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<84・闇の底から呪いは来たり>

 初日に足を踏み入れたことがあるとはいえ、どうしても校長室と言う場所に行くのは緊張するものだ。それは、職員室に入る際なんとなく背筋が伸びてしまうのと同じ感覚だろう。


――校長室に至っては、お呼び出し、で行ったこともないんだよなあ。


 歩きながら、うだうだとミノルは考える。

 この手の場所はなんというか、〝先生の領域〟〝子供は迂闊に入るべからず〟という空気が漂っている気がするのだ。

 学校の他の場所ならば、いる人間は圧倒的に生徒が多い。そして、どこか自由な空気が漂っている。休み時間の教室ならばおしゃべりしている者もいるし、お絵かきしている者もいるし、ふざけて追いかけっこをしている奴なんてのもいるかもしれない。でも、職員室は違う。先生たちが真剣なまなざしで、あるいはそれを通り越して血走った目でパソコンを睨んでいたり、紙の束に何やら書き込んでいたりなんたりをしているのだ。どうしてもこう、お呼びではない、感が強いのである。

 ましてや鍵を借りるとか先生に尋ねたいとかがあって自分主導で足を踏み入れる時ならいざ知らず、呼び出されるとしたら大抵〝ものすごく良いことかものすごく悪いこと〟が起きた時なのである。ミノルにとってはどうしても、小学生の時にうっかり友達と悪ふざけをして窓ガラスを割って説教された時のイメージがぬぐえないのだ。

 そして校長室に至っては呼び出されたことさえ、ない。むしろ校長室に呼び出されるという用件がどんなものかも想像がつかない。

 学校内見学で一周回った時と、あと特別に掃除をすることになった時くらいだっただろうか。それも小学生の時の話で、令和日本の世界で自分が通う高校では一度もないことだ。

 だから、イメージは固定されているし、職員室以上に緊張してしまうのである。

 あそこは〝迂闊に入るべからず〟ではなく、〝そもそも決められた人間以外誰も近づくべからず〟といった雰囲気がある。

 歓迎されていない、強者の縄張り、あるいは聖域とでも言えばいいのだろうか。


「ここ、だよな?」


 まあそういうわけで、どうしても気が進まない。例え初日に一度入っているとしても、そこに静がいるかもしれないとわかっていても、だ。『校長室』というプレートの前で少し足踏みをしてしまうのである。

 こんなにガチガチに緊張した結果、部屋に誰もいなかったら拍子抜けだが。


――でも、ここ以外に心当たりとか、ないし。


 ドアをノックしようと拳を上げた瞬間だった。

 ぎし、と椅子が軋むような音が中から聞こえてきたのである。はっとして息を呑んだ。静かだったのでどうだろうと思っていたが、やはり中に人がいるらしい。

 しかも。


『どうだね?それが、儂が調べた範囲でわかっていることなんだがね』


 このバリトンボイスは間違いない、魔王学園アルカディア校長の京堂孝三郎だ。林間学校の時にスピーチで見たのが最後だったが、非常に良い声をしていることもあってドア越しでも充分わかるのだ。

 まるで深い年輪を刻んだ御神木のような存在感。その声が誰かに何かを呼び掛けている。と、いうことは。


『……一通り読ませて頂きました。校長、よくここまで調べ上げましたね。何かツテでもあるんですか?』


――静だ!


 校長と比べれば若々しく、中性的な声。聞き間違えるはずがない、この部屋では校長と静が何かを話している。それも、かなり真剣な様子で。


『あまり大きな声では言えないがね。……今の状況では、そこらの警察や探偵よりも、裏社会の人間の方が信頼できることもあるのだよ』

『裏社会、ですか』

『真っ当な任侠組織ならばカタギには優しいからな。金を詰めばちょっとした調べものくらいはしてくれるさ。もっと言えば、彼らは自分達の縄張り……シマを守ることでシノギを成り立たせているからね。彼らのシマの治安を脅かしかねない件ともあれば、こちらが頼まずとも真剣に調査をしてくれる。特に、この学園があるトウキョウ地区は殆どの利権を萬屋組よろずやぐみが持っている。萬屋組の組長は魔族で、若頭はハーフ……組員たちは人間と魔族が両方混じっているから、彼らは彼らなりに人間と魔族の融和のために協力してくれているんだ』


――な、なんか任侠モノの漫画でしか聞かないような話が展開されてる……!


 極道漫画とか結構好きなんだよなあ、と思わずぼやくミノル。しかし、なんというか現実でこんな話を聞くのは新鮮だ。

 ひょっとして、この世界では暴対法なるものは存在しないのかもしれない。あるいは、場所によっては警察より極道組織の方が信頼されているなんてこともあるかもしれなかった。


――や、よく考えれば、それもそうか。……警察の殆どが人間で、人間贔屓で治安維持をするんだとしたら……迂闊に信用なんかできんよな。


 ひょっとしたらこの学園は、その萬屋組とやらにミカジメ料を払っているのかもしれない。はっきり言ってこの世界の時世ならば普通の警備員より遥かに心強いのは間違いないだろう。


『で、そこにある資料は萬屋組と、そのお抱えの情報屋から上がってきたものだ。萬屋組が敵対している半グレ組織のビリヤード……君が出会った三人組は間違いなく、トップである不可思議律の差し金だ。下っ端が暴走してやらかしたとかではないようだな、残念ながら』


――ふかしぎ、りつ?




