「おいおい、こりゃマジかよ……」
ミノルは唖然としてその穴を覗き込んだ。
ハイキングコースの道幅はおおよそ2メートルばかりといったところ。左手は斜面であり、右手側はロープがかかっていてその向こうは急な崖となっている。穴はそんなハイキングコースのど真ん中にでかでかと口を開けていた。直径3メートルはありそうな大きな大きな穴である。しかも、近づくとぱらぱらと小石が落ちる感触があった。今にも崩れていきそうだ。身を乗り出すだけで危ない雰囲気である。
「こんな穴、普通に歩いていて空きますかね……」
「いやあ、ない、と思うんだけど……」
ミノルと同じ疑問を静も抱いたようだった。穴の底は暗くてよく見えない。そしてこの穴があるせいで、完全に頂上への道が塞がってしまった形となった。穴の手前側にいる人間は、どっちみち一度坂を下って迂回路を探すしかないだろう。頂上側にいる者は、別の下山コースから降りることもできるだろうが。
穴の反対側からは、不安げな顔で駆、陽介、泰輔と同じ班の生徒たちが覗き込んでいる。ミノルは彼らに声をかけた。
「お前ら、危ないからあんま穴に近づくな。先に行って兆野先生に声かけてこい!報告しないとまずいだろ」
「わ、わかった!」
「行きます!」
少年達が慌てたように坂を上っていく。問題は自分たちである。穴の深さがどれくらいかもわからない以上、飛翔魔法で下まで降りていくしかあるまい。
が、問題は穴の底に何があるのかまったくわからないこと。そしてこの穴が空いた原因に、皆目見当もつかないということである。何かの災害によって空いてしまった穴なら、再び同じような崩落が起きる可能性もあるのだ。
「……五條のやつ、空飛ぶ魔法は使えないかんじか?」
駆に声をかけると、彼はぷくーっと頬をふくらませて言った。
「ご、五條さんはそんなもの必要ないんだよ、喧嘩強いし!お前なんかよりも。お前なんかよりも!ああ、お前なんかよりもなあ!」
「……つまり使えない、と」
「大事なことなので三回言ったんですね、わかります」
実際、呼びかけても返事はないし、泰輔が自力で飛んで戻ってくる様子もない。これはやはり、誰かが助けに行くしかない、ということなのだろう。それこそ怪我をして意識を失っている可能性も十分考えられる。いや、最悪もっと悪い状況も考えなければなるまい。
問題は、泰輔の体格がミノルよりも静よりもでかい、ということなわけで。
『そして大変申し訳ないことに自分カナヅチなんで、ミノルさん運んでくださいいいいい!』
『おま、ふざけんなよ!?』
思い出したのは先日の四木乱汰が仕掛けたゲーム内の特殊空間で、社を抱えて空を飛んだ時のことである。『№9 太陽と大海原』という空間で、落下してくる太陽から逃げるべく、カナヅチの彼を抱きかかえて空を飛ぶ羽目になったのだった。
あの時、速度は問題ないものの、少年一人抱きかかえて飛ぶのが想像以上にキツかった記憶があるのである。ミノルはつらつらと彼、百田社の体格や身長を思い出していた。身長は165cmとかそこらへんだったはず。ゲームオタクのもやし少年だったということもあり、体重もさほどなかったことだろう。どう重く見積もっても60キロオーバーということはなかったはずだ。
対して五條泰輔はといえば、彼は身長2メートル弱の筋骨隆々な巨漢である。黙って立っていれば大人の、それもヤのつく職業にも見えるかもしれないような立派な体格だ。下手をすれば、体重は100キロ超えなんてことも考えられるだろう。
つまり、結論としては。
「……静。俺と一緒に下へ降りて、五條抱えて戻ってくるってことはできると思うか?」
これである。はっきり言って、華奢な社ならともかく、一人で泰輔を抱えて飛んで戻ってこられる気がまったくしないのだ。
「二人がかりでなら、あのクソデカ男を持ち上げることもできなくはない、かもしれませんが」
静は露骨に嫌な顔をした。
「もしできなかった場合、我々も戻れなくなるかもしれませんよ?そもそも、あの男が素直に言うことを聞くかどうかも問題でしょう」
「まあ、俺ら仲悪いしなあ」
「もっと言えば。……そこまでして助ける価値のある男ですか?」
これはまたズバッと言ったなあ、とミノルは苦笑した。駆の顔が露骨に強張る。彼にとって泰輔がどういう存在かははっきりとわかっていないが、こうも常にツルんでいるところを見るに尊敬しているのは間違いないだろう。ただ脅されて言うことを聞かされている、というわけではなさそうだ。――価値があるかどうか、なんて話をされて愉快なはずもない。
同時に。本当のところは泰輔はもちろん、駆にとっても相当屈辱的だったはずだ。よりにもよって仲の悪いミノルと静に助けを求める羽目になったのだから。
「まあ、俺、あいつのことは好きじゃねえよ?ぶっちゃけ」
だからミノルも、正直に言うことにする。
「でもさ。……俺、わかる気がするんだよな、あいつがグレたの。俺だって、半分やさぐれちまったから、サッカーに戻るかどうか悩んでたわけだし。……自分がやりたいサッカーができなくて、でも捨てられなくて、それでむしゃくしゃして人に八つ当たりするってのはわからないことじゃない。もちろん、俺としては大迷惑だったけどな」
