目次
ブックマーク
応援する
2
コメント
シェア
通報

黄金のビールサーバー

 男はバーのカウンターに座るとウエイターに生ビールをオーダーした。


 金色にきらめくビールサーバーから、ビールグラスに黄金色の液体が注がれる。液体がそこそこグラスに注がれると、今度はシルクのようなキメの細かい白い泡が蓋をするように被せられていく。


 男の名前は若林悟。中堅商社の中間管理職をしていた。


 歳より豊かに見える黒髪はきっちりと整えられ、彫りの深い顔はどこかギリシャ彫刻を思わせた。細身のスラックスにボタンダウンの縦縞シャツ。仕事から解放された象徴に、紺のニットタイが緩められていた。


 若林は汗をかいたグラスを手に持つと、ゆっくりと眺めはじめた。それは、黄金に輝く液体7に対してミルクのような白い泡が3、完璧な比率で注がれたビールであった。


「失礼ですが、あなたはビールがお好きで?」


 隣に座ってスコッチを傾けながら、葉巻をくゆらせていた男が話かけてきた。身なりの良い、投資家かテレビのメインキャスターのような恰幅のいい紳士だった。


「はい、そうです。やはり飲み始めのビールは何物にもかえがたい」若林はグイッとグラスを煽ると、にっこりと笑った。「ビールはこの泡が命です。この柔らかな泡と喉越しにガツーンとくる苦味。鼻から抜ける香り。究極の飲み物です。そう思いませんか?」


「同感ですな。ところで、こんなビールが自宅で毎日いくらでも飲めるとしたらあなたどう思いますか?」


「そりゃあ天国でしょう」


「大きな声では言えませんが・・・・・・」 紳士は顔を近づけてきた。「ここだけの話です。実はここのバーにも卸しているのですが、わが社で開発した新しいビールサーバーは業界の常識をくつがえす画期的な商品なんですよ」


 そういうと、紳士は名刺を差し出した。『有限会社 吉相きっそう 代表取締役 金田春男かねだはるお』と書いてある。


「へえ、高いのでしょう?」


「もちろん。少々値は張りますがね」


「それは無理です。そんな機械を購入したりしたら、肝心のタンクに入れるビールを買うお金がなくなってしまう。それじゃあ、本末転倒だ」


「そうお思いでしょう」紳士はニンマリと笑った。「でもおかげでバーは大繁盛。なぜだと思いますか?」


「さあ」


「そのサーバーは、水をビールに変えてしまうからです」


「え、水を!」


「しっ。声が大きいです」紳士は周囲を見回す。


「失礼」


「だから、飲食店も一度導入さえすれば、後は水代だけで莫大な利益が転がりこんで来るんです」


「そ、それはすごいな」


「ここでお会いしたのも何かの縁。あなたには特別にモニター価格でご提供させていただきますよ。ただし、秘密厳守でね」


 紳士は片目を瞑ってウインクしてみせた。


※※※※※※


 それからしばらくすると、自宅に吉相社から重たい荷物が届いた。黄金色こがねいろに光るビールサーバーだった。


 さっそく若林は電源を入れて、瞬間冷却タンクに水を注入した。そしてレバーを倒してみる。すると水が出た。


「あれ?おかしいな」


 レバーを何度も引き倒す・・・・・・何度も水が流れ落ちてきた。


※※※※※※


「兄貴。いいものを手にいれましたぜ」


 有限会社吉相の隠れオフィスである。吉相きっそう・・・・・・後ろから読んだらだ。


「なんだ留吉。兄貴じゃなくて、社長って言え。なにか新しいネタでも仕入れたのか」


 社長の金田はただ一人の弟兼社員の留吉とめきちに笑いかけた。留吉は少し鈍いところがあるが憎めない。


「へい社長。ネットオークションですごいものを手にいれたんすよ」


「ほう」


「なんとただの水道水がビールに変わるサーバーなんだって。すごいと思わない?」


「お前はアホか。それはおれがだまして売ったやつじゃねーか」


「へ?」


「バカ野郎。とっとと誰かに売っぱらって来い。売れるまで帰ってくるな!」


※※※※※※


 留吉は途方に暮れて、車にビールサーバーを乗せて街を彷徨さまよっていた。品のいい一軒家に明かりが点っている。


「もうどこでもいいや、ここにしよう」


 呼び鈴を鳴らすと、紳士が出て来た。


「あの、これ水道水がお酒に変わる夢のようなビールサーバーなんですが・・・・・・」


 紳士がにこやかに笑って濃厚な握手を交わし、留吉を家に招き入れてドアの鍵をかけた。


「それ、ぼくがネットオークションに出したやつなんだけど」

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?