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<64・深淵が口を開ける時>

 いくら軽装で行けるハイキングコースとはいえ、山へ向かうからには天気を気にするのが当然である。

 有難いことに、今日は天気に恵まれていた。木々の隙間から青い空と、眩しい太陽の光が差し込んでくる。今はまだ午前中だが、昼頃になったらもっと気温が上がって暑くなってくるだろう。水分補給はこまめにしなければ、とミノルはペットボトルのお茶を飲んだ。

 こういう場所に来る時、お茶はどれくらい持ってくるのが正解か?についてはなかなか悩みどころである。真夏ならば500ミリポットボトル二本でも全然足らないが、七月なのでまだ一番暑い時期ではない。たくさん持っていけば水は足りるが、その反面荷物が重たくなる。なかなかのジレンマだと言えた。


「お茶足らなくなったら、頂上付近で補給するといいわ」


 ミノルが残りのお茶を気にしているとわかったからだろう、映がそう声をかけてくる。


「聞いてるでしょうけど、ここ観光客も多いところだから。頂上の広場にはちょっとした屋台とか、自動販売機とかも設置されてるのよ」

「もろ観光地だなあ。高尾山っぽい……」

「高尾山?ああ、今はコノハナサンって呼ばれてる山ね」

「結構山の名前も変わってるのなあ」


 町の名前や国の名前が変わるのはわかるが、地名が結構旧日本と変わっているのはどういうことなのだろうかと思う。国の名前が変わる時、いろいろあったのだろうか。トウキョウとかオオサカという名前はかろうじて残っているようだが。

 山登りというからにはひたすら登っていくのかと思えば、意外にも階段を下る場所があったり、平らな道がずっと続く場所もあったりする。最初はコンクリートで舗装された道が多かったが、段々と土の道も増えてくるようになった。今、自分達が歩いているのは緩い上り坂であり、右手はロープで区切られている。その向こうは崖だった。昨日雨が降ったらしく、道のあちこちがぬかるんでいる。滑り落ちないよう充分気を付けなければならなかった。


「おお、またキノコ発見!」


 相変わらず、美琴はキノコや植物の写真を撮るのに忙しい。


「静はん、見て見て見て!これ、なかなか綺麗やろ?宝石みたいやって思わん?」

「え、これキノコなんですか?」

「せやで?」


 何やら前を歩く美琴が面白いものを見つけたらしい。ミノルは少し早足で近づいていき、彼らの手元を覗き込んだ。どうやら美琴はキノコの一本を採集して、掌にのっけているらしい。世の中には触るだけで皮膚炎を起こすようなキノコもあるが、美琴が持っているということは素手で触っても大丈夫なタイプということだろうか。


「あ、ほんとだ、綺麗……」


 ミノルは思わず感想を漏らしていた。まるでボールのような球体のカサに、細くて白い柄が生えている。カサの色は青いくて、表面がラメでもまぶしたようにキラキラと輝いていた。こんなキノコ、今まで見たことも聞いたこともない。この世界にだけある新種だろうか。


「これ、ホシクズキノコっちゅうねん!結構珍しいんやで?」


 美琴は嬉しそうに語る。


「少し辛いけど食べられるキノコや。でもって、カサの部分が宝石みたいに綺麗やから、加工して宝飾品に使われることもある。あと、このキノコも暗い場所やと光るんやで。せやから、花束にくっつけて贈ることもあるんやでー」

「キノコを花束にするのかよ」

「なんだかロマンチックですねえ」

「せやろ、せやろ?キノコの世界はおもろいんやでえ!」


 今まで、あまり登山やハイキングをしたことがなかったミノルである。最後に山登りをしたのは中学生の時の林間学校が最後だったような気がする。レジャーで山に行くことはほとんどなかった。まあ、それは部活動で忙しすぎて、あまり休みがなかったというのもあるのだろうが。


――結構、面白いんだなあ。


 ぱきぱきぱき、と小枝を踏みしめながら歩いていく。夏の爽やかな風が吹き抜ける。木々のざわめきが聞こえる。楽しそうに盛り上がる美琴や静や大空、映の声が聞こえる。

 歩きながらいろいろな植物や景色を楽しむのも、友人たちと雑談しながら歩くのも、あまりしたことがない光景だった。花屋かな町でショッピングモールやカラオケ店、ゲームセンターに行くのもいいが、こうして自然を楽しむのも悪くはない。同時に。


「こんにちはあ」

「あ、こんにちはー」


 山を登る人達はマナーがいい、というのは本当らしかった。ガチガチの登山装備を身に着けた観光客と時々すれ違ったが、誰も彼もミノルたちより先に挨拶してくれる。恐らくほとんどが人間であり、ミノルたちが魔族であるとわかっていそうなものだというのに、だ。

 今も、大学生くらいの若い男性三人組が、笑顔で挨拶をしてくれた。この調子なら、みずほ荘のご夫婦が危惧していたようなトラブルは起きないだろう。そういう意味でも、心の底から安堵させられるミノルである。