「陛下は、人に迷惑かけてないでしょう」
「そうとも言いきれねえよ。俺が迷惑かけてないって思ってただけで、実際は違ったかもしれない。……いや、多分……気づかないうちに傷つけていた相手、多分いっぱいいたと思うんだ」
思い出したのは、令和日本の世界での友人の言葉だった。
謙介は今どうしているのだろう。自分が戻らなければ、彼は自分のせいだと己を責めるようなことになってしまうのだろうか。この世界でミノルが死んだら、そうなる可能性もきっとゼロではなくて。
『ほら、その顔だよ。慰めありがとう、本当は恨んでるんだろ……みたいな顔やめませんかね。いやほんと、誰もお前のこと恨んでないから』
謙介が自分にそう言ったのは、耐えられない瞬間があったからだろう。部活を引退してからずっと、ミノルは己を責めていた。同時に、己を責めているつもりで、〝自分を恨んでいるに違いないと決めつけて、みんなを逆恨み〟してしまっていた、なんてことはないだろうか。その感情がもろに顔に出ていたから、彼はあんなことを告げたのではないか。
『作戦ミスがなかったとは言わないけど、最終的に納得してお前の指示に従ったのおれら全員なわけ。それに、あの時はどんな作戦取るのが正解だったかなんて誰にもわからないっつーか。今でも、おれもわかんないしな。きっとみんなそうだよ』
あまり賢いタイプではない――といったら失礼だが。とにかく、勉強が苦手で、語彙が豊富ではない謙介が一生懸命自分を慰めようとしていた。そうしなければいけない、という使命感にかられたのだろう。理路整然と説明して、説得しなければミノルが前に進めないと思ったから。
同時にミノルに、無言で周りが責められていると感じるような顔を変えて欲しかったからではなかろうか。
『だから、お前ひとりに責任押し付けらんないわけ。みんなで頑張った結果、及ばなかったってだけなんだからな?』
わかりやすい八つ当たりなんかしなくても、暴力なんか奮わなくても同じなのだ。そういう空気を出して、周囲に気を使わせてしまっている。きっとそれも、迷惑と言えば迷惑だった。あの時の自分は自分自身のことでいっぱいいっぱいになりすぎて気づいていなかったけれど。
そしてそれはきっと、親の意向でサッカーを取り上げられた泰輔だって同じだったのではなかろうか。本当はあれだけボールコントロールもできるし、力強いシュートも打てる男だというのに。
「でもって、その後いろいろあったからわかるようになったけど。……俺に真正面から、真っ当な勝負挑んできた時点で、五條の奴はそこまで悪い奴じゃない、つーかさ。そんでもって四木乱汰の時のゲームもクラスメート守ってしっかり逃げてるし……今だって、そこの二人を助けたから穴に落ちたんだろ」
そこの二人、と顎で駆と陽介をさすミノル。
「まあ。ちょっとな。ほんのちょっとだけどな。……かっこいいって思っちまうわけだよ」
「陛下……」
「そういう奴を見捨てたくないっていうか?そうでなくても、クラスメートだし。……まあ、静に無理強いはしないよ。俺一人でも、少しはマシだろうし、助けに行くから」
ズルい言い方をしたのはわかっている。こういう風に言えば、静が断れないこともわかっていたからこそ。
「……まったくもう、貴方って人は」
そんなミノルに、静は深々とため息をついた。そもそも、だ。本当に静が泰輔を見捨てたいなら、そもそも彼はこの場所に来ない。ミノルにくっついて一緒に穴の淵まで来ている時点で、見捨てる気がさらさらないのは目に見えているのである。まあ、相手が相手なだけあって、素直にはなれないだろうけど。
「仕方ありません。あの筋肉馬鹿を、陛下一人で持ち上げることなんて不可能でしょうし。それに、あいつはムカついてますからね。これを機に、貸しの一つくらい作っておいてもいいでしょう」
「さんきゅ、静」
「あ、あの……」
そんな自分達に、陽介が声をかけてきた。目に涙をため、青い顔で必死に訴えかける。
「二人が、五條くんを好きじゃないことは知ってる。そもそも、ぼくだってそんなに仲良しだったわけじゃない。でも、五條くんはもう……二回も、ぼくを助けてくれたじゃん……」
悪い人じゃないんだよ、と続ける陽介。
「本当は、ぼくが助けに行かないといけないじゃん。でも、魔法そんなに得意じゃないっていうか、空飛ぶ魔法とか本当に苦手でろくにできないし……。だから、二人に頼っちゃうの、申し訳ないとは思ってる、じゃん」
「陽介……」
「本当にありがとう。それから、よろしく頼む、じゃん。ぼくたちはここで、外から様子見守ってるし。何かあったら、先生も呼ぶから、だから……」
「ああ、わかってるよ」
陽介にとって、泰輔はまさに命の恩人なのだ。きっとこの山を登っている最中も、ずっと泰輔を慰めて声をかけ続けていたのではなかろうか。
――ま、あいつも不器用そうだしな。
これを機会にもう少し、もう少しだけだけれどきちんと話してみるのもいいのかもしれない。ミノルは笑顔を作って頷くと、飛翔の魔法のスペルを唱えたのだった。