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<62・見えない世界の勇者たち>

 魔王学園アルカディアの生徒が毎年お世話になっている、タカナイ山麓の民宿・みずほ荘。

 長年お世話になっていると聞くからにはご主人も相当高齢なのかと思いきや、意外にも出迎えてくれた旦那さんはまだ三十代程度の比較的若い人だった。奥さんも同じくらいの年に見える。


「皆さん、今年もようこそお越しくださいました。私がここの主人である瑞保松彦みずほまつひこです」

「あたしは妻のゆかりです、よろしくお願いしまーす!」


 元気いっぱいで挨拶してくれるご夫婦の傍には、五歳くらいの小さな男の子がいる。彼は夫妻の息子である雪彦ゆきひこくんというらしい。多分代々、男の子の名前には彦の字をつけることにでもなっているのだろう。


「あら?去年はお父様がいらっしゃいませんでした?」


 アルカディアの先生の一人が尋ねると、松彦は困ったように笑って言ったのだった。


「ええ、去年皆さんのお世話をさせていただいたのは、父の和彦だったと思います。ですが、皆さんがお帰りになった直後に、ぎっくり腰になってしまいましてね。それを契機に、少し早いですが引退を決意したんです」

「あら、まあ。そりゃ災難でしたね……」

「そうでもないですよ。今は経営を離れて、まあなんていうか気ままに暮らしてます。今日も母と一緒に旅行に出かけてますから。……というわけで若輩者ではございますが、父が中心で回していた頃から私も手伝ってきた身なので、勝手は充分わかっているつもりです。何卒、よろしくお願いしますね」

「ええ、こちらこそ」


 なかなか優しそうな人だな、と思うミノルである。松彦氏は身長180cmくらいありそうな、ノッポな眼鏡の男性だった。どちらかというと力仕事より事務仕事が向いてそうな見た目である。対して、奥さんのゆかりさんは長身のポニテ美人であり、女性にしてはかなり腕ががっしりしていた。実は彼女の方が力仕事担当だったりするのだろうか。

 息子の雪彦少年は、母親と同じ青くてキラキラした目をしていた。くりくりとした宝石のような目でこちらをじっと見つめてくる。すぐ隣に立っていた静が言った。


「聞いていた通り、奥さんの方が魔族みたいですね。あの子はハーフで間違いなさそうです」

「顔でわかるんか、それ?」

「前に言いませんでしたっけ。どっちかというと、魔族の方が人間と魔族を見分けるの得意なんですよ。外国人かどうか顔立ちでなんとなくわかるくらいの感覚ですが」

「そうなんだ……」


 しかし、人間と魔族は、やっぱりミノルには全く同じようにしか見えない。確かに奥さんと息子さんは白人っぽいようにも見えるが、この国はそもそも人種のるつぼであるようなのであまり参考にはならない。ピンク髪だの銀髪だのが普通に存在するような場所なのだから。

 そういう感覚も、魔王としての力にはっきり目覚めればわかるようになるのだろうか。今のミノルはまだ、空を飛ぶ魔法と炎属性の魔法だけ、ある程度使えるようになったというレベルである。


「皆さん、少しだけ、話を聞いてくださいね」


 宿に生徒たちの荷物を運び込んだところで、松彦が生徒たちをぐるりと見回して言ったのだった。


「皆さんはもうお気づきの通り。私は人間で、妻は魔族。そして、息子はそのハーフです。……皆さんは魔族ですから、人間に対して複雑な思いがある人もいると思います。そして昨今は特に、魔族を恐ろしいもの、排斥するべきものと考えて運動を行う人達が多いのもまた事実です」


――やっぱり、そうだよなあ。


 ミノルは暗い気持ちになる。サービスエリアで見た、ポメラニアンを連れた男の子とその母親のことを思い出したからだ。犬と男の子は、ミノルと大空が魔族でもちっとも気にしていなかった。しかし、母親は自分達が魔族と気づくやいなや、まるで反社の人間でも見るかのように冷徹な視線を向けてきたのだ。

 いや、正確には、あれは。




『魔族なんかと話しちゃダメって言ってるじゃない!クリームだって危ない目に遭わされるかもしれないのよ!?』




 正確には、あそこにあったのは――恐怖。

 あの母親には紛れもなく差別と偏見の心があったが、それは我が子を守ろうとしたがゆえの感情だということもわかっている。実際、自分達でさえ最近は思うようになってしまっているのだから――自分達の魔法は、あっさり人を殺せてしまうような恐ろしいものなのではないか、と。

 何も持っていなくても、魔法があれば簡単に人の命を奪えてしまう。

 そんな魔族達を恐れる感情を、どうして責めることができようか。いわば、人が猛獣を恐れるのと同じことであるのだから。


「しかし、私は……魔族の皆さんは力を持ってはいるけれど、けして恐ろしい存在だとは思っていません」


 そんな沈みかけた空気を払拭したのは、続く松彦の言葉だった。


「私達、瑞保家は……このタカナイ山に、の麓で昔から民宿を営んできた一族でした。今はこんな小さな規模になってしまいましたが、大昔はお殿様が泊まる特別な宿を運営していたのです。その頃は、魔族も人間も違いは何もありませんでした。皆さんも歴史の教科書で勉強されたかもしれませんが、たとえばかの織田信長の小姓として有名な森蘭丸が、実は魔族であり魔法の力で信長氏を警護していたというのは有名な話ですよね」


