明かりもない部屋の中で、傷だらけの身体に巻かれた包帯が赤く滲んでいる。
痛々しい姿であれど、苦痛に声を漏らす事無く感情の消えた表情で壁を見続ける青年の姿を見たロザリアが、楽しそうに顔を歪めて彼を見て
「……ツィオーネちゃんだけど無事みたいよ」
と愉悦交じりの声を出すが、反応が返って来ることが無く。
何処か遠くを見続ける彼の眼は、ただただ空しく虚空を映す。
「んー、これは少しばかりやり過ぎたかも?残念ねぇ……どうして人って【嫉妬】するとここまで醜く人を傷つける事が出来るのかしらね、あなたもそう思わない?」
そう誰に語り掛ける訳でも無く、まるで悪女を演じるかのような仕草で愛おし気に自身の頬に手を当てる彼女が、近くのテーブルへの視線を送る。
すると、先程まで誰もいなかった筈のそこに、陰気な雰囲気をまとった女性が浮かび上がるように姿を現す。
「……【憂鬱】ね、私はあなたの余生を楽しませるために、学園に来たわけじゃ無いわよ?」
「あら私に何て興味が無いってわけ?嫉妬しちゃう」
暗い部屋に入り込む月の光を反射して輝く白い髪に赤い瞳が、大人びた容姿を際立たせ、妖美な雰囲気を醸し出す。
「そもそも、今の私は【憂鬱の魔王】じゃなくて、ただの生徒よ?」
「そういえば、そうだったわね……じゃあ生徒さん?もう少しだけ私に協力してくださらない?」
「しょうがないわね、じゃあ今回だけよ?」
そう答えるとゆっくりと椅子から立ち上がり、ネーヴェの前に立つと不機嫌そうに表情を歪めながら彼の頭に触れる。
「酷い味、きっとこんなことをやらかした人の性根が腐ってるのね」
「……酷いわねぇ、傷ついて泣いてしまいそう」
感情の消えた表情が少しずつ感情を取り戻していき、虚空を映し光すら通さなかった瞳が光を灯す。
「……じゃあ、正気を取り戻す前に私は行くわよ?」
「えぇ、ありがとう……次はやり過ぎないように注意するわ」
「そうしてよ?今度は人払いとかしてあげないし、誘導もしてあげないんだから」
「感謝してるからそんな事言わないでくれない?だって私とあなたの中じゃない」
「……あぁもう憂鬱だわ、何もかもが憂鬱、勘弁してちょうだい」
気だるげな表情を浮かべて、ロザリアを睨みつけると徐々に姿が薄くなって行き始めからそこにいなかったかのように、溶けて消えてしまう。
「……ほんっと陰気で嫌になるわね、見た目は良いのだからもっと可愛らしく笑えばいいのに」
誰もいなくなった虚空を見つめながらそう一人呟くと、ネーヴェへと近付いて行く。
そして愛おし気に彼の頬に触れると……
「ほら、目を覚まして?私の可愛いお人形さん?」
頭に着けている薔薇の形をした髪飾り触れると、室内にむせ返るような程に強烈な甘い匂いが充満し、ネーヴェの中に吸い込まれて消えていく。
「俺は……?」
「目を覚ました?」
「……ロザリア学園長?」
身体をびくりと震わせるとぎこちなくもゆっくりとした動きで、ロザリアの方へと顔を向ける。
その表情はまるで、今までこの場であった事を覚えていないかのようで、困惑に満ちていた。
「何があったか思い出せる?」
「……えっと、確か廊下で俺とツィオーネが生徒達に絡まれて、それで」
思い出そうとすると頭が痛むのか、手で頭を抑えて震え出す。
「そうなの?……だから廊下で倒れていたのね?」
「……はい」
「かわいそうに……でも良かったわ、私が近くを通ってあなたを見つけられて」
「という事は、ロザリア学園長が手当てをしてくれたのですか?」
「そうよ?大丈夫?何処も痛くない?」
心の底から心配するように、自らが人形と呼んだネーヴェの身体に優しく触れる。
すると、恥ずかし気に頬を赤く染めながらも、抵抗を見せない彼の姿を見て目を薄っすらと細め
「良かった……大丈夫そう、本当に良かったわ」
「……ロザリア学園長、ありがとうございます」
「いいのよ?だって、あなた達は今まで沢山、たぁくさん……酷い目にあってきたのですもの、この学園に来た以上はもう辛い思いはさせないし、私が守ってあげるわ」
「本当にありがとうございます、ですが……アリステア侯爵を説得して学園に行けるようにしてくださっただけではなく、ここまで特別扱いして頂いて本当によろしいのですか?」
不安げな表情でロザリアの顔を見るその姿はまるで、親に甘える子供のようで……年齢に見合わない幼さを感じさせる。
「いいのよ?言ったでしょう?この学園にいる間は私の事を、母親のように思いなさいって、だから沢山甘えていいのよ?ほら……抱きしめてあげる」
そんな彼の頭を愛おし気に抱きしめた後、すっと静かに立ち上がり背を向け扉へと向かって歩き出す。
「けど……ネーヴェ?あなたにはこれだけは覚えておいて欲しいの」
「……なんでしょうか?」
「私があなた達を実の子のように愛していても、アリステア侯爵家の庶子である以上どうあがいても、差別されるし……非難されて酷い目に合うわ」
「それは……はい」
「これはあなたが悪いんじゃないの、貴族の血を持って生まれてしまったせい……だから強くなりなさい?そうでないと、生きる事も許されないし、無力なままだと殺されてしまうわ」
冷たくもどこか優しく、そして……説得力のある声でゆっくりと語りかけると、ドアノブを回して扉を開いて行く。
通路から入り込む光がロザリアを神々しく照らし、ネーヴェの目をくらませると
「だから、誰かを生きるも殺すも、あなたの意思で出来るように強くなってね?」
「……わかりました」
「ふふ、嫉妬してしまう程に良い子ね……じゃあ、必要な事を教えてあげる」
「……必要な事、ですか?」
蠱惑的な笑みを浮かべながら振り向き、そのまま顔と顔がつきそうな程の距離まで近くと
「えぇ、準備は全部私がやってあげる、だから……あなたのやりたいようにやっていいのよ?今まで耐えて来た思い、感情を全て出しなさい」
「……やりたいようにやっていい?」
「えぇ、あなたとツィオーネにはそれをする権利があるわ」
困惑の表情を浮かべるネーヴェの耳元で……そっと、優しく呟く。
「ふふ、良い顔ね……じゃあ私は行くから、後で迎えが来るまで休んでなさい?」
「……迎え?」
「そうよ?ツィオーネを保護してくれた、優しいけれど、嫉妬してしまうくらいに恵まれた家で育った子の護衛騎士が、あなたを呼びに来るから、それまでゆっくり休むのよ?」
「わかりました、ロザリア学園長……今日は本当にありがとうございました」
「えぇ、どうか無理だけはしないでちょうだいね?私の可愛い子」
そう言葉にしながら彼の頭を優しく撫でると、今度は振り返ることなく部屋を出るとゆっくりと扉を閉め
「……嫉妬の花が咲く日が楽しみねぇ」
と笑みを浮かべるのだった。