「もう少し登れば、頂上だ。もうじき日が暮れるな。今日はそこで休もう」
私を背負ったままのロナルド様が指差す方向に目を向けた。
「もう、歩けます。暗くなり始めたので……」
だんだんと聖なる力が漲ってくる事を感じ始めていた私はそうロナルド様に言ったのだが、彼はそれを軽く否定した。
「大人しく背負われてろ。俺の背中は意外と居心地が良いだろ?」
「でも……」
そんな私にお構い無しに、ロナルド様は歩みを止めることなく、頂上を目指し歩き始めた。
正直、王族なんて軟弱者かと思っていた。こう言っては何だが、陛下はでっぷりとしたお腹を持て余しており、到底剣など振るえそうにない体型だ。
「……意外でした」
「何が?」
ほんの少しだけ息を乱しながら、ロナルド様が尋ねる。
「王族は守られるばかりかと思っていました」
「フハッ!陛下を見てそう言ってるんだろう?」
ロナルド様の顔は見えないが、きっと苦笑いしている筈だ。
「……はい……」
「俺や兄さんの代に聖女の代替わりが行われる事はまぁ……想定範囲内だった。王太后の死を予見している様で申し訳ないが、お前が言った様に聖女だって人間だ、寿命が来る。大きな病気はもちろんないさ、聖騎士達が守っているからな。だけど人はいつか死ぬ。それはお前も俺も同じだ」
先日の私との会話を覚えてくれていたのだろう。聖女だからと永遠の命があるわけじゃないし、それで良い。サラも亡くなった……独りで。その後何百年も続く結界を張る程の力があったとしても、だ。
「そうですね」
私はロナルド様の背に揺られながら、そう答えた。
「幼い頃から、そう言われて育ってきた。『いつかお前達のどちらかに魔王を封印する使命が与えられる。その為に剣を振るい、身体を鍛えておけ』と。確かに近衛が俺達の命を守ってくれているが、自身の身ぐらい自分で守れる強さを持たねばならない……まぁ、当たり前だな。他人の命を踏みにじって自分さえ助かれば良いなんて、そんな奴はきっといつか地獄に落ちる」
「王族はその地獄さえ権力でどうにかするのかと思っていました」
「おいおい。それこそお前の言う『怪物』だな。王族だって人間なんだよ、脆くて弱い。虚勢を張っているだけだ」
ロナルド様の言葉からは、彼自身が王族という人種を嫌っている様にさえ聞こえる。
「ロナルド様は……王族として生まれた事を後悔していますか?」
私は以前に自分に尋ねられた事をロナルド様へ返してみた。
「後悔か……考えたことなかったな、生まれつき王族だったから。その事の恩恵を思う存分に受けてきた俺が言うのも何だが、窮屈に感じることもあったし、嫌なことも多かった。だが後悔しているか……と言われれば『否』だ。王族だから出来る事がある」
「この国を変えること、ですね」
「そうだ」
私は逞しい背に揺られながら、もう一つの疑問を口にする。
「ロナルド様はウィリアム様の事を……どうお考えなのですか?」
前に学園で聞いた時にはウィリアム様にはこの国変えることは出来ない……いや、そんな気持ちを持っていない……ロナルド様はウィリアム様をそんな風に考えている様に思えたが。
「兄さんを認めていないわけじゃないし、尊敬もしている。だが兄さんはあまりにも王族過ぎるんだ。貴族や王族に権力が集中している事に疑問を感じた事はないだろう。……別に今のままでも国は成り立っているし、俺達の存在も安泰だ。それで良いと言えば良いのかもしれない。だが貴族より平民の方が人数が多いんだぞ?一部だけが幸せで良いのかって俺は思うんだ」
「ウィリアム様とそれについて話した事は?」
「一応あるよ。……だが話は平行線だった。俺の考えを素晴らしいと言いながらも、今の現状を大きく変える気はないようだった。確かに俺だって貴族の機嫌を損ねる為に国を変えたいわけじゃないんだが兄さんには……ってお前の好きな男の悪口を言うのは何だが申し訳ないな」
そう言われて私は自分でもハッとした。そうだ……私ウィリアム様が好きだったんだ……。自分でも自分の気持ちを忘れていた事に驚く。
「『好き』って何なんですかね」
「は?何だ急に。哲学か?」
「いや……別にすみません……」
ウィリアム様の顔を思い出しても、あのギュッとした胸の痛みを今は感じない。子どもの頃の出来事を思い出しても、じんわりと胸が温まるだけだ。
「そんなもの頭で考えて分かる事じゃないだろう。心がその人を求めているかどうかなんじゃないか?」
背負われた私にはロナルド様の表情は見えなかったが、彼の耳はほんのりと赤く染まっていた。どうもこんな会話は苦手な様だ。
ならば……と自分に問いかける。
私の心はウィリアム様を求めているのだろうか?しかし今の私には答える事が出来なかった。