ぐらいの女の子にはやっかまれました。
でも……実際は自分が今後どうなるのかなんて、その時は深く考えていませんでした。時間が経つにつれ、この力が人々の役に立つのかもしれないと思うとワクワクして……。孤児院では私はクラリスと言う名のその他大勢です。そんな私でも人の役に立てるのだと、そう考えると嬉しくなったのを覚えています」
「誰がお前にそんな気持ちを植え付けたのかな?」
ロナルド様は苦しそうにそう言った。
「そんな気持ち?」
「『自分は役立たずだ』と、お前はその時思っていたんだろ?」
ー図星だ。
孤児院では色々な仕事を頼まれる割に、誰も彼もが私を責めた。
『小さな子が泣いてるじゃない、クラリスあなたが面倒をみる約束でしょう?』
『クラリス、洗濯物が皺になってるじゃない。ちゃんと伸ばしてから干すようにとあれほど言ったのに』
『どうしてあなたはそんなに生意気なの?皆の和を乱すような事はしないでちょうだい』
大人達は限られた資金の中で孤児院を運営する事が苦しかったのだろう。
私は八歳になる前から、洗濯、掃除、赤ん坊の世話を任された。少しでも上手く出来ないと『だからあなたはダメなのだ』と責められた。少し大きくなって口答えをすれば生意気だと咎められる。そんな生活が当たり前だった。
そんな私に聖なる力が宿っていると知った時、私はもうダメな人間なのではないと……そう思えたのも確かだった。
「聖女になりたかった訳ではないんです。それでも……誰かに必要な人間なのだと認められた事は嬉しかったのです。張り切ってこの力を人々の為に使おうと望んだ聖女試験でしたが、結果はご覧の通り。でも今はあの森を守る事が私に任された使命なのだと感じています。だから後悔はしていません」
私が微笑むとロナルド様は言った。
「今は俺がお前を必要としている。お前は役立たずな人間じゃない」
その言葉を嬉しく思う反面、心のどこかに『王太子になる為にね』と寂しく思う気持ちがあるのもまた事実だった。