朝目覚めると左手の薬指には大きなブルーダイヤモンドが光っていた。
「ルリ、ブルーダイヤモンドの石言葉には『幸せを願う』『絆を深める』といったものがあるんだ。君を誰より幸せにすると誓うよ」
薬指にキスをされながら言われた言葉に思わず首を傾けてしまう。
「えっと、昨日はピンクじゃなかった?」
「⋯⋯」
「ルリはいつも僕を受け入れてくれたから、拒絶されてどうして良いか分からなくなった」
石の色の問題ではないと思うが、私の行動が冷静沈着な彼を非常に動揺させていた事に驚く。
「ちなみに、ピンクダイヤモンドの石言葉は?」
「⋯⋯」
「ふふっ、私、知ってるよ。『完全無欠の愛』とか『永遠の愛』って意味があるんだよね」
彼はよく私にピンクダイヤモンドのジュエリーをプレゼントしてくれた。私は何か意味があるのかと思って、石言葉を調べていたのだ。
「ルリを散々傷つけておきながら、変わらぬ愛を語るなんて烏滸がましいよな⋯⋯」
私は元気のなくなった隼人にそっと寄り添った。彼と私は育った環境がかなり違う。学者の家で厳格に育った私と、財界で大きな力を持つ真咲グループの御曹司として育った彼。親に勘当された私と、12歳の時に両親を失い早くから真咲グループの跡取りとして期待され続けた彼。
「家族」になることに拘っていた私の価値観は、もしかしたら彼には通じていなかったのかもしれない。それに、思いの丈の不満を彼に伝える程に私が自分に自信を持っていなかったのも問題。
しかしながら、利己的な彼が最後は私の価値観に寄り添った。愛人になることへのショックで混乱していたが冷静になった今、彼が私と結婚する事で親族に批判されるのが目に見える。全ての期待に予想以上に応えてきた真咲隼人。会社の利益にもならない上に、勘当されている私と結婚なんて彼の周囲が黙っているはずがない。
隼人が起業した宝飾品事業だけでなく、真咲グループの行なっている事業は多岐に渡る。アパレル事業に航空事業、レジャー施設に介護事業まで生活を網羅するような各事業の利益を考えた上で、隼人は大手通販会社の社長令嬢との結婚を決めたのだろう。
誰にも明かせないけれど、私には隼人しかいない。私の中の何かが彼しか受け入れない。彼にも私しかいないなら嬉しい。
『永遠の愛』は絆を深めながら紡いでいけば良い。そんな夢みたいな未来を信じられた今の幸せを忘れなければ、この先また信じられないような苦しい事があっても生きていける。
私はカーテンの隙間から漏れてくる仄かな光にブルーダイヤモンドをかざしてみた。
それはまるでもう一つの世界で飛行機から見た海の色をしていた。私に自信を与えてくれる色だ。
「私、この色好きだな」
「僕たちが出会った夜の空の色に似てない?」
隼人に言われて目を閉じて記憶を手繰り寄せる。
眩いばかりのイルミネーションの明かりに照らされたあの日の隼人の背景は確かにこんな色をしていた。
「あの日、初めて僕の元にサンタが来たと思ったんだ。心から愛する女性がクリスマスの奇跡のように現れた」
「サンタ? サンタクロース?」
「僕の家は合理主義で、最初から親が枕元にサンタのふりをしてプレゼントを置いたりとかをしなかったから」
私は隼人の家が自分の家と似ていると感じた。だとしたら、彼が何を寂しいと思っていたのか私には分かる。
「私は子供とサンタにお手紙を書いたりするから、隼人はサンタをやってね」
「何、それ。凄い楽しそう」
隼人がいつになく嬉しそうな顔をする。きっと、多くの家で行われてきた家族団欒のクリスマス行事。何もかも持っていると思われている彼が私と同じ寂しさを抱えていることに胸が締め付けられた。
「ちゃんと隼人はサンタクロースの格好をしてね」
「えっ? 僕はトナカイをするから、ルリがサンタの格好をしてよ」
頬を染めながら興奮気味に言う彼は、私が以前サンタクロースのコスプレをして隼人を楽しませたのを思い出しているのだろう。
せっかく未来の家族に思いを馳せていたのに、彼はいやらしい事を考え始めている。隼人はいつも自分が世界の中心。彼の思考回路は私のように人の目ばかり気にしてしまう人間からしたら羨ましい。
「ルリサンタは、二人きりの時の限定! 私たちの子供だよ? 子供ができたら、その子たちの事を一番に考えるの!」
少しむくれた私を見て、隼人が未来に出会うかもしれない子供たちに思いを巡らし始めたのが分かった。私の知らない温かい家庭を、愛する彼と作れたらどんなに幸せだろう。私と彼の子供にはこの世界は苦しい事ばかりではなく、夢がいっぱいあると信じて欲しい。
「僕とルリの子供なんて可愛いんだろうな。女の子なら心配で外に出せないだろ」
「束縛はダメだよ。縛るのは私だけにして、私は隼人に縛られるのは別に嫌じゃないから。むしろ好き!」
「僕はもっとルリに縛って欲しいかな」
「じゃあ、今から縛る!」
私は隼人に思いっきり強く抱きついた。彼はぎゅっと抱き締め返してきて、ホッとする温もりが伝わってくる。改めて大好きな彼と家族になれると思うと胸が熱くなった。
「隼人、私の父親、学者の森本正義なの⋯⋯」
勘当されたとはいえ、結婚するからには話しておくべきだろう。父親について話してしまうと、おそらく私の身元に辿り着く。私の知られなくない過去を隼人が知るかもしれない。
「そういえば、目元が少し似てるかな。僕、何度がご挨拶をしたことがあるよ。物腰の柔らかい感じの良い方だよね」
「外面はね。父は人の失敗を決して許さない人だった。私はそうはなりたくないと思っていたのに、危うく父のようになるところだったよ」
人の話を聞ける人間になりたかった。過ちなんて誰でも犯すことを私は身を持ってよく知っているはずだ。
「ルリ⋯⋯僕が君にしてしまったことは失敗なんて言葉じゃ片付けられない。君を傷つけると分かっていながら最低のことをした。これからは君を絶対傷つけるようなことはしない。君を傷つける全てのものから守ると誓うよ」
私の頬を撫でながら語りかける隼人の手に、私は頬を擦り付けた。
「守らなくて良いよ。私が隼人を守ってあげる。毎日癒してあげる。だから、隼人は私だけを愛し続けて」
私はずっと彼に伝えたくて伝えられなかった言葉を言えた。