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<81・夢の中の密事>

 暖炉の爆ぜる音に、ルカインは意識を浮上させた。いつの間にかうたた寝してしまったらしい。

 テーブルの上には、広げたままの資料が山積みになっている。報告書の一枚――北方戦線における停戦交渉失敗の文字を見て、ああ、と思わず呻く他なかった。

 いい加減、犠牲なんぞ出したくないのはどちらも同じだ。しかし、お互い手打ちに出来ないのは、ここで退いたら負けという認識があるからこそ。

 人望のある将軍が、お互い討ち取られてしまっている。

 お互い権利を主張する土地が、宙ぶらりんになっている。

 双方が「●●を殺した××と大将首をよこせ、そうしなければ手打ちにはできない。やられっぱなしで終われるかこんちくしょう!」「▽▽の土地は我らのものだ。その利権を渡しては損失は計り知れない!」と主張を続けているとあっては、とてもとても終わりになんてできるはずがない。

 それはルカインとしてもそうだ。

 味方の軍勢がみんな、報復もなしに手打ちはないと主張している。魔族の一般市民たちさえも、だ。良くも悪くも戦意が高まりすぎて、多少犠牲を払ってでも勝利以外にはあり得ないという空気になってしまっているのである。

 たとえそうであっても、愛する人が死ねば涙を流すのに。

 本当はそのような悲劇は止めたいと、誰もが願っているはずなのに。


――タルマ地区の利権で揉めているのもでかい。……あそこの土地に住んでいるのは魔族が圧倒的多数だ。あそこを奪われたら最後、住んでいる魔族達が故郷を追われることになってしまう……。


 何よりタルマ地区が落ちてしまうと、首都圏へのアクセス状況が著しく悪化する。同時に、向こうが首都を落とすのが格段に楽になる。

 治安維持のためにも、防衛のためにも、魔族達の故郷を守るためにもなんとしても奪われるわけにはいかない土地だった。

 だが。


――タルマ山脈における金鉱山の利益は計り知れない。それに、あの土地は何回か前の人間と魔王の戦いで魔族が人間たちから奪取した土地でもある。……元々は人間のものだと主張したいのもわからないではない。


 考えれば考えるほど、ドツボに嵌る。

 やはり、敵の戦う意思を挫くまで戦い続ける他ないのだろうか。あちらが憔悴しきり、無条件降伏を受け入れるまで戦闘を繰り返す他ないのだろうか。

 そんなこと、けしてこちらだって望んではいないというのに。


――ああ、駄目だ。今日は疲れている。悪い方向にしか、ものを考えられそうにない。


 とりあえず部屋の換気でもするか、とカーテンを開ける。窓に手をかけたその時だった。


「魔王様」


 がちゃり、とドアが開いた。部屋に入ってくる前から、気配で誰なのかはわかっている。ノックをしろなんて、今更彼相手に野暮なことを言うつもりもない。ただ。


「フレア。何度も同じこと言わせないでくれよ。二人きりの時は名前で呼ぶ、そういう約束だろうが」

「失礼しました。……その、報告が」


 振り返らなくても、フレアが苦い表情をしているのはわかる。こんな深夜に自分の元を訪れるのだ。真っ当な用件ではあるまい。


「……パウリ―の奥様が、一命を取り留めました」


 静かな声で、フレアが言う。

 パウリ―というのは、魔王軍の大尉の名前だ。若くして大尉まで上り詰めた実力は本物であり、剣術は魔王軍でも随一と言われるほどの腕前がある。彼は去年、同じ魔族の奥さんを娶ったばかりだった。パウリーと同じ長い金髪の、とても美人な奥さんである。ぽやぽやっとした雰囲気で、いつもニコニコ笑っている明るい女性だった。「これはいい奥さんを貰ったな、大事にしろよ!」――なんて結婚式で冗談交じりに話したのは、そう遠い日のことではない。