 それは知らなかった。ミノルは目をまんまるにする。そういえば、今の授業をどうにか齧るのに精いっぱいで、せっかく貰った教科書もちゃんと読み込むことができていなかったりする。

 案外読んでみると面白いかもしれない。令和日本で教えられている歴史とこの世界の歴史は、世界大戦末期に大きく分かれたとは言われているが――それ以前にも、細かい違いはきっとあったということだろう。歴史上の偉人が実は魔族だった、くらいは他にもいろいろ例がありそうだ。


「……かつて何度も起きた人間と魔族の戦争を契機に、我々も経営方針を考え直さなければならなくなったことは何度もあります。ですが、我々は……少なくとも私は、人間も魔族も同く〝ヒト〟であり、差別するべきではないと考えています。実際、私の曽祖父である敦彦は、山で事故に遭った時に魔族の若い男性によって命を救われました。以来、子孫代々、魔族に感謝して生きるようにと強く強く言い聞かせてきたのです」


 彼は語りながら、ぽん、と妻・ゆかりの肩を叩いた。


「妻と出会ったのもこの宿でした。友人と山登りにきて、ここに泊まった彼女と出会ったのがきっかけです。……私は、魔族である彼女を妻として迎え入れたことを誇りに思います。私達は、人間と魔族の架け橋になりたい。心の底から、そう願っています」

「ええ。皆さんも、どうか……人間のことを、嫌いにならないでくださいね」


 松彦の言葉を引き継ぐように、ゆかりが続けた。


「確かに、人間にはあたし達魔族に対して冷たいことを言う人がいるのも事実です。でも、あたし達は魔族であるというだけで、何も恥じることはしていない。そして、あたし達が堂々と胸を張って生きていれば、この人のようにその本質をちゃんと見てくれる人は必ずいます」


 それは、愛する人が『人間』であり、その人と結ばれることを選んだ女性だからこその言葉なのだろう。

 ミノルはちらり、と大空を見た。サービスエリアでの件もあり、大空がもやもやしたものを抱えていたであろうことは想像に難くない。彼も同じことを思ったのか、ミノルの方を見て――肩をすくめた。

 それを見て、思ったのである。

 本当は誰だって、差別や偏見が良くないことはわかっている。そして、一度そういった目に遭ったからというだけで、そのすべてが自分達を虐げる人間と決めつけるのは間違っていることだ。大空も、それは痛いほどわかっているのだと。

 そう、わかっていても、なかなか思い通りにならないのが心であるというだけで。


「山に入れば、人間の登山客の方、観光客の方とすれ違うことも多いと思います。ですが、一緒にハイキングをする者同士どうかしっかり挨拶をして、マナーとモラルを忘れないようにしてください。アルカディアの生徒さんたちはその点、大丈夫だと思っていますけどね」


 皆の顔を真正面から見て、松彦は告げたのだった。


「タカナイ山は、神様が住む神聖な山と言われています。そして、この山の神様は、敬いをもって訪れる人全てを受け入れます。この山に敬意を表して登る者は、人間も魔族も動物も関係なく全てを受け入れてくれるのです。どうか、皆さんもそれを忘れないように、お願いいたしますね!」


 今回はこの宿は自分達の貸し切りだが、普段は人間も魔族も関係なく泊まる宿だと聞いている。多分、トラブルに見舞われたことは何度もあったのだろう。今までは経営を中心になって回していたのは松彦の父だったというが、それでも松彦は幼い頃からずっと父の仕事ぶりを見て来たはずだ。嫌なことも、悪いことも、たくさんあってなお父の仕事を引き継ぐことにしたのである。


――そういえば聞いたことがあるな。……勇者ってのは、英雄ってのは、ただ単に敵と武器を持って戦う人間だけを言うわけじゃないって。


 火事が起きた時に、消防車に乗って一生懸命消火活動をしてくれる消防士。

 犯罪が起きた時から町の人のお悩み相談まで、いつも町の人に寄り添って頑張ってくれる警察官。

 子供達に大事なことを教えてくれる教師、自分達が休みの日でも笑顔で接客してサービスを提供してくれるコンビニ店員やレストラン店員。いつもトイレを綺麗に掃除して気持ちよくつかわせてくれる清掃員まで。

 自分達の生活はいつも誰かの仕事に支えられている。そして、その仕事ぶりは目立つものでなくても、本来勇者として讃えられるべきものであるのは間違いないのだ。

 この林間学校もそう。こうして、魔族である自分達をも受け入れてくれる人間たちがいるおかげで成立していて、それに対する感謝をけして忘れてはいけないのだ。


――大丈夫。……まだ、世界には……優しい人も、頑張ってる人も、たくさんいるんだ。


 次の魔王が必要だと、魔族の血はそう判断したかもしれない。

 それでもまだ、戦争を回避する方法だってあるはずだ。彼らのような人がこうして戦ってくれている以上は。傍で支えてくれる以上は。


――その気持ちに、俺らも応えないとな。


 この林間学校が少しでも、みんなにとって楽しい思い出となりますように。



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