シャカシャカシャカッ。ジャアッ。水に浸けたお米に手をつけ、丁寧に洗う。そんな幽霊の様子を眺めながら、太一は心の中で
(絵になるなぁ……)
そう、呟いていた。
言うなればお母さんのお手伝いをする子供……いや、親想いの優しい少女か。耳に髪をかけ、冷たいはずの水の中に手を入れて真剣そうにお米を洗っている姿は、とても様になっていたのだ。
「っ、しょ……んっ、しょっ……」
「……」
そして何より────可愛い。水の冷たさでたまに身体を震わせていても、決して洗うことは止めはしない。真面目さと子供らしさが混じり合い、太一を釘付けにする。
「上手ですよ、幽霊さん。多分そろそろ大丈夫だと思うので、そのまま炊いちゃってください。やり方分かりますかね?」
「はい。太一さんが炊いているのを何度か見たことがあるので、見様見真似ですが。……って、相変わらず上手いですね、ジャガイモの皮剥くの」
「まあ、慣れですかね。幽霊さんも練習すれば出来るようになりますよ」
太一自身、これからは幽霊の食事を全て自分の手で作ってあげたいとは思っている。しかし大学で家を開けている時間がある上に、幽霊は恐らくそこまで全てを任せっきりにするのを望まないであろうことを、分かっていた。
甘やかし過ぎは厳禁。幽霊にも自分で出来ることを増やしてもらい、その達成感を味わってもらわなければならない。少なくとも彼女には、自分の手でも何かをしたいという意志が確かにあるのだから。
「でしたらぜひ教えてください! 私も一度、その機械を使ってみたかったんですよ!」
「ええ、勿論。あとこれはピーラーって言うんですよ」
「し、知ってますよそれくらい!」
適量の水、お米を炊飯器に入れ、スイッチを押しながらそう反論する幽霊の頰は、ほんのり赤い。
「可愛いですね、ほんと」
「う、うるさいですよ……! いいから早く使い方教えてくださいっ!!」
「はいはいっ」
思わずその小さな頭をヨシヨシしそうになる衝動を必死に抑えながら、太一はピーラーを手渡した。
「ケガしてほしくないので、ちゃんと使い方聞いてからにしてくださいね。聞いた後でも、しばらくの間は俺の前以外で使うのは禁止ですから」
「……むぅ、分かりました。早く一人で使えるようになるため、練習を重ねないとですね」
大学生の太一は、高確率で昼には家にいない。のでちゃんとした昼ご飯を幽霊が食べるためには、自らの手で用意しなければならない。
毎朝、今日のような時間に起床できるのであれば朝のうちに昼の分の作り置きも残しておくところなのだが、そこまで出来る自信が太一には無いわけで。毎朝遅刻ギリギリなせいで授業すら遅刻しそうになっている奴が、朝から二食分の料理をする時間などあるはずがないのである。
「まあ気長にいきましょう。幽霊さんにも料理のことは覚えておいて欲しいですが、やっぱりすぐにとはいきませんからね。俺が大学行く前に早起きして昼ご飯の作り置きもしておきますよ」
「早起き? 太一さんが?」
「何か?」
「いや、その……出来るんですか?」
「……」
太一は言葉を詰まらせ、ゆっくりと視線を逸らした。これまで目覚ましをどれだけかけても起きれなかった姿を、幽霊は幾度となく見ている。そんな相手に言われて、何も言い返せる言葉は無かった。
「はぁ、仕方ありませんね。貰ってばかりというわけにはいきませんから、起こすくらいはしますよ」
「本当ですか!? これ、もしかして目覚めのキスとか────」
「ある訳がないでしょう!? 起きない場合は暴力です!!」
「そんなっ!?」
実は彼女、これまで何度も太一のことを起こしたことのある実力者なのである。
自分の存在がバレてしまうリスクを冒しながらも、時には物を投げつけ、時には肩を揺さぶり。太一はもう既に何回も、その行いに助けられて遅刻を免れていた。……当然本人は、知る由もないが。
「全く、手間のかかる人なんですから……」
「え? なんて言いました?」
「どうやって起こしてやろうか、と言ったんですよ」
「ひえっ!!」
「平和的に起こしてもらいたければ、早く寝ることですね」
ふっふっふ、と不敵な笑みを浮かべる幽霊と、それを見て震える太一。そうこうしている間にお米が炊きあがり、その音を聞いて少し急ぎ気味にピーラーの使い方を教えて、目玉焼きを作りながら手こずっている幽霊の様子を伺いながら朝ご飯を徐々に完成させていく。
そして幽霊の手によって細々とした姿に変えられてしまったジャガイモを切り、豆腐やお揚げ、ワカメなどと一緒に鍋に入れて二人で混ぜ混ぜを続けて。ようやく完成した朝ご飯を全てお皿やお椀に入れて、食卓を囲んだ。
もくもくと湯気のたつ白ご飯と味噌汁に、作り慣れていることもあってかかなり完璧な円形に近い、形の整った目玉焼き。