 その奥さんが、先日、戦闘に巻き込まれた。

 魔王軍への報復として、一般人も住む住宅地に対して人間達が空爆を仕掛けて来たのである。パウリーの奥さんは瀕死の重傷を負った。瓦礫に挟まれて両足がずたずたになり、骨盤も粉砕骨折、救出するためにはその場で両足を切断するしかなかったのである。

 否、足だけでは済まなかった。折れた骨盤の骨が突き刺さったせいで、骨盤内の内臓の殆どを摘出しなければならなかったのだ。実際は両足というより、腰から下をほぼ切除しなければならない形となったという。

 助かる見込みは薄かったが、魔王軍の医師は優秀だ。優れた医療技術のみならず、魔法での回復術にも長けている。その結果、奥さんはギリギリのところで助かったと、そういうことだろう。

 本来なら喜ばしいニュースのはずだ、だが。


「下半身を完全に失った形ですから。……彼女は助かりましたが、完全にもう寝たきりの状態です。臀部も骨盤もないので、座ることさえままなりません」

「その状態でも人を生かせるのは、今の技術の凄いところではある。だが……彼女としては、辛かろうな」

「はい。……目を覚まして自分の姿を見た彼女の絶望は……とても正視に耐えうるものではありませんでした」


 フレアは言う。

 パウリーの奥さんは泣き叫びながら訴えたという。


『何で助けたの!死なせてくれなかったの!こんなに痛いし、苦しいし……わたしもう、起き上がることさえできないじゃない!こんな体で、これから先どうやって生きて行けっていうのよ!わたし、お腹の中身もなくなっちゃって、自分でトイレもできなくて、それで、それでっ……あああ、ああっ』


 たまたま開けた病室で見えてしまった光景。慌ててドアを閉めたが、それでも声は嫌でも聞こえてきた。彼女は夫に縋り付きながら叫んだという。


『これでもう、わたし、女じゃない……あなたの赤ちゃんも、産めない。何もできない……っ』

『ミカエラ……』

『なんで?どうして?なんで戦争が、終わらないの?あなたが、みんなが……早く人間どもをみんな殺してくれればこんなことにならなかったのに!!』


 戦争を終わらせてくれ、ではなく。皆殺しにしてくれれば、と。

 被害を受けた女性が、はっきりとそう告げたのだ。それが今の、魔族の民間人の本心だと言わんばかりに。

 そこにはもう、天真爛漫でいつも笑っていた女性の面影はなかったそうだ。


『ルカイン』


 背後から、ぬくもり。フレアに抱きしめられたのだと、すぐにわかった。


『お願いがあります。これは、魔王軍副将、フレア元帥としての願いです』

『なんだ』

『私を北方戦線に送ってください。……膠着状態のあの戦場、私が行けば即座に決着がつきます』


 その決着とやらが、話し合いでのものではないのは明らかだった。

 魔王軍において、最も強い魔力とスキルを持つのがルカインであるのは言うまでもない。だがフレアも、けして劣らぬ実力を持ち合わせている。

 彼が一言魔法を呟けば、それだけで町一つを灰燼に帰すことができるだろう。人間の兵士達はもちろん、戦車や爆撃機でさえ跡形もなく消し去ることが可能。彼の存在そのものが、強大な兵器に等しい。今まで、それだけの実績も積み重ねてきている。

 向こうの態度といい、度重なる和平交渉の失敗といい、再び向こうが北方で大規模攻撃を仕掛けてくるまで秒読み段階となっているのは確かだ。その前に殲滅してしまうのは、ある種非常に理にかなっていると言えた。

 だが、それでも。


『それをやったらもう、戻れないぞ』


 ルカインは唇を噛みしめる。


『北方の敵兵を殲滅すれば、向こうも一度頭を冷やして退却するだろうし……報復を恐れて、これ以上こちらの支配地域への迂闊な空爆はしてこなくなる可能性が高い。だが、そうなればもう和平交渉は……』

