――マジか……マジなのか。
鏑木は吹き飛びながら天を仰いだ。
酒井があれだけ驚いていたということは、魔法という意味でも計算違いがあったということだろう。唱えられた呪文はHurricaneではなくTornadoだった。台風ではなく、竜巻。でもって最初の風より威力が大きいということは、酒井が想定していたよりも大きな威力の魔法だったということか。
強い魔法を、弱いもののように見せかけていたのなら、それは静という少年の技術力が優れているからに他ならない。自分達はまんまと彼らの術中にハマったわけだ。
そもそも、失格者がゲームに手を出せる――というのが見抜かれているとは思わなかった。だからこそただ失格させるだけではなく、失格と同時に息の根を止めるやり方を選んでいたというのに。
――むしろ殺意が高すぎてバレたってかんじかな。ははは、や、やられたぜ……。
次の瞬間、体が地面に叩きつけられる。土の臭い、感触、スローモーションに見えた世界と音が戻ってくる。
洞窟の外に、三人仲良く放り出された。一方、静と五條とかいう少年はまだ洞窟の中に立っている。
自分達の負けだ。これはもう、言い訳も誤魔化しもできないレベルの完敗だろう。魔王の力を引き継ぐ者達、魔王学園アルカディアの生徒というのは伊達ではなかったということらしい。
『ワタシは、キミ達にとても期待しているんだ。そのありあまる怒り、ありあまるパワー。……どうせならばただ振り回すだけじゃなく、この世界のために使ってみようとは思わんかね?』
最後に思い出したのは、彼の言葉。
持てあます暴力、その矛先を失っていた自分に彼は道標を作ってくれた。ああ、向こうからすれば愚連隊の木っ端を下働きに使ってやろうというつもりだったのかもしれない。しかし鏑木としては、初めて自分という存在が必要とされたようでうれしかったのである。
きっとマチコも、酒井も同じだろう。
自分達が置かれた理不尽な環境の理由が欲しい。それをぶち壊す大義名分が欲しい。少なくとも、人間のため、世のため人のため平和のために戦ってきたと信じた数年間は、鏑木の人生において紛れもなく充実した時間であったのだ。
だから、後悔だけはしない。たとえここで、死ぬことになるのだとしても。
「ひ、ひひっ……残念だ。おれらの負けだあ」
自分達は失敗した。
だがそれは、自分達の組織の敗北を意味しない。ビリヤードは、その先の未来を見据えて既に動き始めている。自分達はただの尖兵。必ずや二の矢、三の矢が彼らを襲うだろう。
だから、鏑木が言うべき言葉は一つなのだ。
「不可思議様、バンザイィィィィ!!」
***
――ふかしぎ、さま?
仰向けに倒れながら、鏑木が言った言葉。それを聞いて、ミノルは眉をひそめた。
ふかしぎ――数の単位である〝不可思議〟だろうか。もしやそいつが、今回のミッションを鏑木たちに指示したビリヤードのボス?
――部下にこんな風に命賭けさせるなんて……一体、どういう輩なんだ。
ああ、見ていたくない。
ミノルと静と泰輔は、ゲームに勝利した。紫色の壁がゆっくりと消えていく。勝利した暁に何が起きるのか、それはミノル達にも変えられるものではなかった。そのように選んでしまったのは、鏑木たちなのだから。
「い、いや……」
茫然としている酒井、腹をくくったように雄叫びを上げた鏑木に対して、マチコは露骨に怯え始める。このままでは自分達三人とも殺されて、死体さえ消滅してしまう。わかっていれば怖くなるのも当然だ。
その覚悟もなくてこのゲームに挑んだのかと思わなくもないが、絶対に勝てると思っていたなら心構えができていなくても――おかしくは、ない。
「た、助け……やだ、いや、いやよ。おねが……鏑木、助けて……アタシ、死にたくなっ……」
「マチコ……」
「ね、ねえ、なんとかならないの?ねえ、なんとかなるんでしょ、ねえ、酒井!?あんたの魔法なんだから、なんとかしてよおおおおお!」
酒井を責めるように喚くマチコ。それを見て酒井は答える気力もないのか、青ざめた顔で宙を見るばかりだ。
「そんな、負けるなんて……うそだ、僕は、僕達は正しいはずなのに。神様が、僕達を見捨てるなんて、こんな運命、そんなはずが……」
「酒井ぃぃ!ぶつぶつ言ってないでアタシを助けてよ!早く、間に合わなっ……ぎいいい!?」
次の瞬間、三人の身体がふわりと浮かびあがる。ろくな死に方をしないのはあきらかだった。
『三対三。負けた三人は死ぬ。でもって、その死体は消滅する。……生き残るのは、勝った奴だけだぁ……ふひひひっ』
いっそ、苦しまずに消える、というルールだったならどれほど良かったことだろう。
思わず顔をそむけてしまったミノルに、静は告げる。
「目を背けてはいけません、陛下」
「し、静……」
「仕掛けてきたのは彼らです。罪は彼らにある。それでも、結果として我々が殺してしまうのならば……それは目を背けてはいけないこと。たとえ殺人罪とならなくても、逮捕されなくても、咎は咎」
そして、はっきりと言うのだ。
「魔王ルカインならば、けして目を逸らしたりしない」
――え?