食べる前、お箸を並べてお茶を注いでいる時からもう幽霊の目はキラキラと輝いて、涎を垂らさん勢いで料理を凝視していた。
「幽霊さん幽霊さん。目玉焼きに何かかけますか? ほら、マヨネーズとかしょうゆとか……あとは塩胡椒とか」
「では塩胡椒を!!」
「了解です」
目玉焼きに何をかけるか論争。意外と選択肢は多く数多くの派閥が存在している中で、偶然にも太一は幽霊と派閥が重なっていた。
まあ彼自身、たとえ幽霊がマヨネーズなど他のものをチョイスしていたとしても、論争などする気はさらさら無かったのだが。
「はいどうぞ。お好きな量かけちゃってください」
「ありがとうございます♪」
大変ご満悦な様子の幽霊は、塩胡椒の入った円形の容器を受け取って、蓋を開けて中身を二振り。ぷりぷりの黄身を黒い粉で少し染めて、容器を返却した。
続いて太一の方も黒胡椒を振り、容器の蓋を閉めてお箸を持つ。そして幽霊と目を合わせてから両手を揃え、言う。
「「いただきます!」」
お箸を持ち、味噌汁を少しだけ混ぜてから啜って、目玉焼きを摘んで……全ての動作を幸せそうに行う幽霊と、それを見つめながら幸せな気持ちを募らせる太一。
この空間には、ほのぼのとした空気が流れ続けている。そしてそれは居心地が良くて、二人とも大好きなのだ。
「美味しいです! 太一さんの料理、凄く……!」
「? 俺だけが作った料理じゃないですよ?」
「え?」
「幽霊さんだって、色々と手伝ってくれてたじゃないですか。だからこれは俺の料理じゃなくて、俺と幽霊さんで作った料理です。……はっ! つまりこれが特別美味しく感じるのは、愛が籠っているからで!?」
「ち、違いますから! 途中までいい感じのこと言ってたのに、なんで最後でぶち壊すんですか!!」
赤面し、ちょっとした冗談にも必死になって反論してくる幽霊を愛らしく思いながら、太一は改めて実感する。
やはり顔を出している状態の幽霊は、世界一可愛い人だと。表情、仕草、行動。全てにおいて右に出る可愛さを持つ人などおらず、そんな人と同棲を出来ている自分は、なんと幸せなのだろう、と。
「えへへ、目玉焼き……おいひぃ……」
昔、大学に入る前。太一はある生活の在り様に憧れた。
大学に入り、彼女が出来て。彼女の家か自分の家で二人、だらだらしながら過ごす。大学の授業は出席日数ギリギリで、圧倒的に遊びや二人きりの時間を優先しながら、彼女と共にいろんなことをして。そんな、不真面目でふしだらで、最高の生活を。
もちろんそんなことは叶うはずのない幻想で、大学に入って数か月たった今も男友達といたって普通のキャンパスライフを送っているわけだ。
しかし今、太一は部分的に夢を叶えている。大学の授業はめちゃくちゃきちんと出てるし、彼女はいないけれど。目の前には一緒に同棲している好きな人がいるのだ。人間じゃなくて幽霊だし、その中でも地縛霊だから一緒に出掛けたり授業に出たりもできない。だが好きな人と同棲するという点においてのみ、確かに憧れに届いている。
ここからさらに完璧な形を追い求め、間違っている部分を消すには────
「幽霊さん!」
「ひゃい?」
「大学、やめていいですか!?」
幽霊を外に出せないなら、逆転の発想だ。外に出る用事をすべて消してしまえばいいのである!
そもそも大学なんてものは、太一にとってはちょっと規模の大きくなった合コンくらいにしか映ってはいない。大学に入った理由の九割は彼女を作るため(残りの一割はなんとなくと仕事がもらえそうだから)なのだ。
授業やサークルを通して、お金を払っている生徒たちに出会いの場を提供する。しかも生徒の母数は何千にものぼり、女の子の選択肢は数多い。進路のため、将来の為と受験して落ちてしまった人には顔向けできないほど、最高にくだらない煩悩で埋め尽くされた男。それが矢野太一。
しかもあろうことか、大学とは別で好きな人ができたから、その人との時間を大事にしたいからと後先考えずに大学を辞めようとしている。
「えっと……え? なんでですか?」
「幽霊さんとずっと一緒にいたいからです!」
「……すみません、よく分かりません」
訳の分からない質問をされた時の某人工知能のような返答をしながらお箸を置いた幽霊は、味噌汁を啜りながら呆れたジト目で太一を見つめた。
「変な暴走で先走るのはやめてくださいよ……。そんなことしたら太一さん、一日中家にいそうなので却下です」
「一日中いたらダメですか? 幽霊さんを退屈させませんよ?」
「うっ、絶妙に魅力的なことを。でもダメなものはダメです。今日も大学行ってきてくださいね」
「ちぇぇっ」
「露骨に嫌な顔しないでください。ちゃんと私が行ってらっしゃいしてあげますから」
「……なら、もう少し頑張ります」
簡単に言いくるめられたものの、ちゃんと幽霊が見送りをしてくれることに嬉しさを感じた太一であった。