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<80・砂糖菓子のようなキスをして>

――こ、これは、ど、どういう状況?


 ミノルは何度も目を瞬かせた。心臓の音がドキドキと煩い。なんだか甘い香りがして、頭がくらくらしてしまう。

 一体どういうシチュエーションなんだろう、これは。

 なんで布団に寝転がった自分の上に――静が覆いかぶさっているのだろうか。


「陛下……」


 今夜は満月だ。それゆえ、明かりを消していても薄闇の中、静の白い顔は浮かび上がって見える。

 いつもと違って眼鏡を外しているせいで、余計に色っぽい。ミノルのあまり強くない理性を、ぐらぐらと揺り動かしてくれるくらいには。


――お、落ち着け。記憶を辿れ。な、何があったか思い出せ!


 林間学校二日目の、夜。

 登山の時に味を占めたのか、突如夜に映が企画した〝大・百物語大会〟が始まってしまったのだった。全力で逃げようとした泰輔らはあっさり捕まり、一組のクラスメートのみならず映が呼んだあっちこっちのクラスの生徒たちが大部屋に集合し、大変な有様となったのである。

 恐ろしいことに、怪談が大好きなのも、無駄に迫力がある朗読ができるのも映一人ではなかった。なんなら静や大空も抜群にうまかったのだ。

 そのせいで早々に泰輔は気絶するし、なんなら駆や陽介も意識を飛ばしかけるし、いつの間にか美琴のように逃亡を図っていた生徒までいる始末である。ミノルはビビリ散らかしながら最後まで参加したが――静が一番最後に語ってくれた怪談があまりにも怖すぎて、そこから先の記憶が薄い。そのまま寝落ちしただけかもしれないが。


――やばい、そのあとどうなったか、全然わからん!


 確かなことは一つ。

 現在自分が静に覆いかぶせられて、襲われそうになっている、ということである。いや、襲おうとしているのかどうかははっきりしていないが、これは、どう見ても。


「陛下」


 静が再び、ミノルのことを呼ぶ。宿の浴衣姿であるために、彼が身動きするたび鎖骨がちらちらと覗いた。自分と比べて細く華奢に見える首、きめ細やかな肌。思わずごくり、と唾をのみこんでしまう。

 おかしなことだ。相手はいくら美人でも、可愛い女の子ではないはずなのに。


「どうして、気づいてくれないんですか」

「え」


 突然呼びかけられた声。意味がわからず、ミノルは間抜けた声を出してしまう。


「私は、ずっとずっと……貴方が好きだって、訴えかけているつもりです。なのに貴方は冗談みたいに扱って、ちっとも本気にしてはくれない……」


 寂しそうに、その目が伏せられる。長い睫毛が影を落とす。


「私は自ら望んで、貴方の世話係を買って出ました。何故か。貴方の傍にいたかったからです。貴方の隣にいるのが、他の誰かでは耐えられなかったから」

「ま、待ってくれよ、静。俺、この世界に来てそんなに過ぎてないし……お前が俺の世話係に任命されたの、俺と会う前だろ!?なんでだよ!?そんなに継承者になりたかったのか……!?」

「そんなことより大事なことがあるんです!」


 他の生徒たちもいる部屋だ。静は声をひそめつつも、張り裂けそうな叫びをあげた。


「継承者になるのも大切ですが……それよりももっともっと、私には大事なことがあります。ええ、妬ましいと思ってくださっても構いません。継承者になるともなれば、貴方は別の誰かと一夜を共にしなければいけない。私は……自分以外の誰かが貴方に抱かれるなんて、考えることさえできない!」


 ぎゅ、とミノルの顔の横。静が強く布団を握りしめたのがわかった。


「貴方が、好きなんです。他の誰にも渡したくない。絶対、絶対……渡すことなど考えられない!」

「どうして、そこまで……」

「それが運命だから」


 静はそのまま、ミノルの胸に顔をうずめる。泣いているのかと、そう思った。


「それが、前世から決まった運命だから。私はずっと貴方を探し求めていた。貴方しかいないと、とうの昔に分かっていました。それなのに貴方は何もかも忘れて、別の人間になって……。早く全てを思い出してほしいのに、今の貴方のことも愛してしまったせいで苦しくてたまらないのです。今でさえこんなにも辛いのに、いつか貴方の身や心が私以外の誰かのものになるかもしれないなんて」


 前世。

 ミノルは目を見開く。それは、魔王ルカインの頃の話に他ならない。そして、ルカインには唯一無二と定めた恋人がいたこともわかっている。その名は。


「お前、まさか……」


 フレアなのか。そう言いかけた時だった。静ががばりと顔をあげ、そのまま――勢いよく、何かが顔にぶつかってきたのである。

 いや、違う。唇に甘い衝撃。キスをされている、と理解するまで少し時間がかかった。


――し、静!?