その言葉はまるで、彼がルカイン本人をよく知っているかのような口ぶりだった。実際は、ルカインは何百年も前の人間で、静が実際に見たことがあるはずもないというのに。
「ああ、そういうことかよっ!」
「!」
泰輔の吐き捨てるような言葉で、状況が変わったことを知った。はっとしてもう一度三人の方を見れば、彼らは小人に見えるほど高いところまで放り上げられてしまっている。
ならばどんな死に方をするのかは明白だった。
「――!……っ、――!!」
微かに聞こえる、マチコが泣き叫ぶ声。この距離では何を言っているのかもわからないが、しかし。
それを聞くことができたところで、結末は何一つ変わりはしないだろう。
突如彼らの身体が、急速な落下を始めて――そして。
「――ぁぁぁぁあああああああ!!」
「ぐおおおおお!」
「ひいいいい!」
近づいてくる、三者三様の悲鳴。次の瞬間、三人の身体は思い切り地面に叩きつけられていた。勢いが強すぎたのか、一度ゴムまりのように跳ねて、また地面に落ちる。
肉が潰れる音、骨が砕ける音、何かが削れるような折れるような形容しがたい音。
それが数回繰り返された後、全ては無音になった。
「あ、あああ、あ」
目を背けるなと言われても、難しかった。だってそうだろう。
前のゲームの時も死体は見たが、あれはミノルが殺したものではなかった。
ミノル自身が手をかけた存在もあったが、それはあくまでゲームを具現化して作られたNPCの猿にすぎず、しかも映に乱暴しようとした連中で自業自得ではあった。
でも今回は違う。ナイフで刺した感触や銃の引き金を引いた感触などなくても、紛れもなく自分達が死においやった存在なのである。
ぐにゃぐにゃの飴細工のように曲がった手足と、土に染みこみきれず広がっていく真っ赤な海。それらを一瞬見て、ぎゅっと目をつぶってしまう。
――くそっ……くそくそくそくそ!なんで、襲われた俺らがこんな思いをしなきゃならないんだよ……!
「あ」
静が声を上げた。
「消えていく……」
そうだ、そういう話になっていたのだった。ミノルが恐る恐る目を開くと、叩きつけられて半ば肉塊に近い有様となった三人の遺体が光の粒になって消えていくところだった。もちろん、飛び散った血や肉片も同様に、だ。
これで、人が死んだ証拠はまったく残らない。
皮肉にも彼らのゲームが、完全犯罪を成し遂げさせてしまったようなものだった。
「……命なんて簡単に賭けるべきじゃねえ。クソッタレが」
「それは」
泰輔の言葉に、静が頷く。
「心の底から同意します」
光の粒が消えていくのと、遠くから呼ぶ声が聞こえてくるのは同時だった。
***
その後。
ミノル達は無事、助けに来た先生たちに保護されることになる。静の見立て通り、この洞窟の外は麓の駐車場にほど近い場所であったのだ。少し歩けば人がいる休憩所なども存在し、ようは探しにくるのは難しくなかったのである。
あちらがゲームを仕掛けてくれたおかげで紫色のドームができて、学園の人達からはより見つけ出しやすかったというのもあるだろう。
ゲームが終了し、空間に入れるようになるまで待っていたということらしい。
「……そう。ごめんなさい、わたしがペースを上げて登りすぎたから……」
あやめは自分達の話を聞いて、悲し気に目を細めた。
「やっぱり、わたし達魔族が外に出ること自体、迷惑だと思っている人もいるのでしょうね」
「先生……」
「でもね、忘れないで。……山ですれ違った登山客の人達は、みんな親切だったでしょう?ちゃんと挨拶してくれたし、冷たくしなかったわ。それに、みずほ荘のご夫婦も優しくしてくれたでしょう?魔族に対して思うところのある人はいれど、そういう人達ばかりではないということよ」
彼女はきっぱりと告げる。
「これから先、どれほど心無い人ことを言う人がいても……それが全てだなんて、どうか思わないでね。人間達が魔族を憎むからといって、魔族まで人間を憎むようになったら本末転倒なの。それではまた、争いが繰り返されるだけ。たとえ世界が、誰かが、魔王が必要だと判断してミノル君をこの世界に呼んだのだとしても……ね」
その言葉だけで十分、先生の考えは理解できるというものだ。
やや楽観的すぎるきらいはあるが、彼女は充分すぎるほど教師の素養を備えた人物なのだろう。子供達を守るために、平和のために、自分に何ができるのかを考え続けてくれているということなのだろう。
見習わなければいけない。ミノルの仕事は実際、魔王の力を誰かに継承することだけではないはずだ。この世界に来て、ますますそれを実感しているところなのだから。
――人間も、魔族も。やばい奴はいるけど、それが全てじゃない。……肝に銘じておかないとな。
幸い、今回負傷をすることはなかった。ゲーム終了と同時に傷が癒えたからというのもあるが、そもそもゲーム中においても大きな怪我をせずに済んだというのもある。
なんならついでに、まだ治り切っていなかった泰輔の足首の捻挫まで感知していたほどだ。理不尽なゲームのせいだと思うと、ちょっと複雑なところではあるが。
「さて、みんなお腹すいてるでしょ?……麓で、お弁当食べましょ」
「はい!」
彼女の言葉に、ミノルはなるべく元気な声で返事をしたのだった。
自分はまだ折れていないと、そう自分自身に言い聞かせるために。