林間学校二日目。
本日も晴天なり。魔王学園アルカディアの生徒たちは、元気よく山を登っていく。
昨日の反省点もあってか、初日と比べて列はあまり長く伸びていなかった。先頭を行くあやめ達もなるべくゆっくりペースを保って登ってくれているようである。
ミノルが一緒に行くのは、同じ班の静、大空、美琴。映とそのクラスメート数名。そしてなんとなく泰輔たちの班もほぼ一緒に行動するような形になっていた。泰輔たちは今、ミノルたちの少し前を歩いている形だ。
「こんにちは」
「あ、こんにちはー」
一般の登山客たちが降りてくるのとすれ違う。やはり、タカナイ山に登るのは人間が多いらしい。顔の違いはよくわからないが、段々と〝相手が魔力を持っているかどうか〟はわかるようになってきた気がする。
不思議なことだった。昨日、鏑木たちにゲームを挑まれるまではちっともわからなかったというのに。戦えば戦うほど心の記憶のみならず、体に刻まれた記憶や感覚も戻ってくるということなのだろうか。
「君達魔王学園の生徒かい?」
先頭を歩いていた年配の男性が、声をかけてきた。
「この先、ちょっと濡れて滑りやすくなってるところがあるから気を付けるんだよ。うちのばーさんも滑ってしまってねえ」
「あ、はい。ありがとうございます!」
「いいねえ。アルカディアの皆さんとは毎年すれ違うが、みんな礼儀正しくていい子ばっかりだよ。今年も楽しんでね」
「!」
にこにこと笑顔の男性と、その奥さんと思しき年配女性。どちらからも、敵意は微塵も感じられない。
魔王学園、とはっきり言った。自分達が魔族であると、わかっていないはずがないというのに。わざわざ足を止めて、忠告までしてくれようとは。
「本当に、ありがとうございます!」
「ええ、ありがとうございます!」
ミノルも他の生徒たちも、次々老夫婦にお礼を言う。彼らは笑顔で手を振りながら坂道を降りていった。
昨日も感じたが、登山客たちのほとんどが人間であるにも関わらず、彼らはまったく自分達に嫌な目を向けない。毎年すれ違うから警戒心がないのか、あるいは先達が何か善行をしたのか、どっちだろう。
「随分前のことだけど」
再び歩き始めながら、映がぽつりと呟いた。
「アルカディアの生徒が、滑落した登山客を助けたことがあったらしいの。魔法を使ってね」
「へえ」
「ミノルくんはまだできないかもしれないけど、魔法には重力を操る魔法もあるのよ。人が落ちそうになった時に無重力にすれば、落下することなく空中で支えることができるでしょう?タイミングを合わせるのがなかなか難しいんだけどね。で、通りがかった生徒が、たまたま重力系の魔法が得意だった子だったみたいで。……で、その登山客ってのが、結構有名な登山家と仲間たちだったらしくて。その噂が広まったそうなのよ」
「なるほどなあ……」
それ以来、登山愛好家たちの間ではアルカディアの生徒に対して良いイメージが広がった、ということなのだろう。
なんだか嬉しいような、くすぐったいような気持ちだ。昨日は確かに、人間たちの悪意を散々浴びた。差別意識も向けられた。それで悲しくも思ったし傷つきもしたのに――やはりそれだけが人間ではないのだと、強く強く思う。
女が殺人を犯しても、女全てが殺人鬼なんてことにはならない。男が暴力事件を起こしても、男全てが野蛮な人間なんてことにはならない。それと同じ理屈だ。
魔族も人間も、一部にはネジが外れたような者がいても――そんな人間だけが、全てではない。綺麗なものもたくさんある。だからこそ、きっと世界は美しいと言えるのだろう。
「なんか、嬉しいですね」
静がぽつりと言った。
「私も本当のところは……人間そのものを、嫌いにはなりたくないですから。ああいう人達を見ると、ほっとします。とても安いなって思いますけど」
「いいや、それが普通だって。昨日みたいなことがあるとどうしても、色々考えちゃうしな」
ビリヤード。その半グレだかマフィアだか、についてはきちんと調べる必要があるだろう。先生たちにも出来る限り詳細に報告はしたし、校長の耳にも入っているはずである。それでもこの林間学校を中止しない判断をしてくれて本当に良かったと思う。
現状、人間至上主義の極右組織ということしかわかっていない。だが、先生達がただ手をこまねいて見ているだけ、ということはあるまい。なんらかの対策はしてくれることだろう。
「方法はまだわからないけど、見つけたいもんだよ。人間と……戦争にならずに済む方法ってやつをさ。俺は、その一番厳しいタイミングで、この世界にはいないかもしれないけど」
そこまで言った時、「あ!」と声が上がった。陽介である。
「ご、五條さん!それからミノルさんと、静さんも!」
彼は振り返るとぴしり、と背筋を伸ばして、警察官を真似るように敬礼してみせた。
「昨日は、本当にありがとうございました!おかげで本当に助かったんじゃん!特に五條さん!」
「お、おう」
目がまんまるになっている泰輔に、敬礼したまま笑顔を向ける陽介。敬礼の手は本来右手でやるべきだったはずだが、うっかり左手になっている。実に、おっちょこちょいの彼らしい。
「本当の本当の本当の、マジでもう本当に……ありがとうございました。五條さんは、ぼくと駆くんの恩人じゃん!突き飛ばしてくれなかったら、ぼくらも穴に落ちてたじゃん!」
「べ、別に。お前らが落ちたら寝覚めが悪ぃと思っただけで……」
