元より、ミノルは泰輔とは仲が悪い。というか、根本的にイメージが悪いと言った方は正しいか。最初に見かけた時彼は静に喧嘩をふっかけていたし、そのあとはミノルに魔女の
ただでさえ、一般的な男子高校生でしかないミノルにとって、ヤンキーっぽく見える人間はあまり関わり合いになりたくないものだ。どうしてもその悪い印象を引きずってしまうのである。
まあ、その後の様々な挙動もあって、見た目ほど嫌な奴ではないのかもしれないとは感じていたが。
「人が前向きに話してる時にさあ、水さすのやめてくんない?」
意外にも、真っ先に食ってかかったのは大空だった。
「お前もこの間の事件でしょげてんのはわかってるけどさ。それでも空気読むくらいできるよね?それとも派手に喧嘩売ってる?なら高値で買い取ってあげるけど?」
「おい、大空……」
彼が言っていることは間違っていない。しかし、泰輔とむやみやたら喧嘩するのが正しいこととも思えない。
彼の沸点が低いのは過去の挙動でわかっているのだ。実際、静と何度も煽り合戦になっている現場を見ている。またからまれたら面倒くさいだろう、とミノルは止めに入ったのだが。
「空気読んでるから言ってんだよ」
意外にも、泰輔は大空の挑発に乗ってこなかった。そればかりか、地の底まで沈んだような声でぼそりと呟くのだ。
「てめえらだって、四木乱汰とかいう奴のゲームで思い知っただろうが。……魔王の継承者を真っ当に狙う奴ばっかじゃねえ。この学校には……ある意味、ああいう厄介払いされた奴もいるし。特殊な環境だから、愛憎こじらせてめんどくせーことする奴もいる。それで、実際ああいうゲームが発生して……死人怪我人大量発生だ」
「何が言いたいわけ?」
「ああいうことを目論む奴なんざ僅かだろうってのは知ってるよ。でも、問題は俺らに、そういうことができちまう力があるってことだ。ムカつくが俺様は……ここまでのことが起きるなんて、まったく予想してなかったんだよ」
その目には、暗い暗い悔恨の色がある。同時に、自分自身の無力さへの嘆き、焦燥が。
「腹立つけどな。なんで人間どもが俺様たちを恐れるのか、理解できちまった。……でもって、ああいう奴が一人暴発すれば、関係のあるやつもない奴も巻き込まれてあっさり死ぬ。それは明日かもしれないし、なんなら今日かもしれねえ。……未来に下手に期待してみろ。何かを楽しみにしてみろ。それを奪われた時の反動は、洒落にならねえもんだろうがよ」
それを聞いて、ミノルはなんとなく察してしまった。何故、泰輔が仲の悪い自分達にこんな話をしているのかを。
というも、さっきまで自分達は林間学校を少しでも盛り上げたいと話していたからだ――それも、元気がない陽介を元気づける意味もこめて、と。
つまり、泰輔は。
「お前、陽介の心配してるのか」
「…………」
ミノルの言葉に、泰輔は唇を噛みしめた。
「……てめえらが、あいつを元気づけたいって思う気持ちまで、否定したいわけじゃねえよ」
でもな、と彼は続ける。
「俺様は、康介が目の前で殺されるのを見てる。それを見た陽介が、どんだけ取り乱してたのかも。……あいつらとそんなに仲良しだったってわけじゃねえよ。だから康介が死んで悲しいって思ったってのとは少し違う。でもな。もう少し立ち位置が違えば、ああやって殺されたのは俺様だった。でもって、俺様にもっと力がありゃあ、あんなことにならねえで済んだんだ。てめえらは想像もつかねえだろう。目の前で誰かが肉の塊にされていくのを見ていることしかできなくて、それを見て泣いてる奴がいるのに逃げるしかできなかったのがどんだけ悔しいかを」
「五條、お前……」
「未来に期待するとな。裏切られた時のショックは死ぬほどでけえんだよ。あれがやりたかったのにできなかった。できないことにされた。なんで、どうして、理不尽だ。……そういうことを死ぬ間際に考えるほど空しいことはねえ。そんなサイアクな死に方はねえ。変に楽しみなことなんか知っちまったら、ますます死ぬのが怖くなるだろ」
俺様たちはいつ死ぬかわからねえんだ、と泰輔。
「だから陽介の馬鹿を、これ以上苦しめるんじゃねえよ」
言いたいことはそれだけだ、と言わんばかりに彼はそのまま教室を出ていった。ミノルは――何一つ言い返すこともできず、黙って見送ることしかできない。
理解したからだ。
今の彼は完全に、自分のためにものを喋っていない。きっと本人は陽介のためじゃない、自分のためだと言うのだろうけど、それでも。
「……一理、なくもないやんな」
ぽつり、と美琴が呟いた。
「楽しいことがあると、生きたいって思う。でも生きたいって思うってことは、死にたくないってことやろ?死にたくないと思えば思うほど、死にそうになった時の恐怖は半端ないものになる。……実際、うちらはいつ死ぬのかもわからへん。そういう場所やって、みんな思い知ってしもた。楽しいことがあるってのは、その恐怖をさらに増幅させること……なのかもしれへん」
「……そうかもな」
実際のところ、泰輔は陽介とは別のベクトルでショックを受けていて、そこから立ち直れていないのだろう。そして、自分自身ももう未来に期待するのが怖くなってしまっているのかもしれない。