「ん、んんん、んっ!」


 何してんの?とか。いきなりどういうつもりなんだ?とか。そういう台詞は全て、吐息の中に飲み込まれて消えていった。言いたいことも尋ねたいこともいくらでもあるのに、唇をこじ開ける力が強すぎて身動きが取れない。

 キスをされている。男同士で、キスを。ミノルにとっては紛れもないファーストキスだ。本来なら、嫌悪感を覚えても仕方ないはずなのに。


「んんっ……あっ」


 どうして、嫌だと思わないのだろう。そればかりか、体がもっともっとと求めてしまうのを止められない。無意識に腕が、静の頭に伸びていく。髪を掴んで、引き寄せている。

 まるでこのぬくもりを、ずっと昔から知っていたかのよう。自分はこんなキスを知っている。そしてこれを、長い長い長い――気が遠くなるほど長い時間、探し求めていたのだと確信する。

 一体何故。だって静は――。


――甘い。


 幼い頃見た、魔法少女のアニメを思い出していた。女子が話題にしていたのでなんとなく一話だけ見たのだ。その中で、恋に恋する女子小学生の女の子が、大人のお姉さんに尋ねていたのである。


『ねえ、大好きな人との初めてのキスって……どんな味?』


 お姉さんは笑って答えていた。


『そうね……金平糖みたいに甘い味、かな』


 その時は、そんなバカなことがあるかと笑ったものである。人と人とが唇を重ねて、砂糖菓子みたいな味がするはずがない。むしろ気持ち悪いだけだと。

 なのに、何故今自分は理解できてしまっているのだろうか。

 金平糖の味、というのは確かに違う。でも確かに、甘い。甘くて、甘すぎて、脳の隅が痺れてくらくらしてくる。


「ン、んんっ……!」


 声にならない声を上げて、その唇を舐め上げ、舌と舌を絡ませ合う。あまりの気持ち良さに無意識に腰を突き上げていた。

 自分はこの甘さを知っている。前世で、知っている。そう、ルカインとして、フレアと数えきれないほど共にした夜と同じように。

 いつも自分は、フレアは、ルカインとこんなキスをしていた。お互いの魂ごと貪るように唇を吸って、それが一つになる夜のはじまりの合図で。さながらそれは、溶けて混ざり合って、境目さえも失われていくかのような。


――やばい。息するのも、忘れる。


 貪るのに夢中になりすぎた。酸欠と快感で、目の前の景色が真っ白にトんでいく。此れは危ない、と思った直後――弾けたように静の唇が離れた。


「ぷはっ……」


 一気に戻ってくる新鮮な酸素。息を荒くしながら慌てて見れば、静も明らかに呼吸が乱れている。興奮していたと分かる真っ赤に染まった頬、潤んだ瞳。それはどこか、泣きそうにも見えた。


「やっぱり、陛下……貴方は……」

「俺は、なんだよ」


 掠れた声で、どうにか尋ねる。


「お前は、一体、何なんだよ。本当は、何なんだよ……!」


 それの意味するところは、どこまで伝わったのか。静は少し落ち着きを取り戻したように体を話すと、ミノルの身体の上に座って首を横に振ったのだった。


「陛下。お願いです、私を……抱いてください」

「だ、抱くって、おま」

「今すぐとは言いません。でも、どうか……お願いします。私を選んでください。もう、耐えられないんです」


 体の奥、マグマのような熱がこもっているのを感じる。ミノルが何かを言うよりも先に、静は立ち上がったのだった。そして。


「約束ですよ」


 そこで、再びミノルの意識は途絶えたのである。




 ***




――ナンテコッタ。


 朝。

 宿のトイレの個室から出てきて早々、ミノルは思った。

 昨夜の、アレ。アレは一体、どこまでが夢で現実であったのだろうか、と。


――ナンテコッタァァ……!


 現実だとしたら、まさか静があんな色っぽい顔で襲ってくるなんてことがあるのだろうか。抱いて欲しい、なんて。はっきり言って他の皆がいる場所でなかったら頷いてしまっていたかもしれないほど、気持ちが高ぶっていたのは間違いない。しかし、いくらなんでも非現実的がすぎる。問答無用でファーストキスまで奪ってきたのだから尚更に。

 だが、もし妄想なら――それはミノルの願望に他ならないわけで。

 自分が静のことを、そのような存在として意識し始めているということになるわけで。


「そんな、馬鹿な……いや、し、しかし……」


 確実に言えることはただ一つ。朝起きて早々自分の体の異変に気付き、ミノルがトイレに駆け込むことになったということだけである。他の生徒たちにバレる前で本当に良かった、と思う。特に大空に見つかったら、どんな風にからかわれたかわかったものではない。

 あれが夢ならば、自分は静と〝そういうことがしたい〟と思っているということになる。彼に迫られて、キスして、最後の一線を越えてしまいたい、と。

 確かに今まで心のどこかで、静かなら抱いてもいいと思っていたのは確かである。他の生徒たちよりずっとそう言う行為をするハードルが低いと感じていたのは確かだ。

 しかしそれはあくまで、〝どうしても他に継承権を渡す方法がないのなら〟という前提である。望んで男と、友人とセックスがしたいなんて思っていたわけではない。――そのはずだったのだが。


――やばい、自信がなくなってきた……ががががっ。


 その時だった。よりにもよってこのタイミングでトイレに入ってきた人物が一人。


「んん?」


 大空だった。彼はミノルが一心不乱に手を洗っているのをみて、何やら悟ってしまったらしい。ミノルの頭から足まで見つめて、にんまり笑って一言。


「もしや、静くんとおめでたいことしたー?」

「しししししてるか!」

「え、じゃあうっかり妄想して一人で……」

「そ、そそそんなわけあるかあ!」


 可愛い顔して、なんでそんなシモい方向で聡いのだろう。夢の中でキスしてちょっとムラムラしただけです、とは言い難い。恥ずかしくて言えるはずもない。

 ミノルのあわてっぶりに、大空はにんまり顔を崩さずに続けるのだった。


「じゃあ早く手を出しなよー。コンビニでお赤飯買ってあげるから!」

「余計なお世話だ!」


 ああ、一体何を、どこまで理解しているのかこいつは!

 やや微妙な雰囲気のまま――ミノルたちの林間学校は、こうして終わりを迎えることになったのだった。


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