「どんな理由だっていいじゃん!ぼくらが命を救われたのは事実。なあ、駆くん」
「うんうん!」
陽介の隣で、駆が嬉しそうにうなずいている。
「ボク、五條さんの舎弟やっていて本気で良かったって思ったところです。やっぱり五條さんは最強で最高の男だあ!本当に、ありがとうございましたあ!!」
「そ、そこまでのほどじゃ、ねえ、し……」
「なんで謙遜するんですか!そこはもっとほら、正直に受け取ってくれないと困りますよーう!!」
「お、おうよ……」
あまりにストレートな感謝を伝えられて、泰輔がしどろもどろになっている。こいつもこんな風に照れるんだ、と思ったらなんだかおかしくなってしまった。
その泰輔を助けたのは自分と静なわけだが――まあ今は、野暮なことは言わないでおこう。それよりも、大事なことがあるのだから。
「ぼくは二回も……五條さんに命を救われちゃったじゃん」
少し切なそうに、陽介は目を細める。
「そのおかげで、また山登りできてるし、みんなと話せてるし……美味しい御飯も食べられるし。そう思ったら、なんか急に、吹っ切れてきたというか」
「吹っ切れた?」
「そうじゃん。うまく説明できないけど」
その目に、少し前まであった陰りはない。
「ぼくは、助けられた分生きなくちゃいけない。康介だってきっとそう望んでくれる。だから今日から……笑って生きることにするんじゃん!」
多分。
自分達が見ていないところで、数多の葛藤があったことだろう。
自分の半身とも言うべき双子の兄弟が殺されたこと。その仇である四木乱汰が死んでしまって、もう復讐を生きる糧にすることもできないこと。どうして自分だけが生き残ってしまったのかという疑念。同時にそれを本当に享受できるのか、それは弟への裏切りにはならないのか――きっとぐるぐるぐるぐる、いろいろなことを考えて悩んだはずだ。
それでも彼は、自分を救ってくれた人に感謝をすることができた。それを、必然だったと割り切れるようになったのだ。
――お前、強いじゃねえか。
ミノルも、なんだか嬉しくなる。さほど仲良しだったわけではない。それでも前を向いて生きようとする姿を見るのは嬉しくなるというものだ。
何より、泰輔がなんとも言えない顔をしている。くしゃり、と顔をゆがめたのは、悲しいとか腹立たしいとか、けしてそういうものではなくて。
「……お前がそう言うなら、そうすればいい。止めねえよ、俺様は」
俯いて、彼が絞り出した声は震えていた。きっと泰輔も考えて考えて、自分なりに答えを出したのだろう。
最後に結論を出すのはいつも陽介自身であり、泰輔自身だ。それでもその答えを出す過程に、少しでも自分達が手助けできていたなら嬉しいと思う。
「おーい、お前ら!遅れてるぞ!」
「げ」
そんなお喋りをしていたせいで、他の班との距離があいてしまった。前の班の最後尾の少年が、こちらに手を振っている。ミノルたちは慌ててペースを上げて登り始めた。幸い坂の角度はきつくない。少し早歩きをすればすぐに追いつくだろう。
と、そこで。
「いいムードね。うんうん、仲良きことはいいことだわ」
何やらとんでもないことを言いだした奴がいた。
映である。
「じゃあ、歩きながら楽しい話でもしましょうか!そうねえ、このタカナイ山にまつわる怪談なんてのはどう?」
「ハイ!?」
「か、かかかかか、怪談だとお!?」
待て、何故楽しい話と聞いて怪談になるのか。目玉をひんむくミノルの前で、ひっくり返った声を上げたのが泰輔である。
もしや、これは。
「ほうほう。あなたは怖い話が苦手なんですか。……いいですねえ、弱点見つけましたよ」
静がにやりと笑う。そして、ぐっと映に向かって親指を突き立てた。
「映さん、グッジョブです。この図体ばかりがでかい男を、とびっきり怖い話で怖がらせましょう」
「お、おおおお俺はこここ、コワガリなんかじゃっ」
「そ、そそそ、そうだよ静くん!ご、五條さんはなあ、けしてオバケが苦手なんてことはないんだぞ!?遊園地のオバケ屋敷を全スルーするとか、寮で開催された百物語大会で気絶したりとか、ホラー映画見ながらチビったこととか、そんなこと一つもないんだからなっ!」
「てめええええ駆ううううう!そんなに崖から突き落とされてえか!?」
「ギョエッピィィィ!?」
あ、なるほど理解。ミノルは引きつり笑いを浮かべた。本人がせっかく虚勢を張ろうとしたのに、見事なまでに駆のフレンドリー・ファイアを食らった形である。お気の毒様、とミノルは合掌するしかなかった。
自分も怖い話がそこまで得意というわけではない。だが、さすがにホラー映画でちびったり、遊園地のオバケ屋敷にまったく入れないなんてほどではない。
「うふふふふ」
「ふふふっ」
「あかん、映はんと静はんの目がマジや。新しい玩具見つけたワルガキの顔しとるわー……」
美琴がドン引きしながら言う。これは、容赦なく怖い話をぶちこんでくる流れだ。ミノルは少し前に出て、泰輔の肩をポン、と叩いた。
「ああなった二人は止められないと思う。まあ、頑張れ。骨は拾ってやるから」
「ミノル、てめえまで!」
「じゃあ、みんな大歓迎みたいだし、遠慮なく話し始めるわね!えっと、今から三年ほど前に本当にあった出来事なんだけどー」
「誰も歓迎してねえし始めるなああああ!」
真っ青な顔で絶叫する泰輔、素晴らしい笑顔の映と静。まだまだ、騒がしい時間は終わりそうになかった。