その苦しみや、傷は、けして彼らのせいではないはずだ。あの事件はあくまで乱汰という癌が齎した災厄であって、それに限れば泰輔だって巻き込まれただけの被害者だったのだから。
それでもだ。
「それでも、生きていても仕方ないとか、死んでもいいとか……そんな風に絶望しながら生きているのが、果たして生きていると言えるのでしょうか」
ミノルが何かを言うよりも前に、静が告げた。
「死ぬのは怖いって思うのは、当たり前のことです。生きたい、何かを楽しみたい、幸せになりたい。……そう思えなくなったら、あまりにも寂しいでしょうに。その時間は、いつか来る死の恐怖なんて目ではないくらい、価値のあるものだと私は思うんですけどね」
「……ああ」
本当に、その通りだ。生きたいと思うのは、当然のこと。さっき自分達は、復讐だろうと生きる意味になるならいいと思っていたが――それはそれ、これはこれなのだ。
どうせ生きるなら、嬉しい理由があって生きる方が本当はいいにきまっている。人生が輝くに決まっている。
それは小さなことでもいい。明日発売の漫画の新刊を読むまで死ねないとか、バレンタインで好きな子にチョコ渡すまで死ねないとか、大好きなドラマの放送日まで死ねないとか、面白いYouTubeの動画全部見るまで死ねないとか。
そう、もうすぐある林間学校が楽しみだから、それまで生きたい――だって、全然いいではないか。今は幸せでない人間だって、いつか幸せになれると信じて生きていた方がずっと楽に生きられるに決まっているのに。少なくとも、自分はそう思うのに。
「それが、生きてるってことだろ……五條」
廊下に消えた背中に、もう自分達の声は届かないだろう。それでも、ミノルはずっと考えていたのである。
彼らのために、自分にできることはないのだろうか、と。
***
そして、あっという間に林間学校の日がやってきた。
いかんせんハイキングをするので、多少なりに荷物は多めである。二泊三日なので着替えなども必要になってくる。ミノルたちはみっちみちの旅行鞄をバッグに詰め込みつつ、あやめから指示を受けたのだった。
「みんな分かってると思うけど……超・久しぶりに学校の外に出るわけです。今から泊まる民宿は私達の貸し切りだけど、近くのお宿には人間の観光客の方も泊まっているわ。言いたいことはわかるわね?トラブルにならないように、全力で気をつけましょう」
それと、と彼女は指を一本立てて言った。
「人間の皆さんの前で、魔法は使わないように。魔法を使うだけなら法律違反にはならないけれど、私達の魔法は人間の皆さんに怖がられているものです。それに、中には人間と魔族の見分けがあまりつかないという人もいます。種族がバレて、無用な諍いを招く必要はないわ。皆さんも思うところはあるでしょうけど、特に山では登山客の皆さんときちんと挨拶すること!観光客の方ともなるべく仲良く、上手に接すること!いいわね?」
「はーい!」
そういえば、とちらりと後ろを振り返って言う。
自分がこの世界に来てから、アルカディアの敷地の外に出るのは本当に初めてのことだな、と。
この学校に来た初日に、ミノルは静からこのような説明を受けている。
『まず一つ。学園の敷地外に出る時は許可がいります。敷地の中に小さなスーパーやコンビニもあるので、あまり外へ出る必要性を感じないかもしれませんが……貴方の安全のためなので、そこはご了承ください。ちょっと遊びに行きたい、程度の理由ではなかなか許可は降りません。そして、許可が出たとしても一人で出たいと言ったら却下されますので、そのつもりで』
外に出られないわけではない。しかし、許可がなければ出られず、その許可を取るのは少々手間がいる。それは全て、魔族排斥運動が高まっていて、人間達とトラブルになる可能性が高いため。
ミノルは先代魔王なので余計狙われやすいだろうが、恐らく他の生徒も対応はそう変わらないに違いない。
「マジ久しぶりに外行くなー」
「うんうん。おれ実はこの間申請したけど却下されたんだよ。ネットで見たラーメン屋行きたかったんだけど」
「そりゃお前、その理由じゃ通らねえべー」
「だよなあ」
さっきから、こんな会話がちらほら聞こえてきている。限定された場所とはいえ、久しぶりの外。わくわくしている者は少なくないということなのだろう。
この世界の名前はフェイタルワールドと呼ばれていて、国の名前はジオンド合衆国。そして、ここはトウキョウ自治区と呼ばれているエリアだ、とここまでは聴いている。
学校の前は普通の一軒家やアパートが立ち並ぶエリアであり、特筆すべきようなものは何も見当たらない。元日本と言われているだけあって、自分が知っている日本とそこまで変わらない印象だな、くらいの感想しか持たなかった。季節が少しおかしいが、近くの一軒家に柿に似た木の実が鳴っているのも見えるから尚更に。
「なあ、静」
ミノルはすぐ隣にいた静に声をかけた。
「ここって元日本、なんだよな。……俺が知ってる日本と、どれくらい違うんだ?五百年くらい前に歴史が分岐してるみたいだけど」
彼もその質問は、想定内だったのだろう。そうですねえ、と頷いて、少し迷った後こう言ったのだった。
「やっぱり、あなたの世界の歴史と同じもの、違うものはあるでしょうね。……せっかくです、バスの中からよく見ておくといいですよ」