「うーん、大丈夫かなあ」


 大学生たちを見送ったところで、大空が振り返りながら言った。


「なんか、段々他の班と距離離れてる気がする。ほとんど一本道だから、はぐれることはないと思うんだけど」


 それは、ミノルも気になっていたところだ。

 現在ここにいるのは、ミノル、静、大空、美琴。それから二組の班である映と、映のクラスメート三人である。前にも後ろにも他の班のメンバーがいたはずだが、いつの間にか距離が離れてしまって見えなくなっていた。

 確かに、全員で足並み揃えて登るのは難しいことだ。しかし、生徒の中には体力がない者もいるだろうし、トラブルが起きることだってある。あまりに列が伸びすぎるのは危険な気がするのだが、いつもこんな調子なのだろうか。


「どちらかというと、前の班が早く歩き過ぎな気がしてますね」


 静が渋面を作って言った。


「そういえば、兆野先生、登山が趣味だったような。……夏山登山はしょっちゅう行くとか聞いたことがあります」

「あー、それでずんずん先に進んじゃってるパターンか」


 ちなみに、自分達の班はかなり出発が後ろの方だった。具体的には、ほとんど最後尾に近い。自分達の後ろには、あと二班くらいしかいなかったのではなかろうか。でもって、その後ろの班には、しんがりということで校長先生が一緒についていっていたはずである。

 そういえば、最後尾の班は体力が少ない子が多かったな、とミノルも思い出した。ひょっとして、それもあって相当ゆっくり進んでいるのかもしれない。


「本当は、体力がない子って先頭の方に配置するべきなんだけどね」


 映がため息交じりに言った。


「なんで最後尾なのよ。みんなで遅い子に合わせてゆっくり登方が絶対安全なのに。距離が開くの目に見えてたじゃないの」

「まあ、校長先生が一緒だし、一本道だから大丈夫だとは思うけど……」


 大空が苦笑いしながらそう語った時だった。バタバタバタバタ、と足音が聞こえてきたのである。なんだなんだと見れば、前から道を駆け降りてくる二人の少年が見えた。

 なんだ?とミノルは眉をひそめる。走ってきた少年二人に見覚えがあったのだ。――うちのクラスの参道駆と、八尾陽介ではないか。


「あ、一倉!」


 駆が目を見開いて言った。


「お、お前ら!その、お前らだけか?校長先生は?」

「一番後ろだって。校長先生がいる班、かなり遅れてるみたいで、全然追いついてこないんだ。何かあったのか?」


 明らかに駆と陽介は慌てている。トラブルがあったのは明らかだった。どうしよう、と顔を見合わせている二人。陽介が、泣きそうな顔で言う。


「じ、実は……ぼくらも、前の班からちょっと距離があいちゃってて。慌てて追いかけてたじゃん?先頭の兆野先生、めっちゃ早かったから、ちょっと五條さんも焦ってたっていうか」

「え、まさか、それで転んだのか?滑落した?」

「そ、それがよくわからないんじゃん……」


 慌てて駆け下りてきたようで、二人ともだいぶ息が切れている。同時に、かなり動揺しているようだ。とりあえずミノルたちは、二人を落ち着かせることに終始する。

 冬の山と比べて夏の山は危険度が低いと言われている。寒さで死ぬ危険も低いし、天気も安定しやすいし、道も安全であることが多いからだ。同時に、自分達が歩いているのは超軽装でも問題なく踏破できる超初心者向けのハイキングコース。だからこそ、先生たちも初心者の少年達を引率することが可能だったのだから。

 しかしそれはそれとして、崖沿いを歩くこともあり、事故がまったく起きないわけではないのである。いくら魔族とはいえ、この崖を滑り落ちるようなことがあれば最悪死ぬ危険性もあるだろう。


「……なんか、変だったんだ」


 少し落ち着いたところで、青い顔で駆が言った。


「急に五條さんが立ち止まって、なんか妙なかんじがするって言って。ボクらはわけがわからなかったんだけど、急に……ボクと陽介のことを、五條さんが突き飛ばして。なんだ、と思ったらすごく大きな音がして……」

「じ、地面が罅割れたじゃん……」


 今にも倒れてしまいそうな顔で陽介が続ける。


「あれ、なんか絶対おかしかったじゃん。昨日雨が降ったっていっても、土砂崩れが起きるほどの雨じゃなかったはずだし……前のグループや観光客は普通に歩いて言った道じゃん。それがなんで、ぼくらが通った途端に足場が崩れるんじゃん……」

「な、なんだと……!?ま、まさか五條は……」

「ぼくらを庇って、落ちていったじゃん……」


 血の気がひいた。ある意味、崖を滑り落ちるよりも最悪な状況ではないか!


「おい、この先だな!?」


 助けなければ。ミノルはすぐに決断した。不安定とはいえ、自分は空を飛ぶ魔法が使える。確か、静もそうだったはずだ。


「案内しろ、お前ら!……それと大空、映、美琴、みんな。お前らはこのまま道を戻って、校長先生がいる班と合流して報告してくれ!静、俺と一緒に助けにいってくれるか!?」

「わかりました」

「あ、ちょ、ミノルくん!?」


 「危ないわよ!」と映が叫ぶ声が聞こえたが、無視をした。嫌な予感がする。一刻も早く助けなければ、怪我もそうだが遭難してしまうかもしれない。


――くそ、あの馬鹿、かっこつけやがって!


 何事もなく解決するなら、その時笑えばいいだけの話だ。


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