『不可能になるでしょうね。でも、それは貴方も本当は悟っているはず。もはや、それ以外に術はないと』


 なら、とフレアの細い指が、ルカインの頬を撫でる。


『その責は、私が負います。私は貴方の盾であり剣であるのですから』


 ただその前に、と。彼はルカインの肩を掴んでこちらを向かせた。潤んだサファイアの瞳に、ルカインの目が映っている。


『今夜は、いつもよりずっと激しく、きつく……抱いていただけませんか』


 本当はまだ仕事が残っている。そんなこと、フレアだってわかっているはずだ。

 しかしこれからその手を大量の血で染めようという恋人に、それがルカインのためである愛する人に、一体他に何ができるだろう?どうしてその頼みを、断ることなどできるだろう。


『わかった』


 ルカインはそっと彼の頭を抱き寄せ、唇を合わせた。

 甘い甘い、砂糖菓子より甘い味。否、もはやそれは蜂蜜を超えるほどの味だ。甘すぎて、食べればやみつきになり、毒にもなりかねないほどに。

 彼を抱きあげ、そのままルカインは共にソファーに転がったのだった。




 ***




「……おう」


 ちゅんちゅん、と窓の外で鳥が鳴く声がする。射し込む眩しい光。ミノルはぼーっと天井を見上げて、思わず呟いた。


「どうしよ。……やべえ」


 久しぶりに見た、ルカインとしての過去の夢。今はもうただの夢ではなく、実際にあった自分の記憶だと理解している。深夜まで仕事をしていたらうたた寝して、そこにフレアが入ってきて話して、そのまま盛り上がってソファーで一戦致す――というものだった。

 その、肝心のニャンニャン部分を見る前に、夢は終わってしまったが。今回の問題は、そこではない。


――キス。夢の中で……記憶の中で、フレアとしたキス。


 そっと、寝ぼけたまま己の唇をなぞる。

 あのとろけるような甘さ、快感。――林間学校の二日目の夜に見た夢と同じだった。いや、あれが結局本当に夢だったのかわからないままであるが、とにかく。

 静としたキスと、フレアとしたキスが同じ味だと思ってしまったのだ。もちろん静の方は現実ではなかったかもしれないけれど。

 それに、改めて間近で見たフレアの顔。やっぱり、静に似ている、と思うのである。もちろんフレアは静よりずっと年上だし、髪型も雰囲気も違うのであくまで〝似ている気がする〟の範疇を出ることはないのだが。


――フレアは……静の前世?その可能性って、あるのか?


 似ているなとは思っていたが、林間学校の時の夢のせいでよりその可能性を疑うようになってしまった。実際、彼はミノルのことなど何も知らないような段階からやたらとアプローチしてきている。

 前世から好きだったから、現世でも相棒になりたがった。世話係を買って出た。そしてまるで無償の愛かと思うほど献身的に尽くしてくれている。そう考えれば、今までわからなかったことの多くに辻褄が合ってしまうのだが。


――いや、しかし、だってなあ……?


 彼は、ミノルがミノルでなくなるのが怖い、みたいなことを以前言っていなかっただろうか。もしも彼が好きなのがミノルではなくルカインだったなら、一刻も早く全ての記憶を取り戻してルカインに戻って欲しいはずだというのに。


――……そうは、思いたくないな。あいつが好きだって言ってくれるのが俺じゃなくて、ルカインだなんて。いや、どっちも確かに俺ではあるんだけど、今の俺は……一倉ミノルだし。


 やっぱり、あの日の夢の出来事が本当だったのか、尋ねなければ答えは出ないだろう。ミノルは二段ベッドの上から降りようとして、ふと気づく。


「あら?」


 林間学校が終わってから、約一か月後。既にこの学校は夏休みの期間に入っている。だが、それにしても。


「みんなー……?あるえ?」


 部屋に静の気配はなく、外から他の生徒の声も聞こえてこない。ミノルは首を傾げつつ、はしごに足をかけたのだった。


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