『不可思議様、バンザイィィィィ!!』




 ミノルは目を見開いた。

 そうだ、死の間際鏑木が叫んでいたあの言葉。まるで、信者が神様を呼ぶかのように唱えられた、あの名前。

 どうやらそれが、ビリヤードの親玉の名前であった、ということらしい。


――へ、変な苗字だな。不可思議ってあれだろ、確か数の単位。めっちゃ多いやつ。


 世の中にはマイナー苗字の人もいるもんだなあ、なんて斜め上の感想を持つミノルである。


『ビリヤードについては、たびたび小規模なテロ行為を行うことからニュースにもなっている。君も多少なりには知っていただろう?』

『ええ』

『彼らの思想は実に破滅的かつ極端だ。極右組織であり、国は人間のためにあるべきである、そのためならば魔族は全て消えるべきだと考えている。まだ二十四歳の若者が、どうしてそこまで暴走していくことになったのかは定かでないがな』


 テロ。

 まさかあの組織は、そこまでヤバイものだったのか、とミノルは冷や汗を掻く。


『彼らのとにかく魔族の数を減らすため、見えないところでも劣悪なシノギを繰り返している。魔族の子供を海外に売り飛ばす……なんてのは基本中の基本。妊婦に至っては攫うと同時に胎児を奪って高い金で海外に売りつけているらしい。あとは若者たちの魔力を死ぬまで装置で搾り取って、死体は臓器売買に使っているとか……あとはそう、魔族の生殖能力を奪うようなヤクを売りさばくなんてこともしているようだな』

『……確かに、このへんにそれが書いてありますね。なるほど、それで萬屋組の怒りを買った、と』

『萬屋組のシマでヤクをバラ撒くなんてのはご法度だからな。極道組織にとっても麻薬売買における利益ってのは馬鹿にはならんはずだが、何代か前の世代で組員に麻薬が蔓延して壊滅に近い状態になったことがあって、それ以来シマにおけるヤクのシノギそのものを禁止するようになったらしい。実に健全なことだ。だからこそ、別の組織がそんな悪質なシノギをするなんて連中は絶対許さないというわけだな。もちろん、カタギの誘拐・人身売買なんて論外だ』

『それは、許せませんね……』


 ひょっとして、自分はとんでもない話を聞いてしまっているのではないか。ミノルはドアの前で固まったまま思う。

 あまりにも会話の内容が任侠モノの映画や小説の世界がすぎて、ついつい立ち聞きし続けてしまっている。この空気の中、果たして本当に入ってもいいものかもわからない。

 一番無難なのは、何も聞かなかったことにして一度立ち去ってしまうことだったが。


『ビリヤードが向かうのは人間……正確には限られた人間だけの理想郷だと言われている。奴らは魔族を駆逐するためには手段を選ばんだろう』


 そして、と京堂がため息交じりに言った。


『先日の一件もあり、魔王学園の周辺も嗅ぎまわられているという』

『彼らの計画を、私達が邪魔したからですか。身を守っただけなのに、理不尽ですね』

『心の底から同意するよ。……実際、この学園から次の魔王が生まれ、優秀な魔王軍の候補生が生まれることは奴らにとってまったく面白くないことのはずだ。その前にこの学園を潰そうと考えてもおかしくはない。先日の林間学校での襲撃も、我々の評判を落としつつ、孤立させる目的もあったと考えられる。外の世界との接触が完全になくなれば、嫌でもアルカディアは孤立するからな』


 次の標的はここだ、と。京堂が紙を叩くような音がした。


『萬屋組が下っ端をカタにハメて口を割らせたところ、ビリヤードはマジカルサッカーの大会を標的にしようとしているらしい。そこで……魔族の仕業に見せかけてテロを起こそうとしている、と』

『なんですって?』

『一回戦の当日に、何か行動を起こそうとしているらしい。ただ、どんなテロ計画なのかまでは下っ端も知らなかったようだ。……マジカルサッカーの大会は、学生のそれでも人気がある。たくさんの観客が来るだろう。人間だろうと魔族だろうと関係ない。そんなところで爆弾でも爆発したら、一体何人が死ぬかわかったものじゃない……』

『そんな……』


 おいおいまてまてまて。ミノルは顔から血の気が引いていくのを感じていた。

 だって自分は、ついさっき。




『確か魔王陛下、サッカー得意だったッスよね?頼むッスよミノル様ー!オレらを助けてくださいッス!大ピンチなんッス!このとーり!』




 雲雀の懇願する顔が脳裏をよぎっていった。

 自分が助っ人を頼まれたのは、その初日の試合ではなかっただろうか。


――まずいだろ、これ!


「すみません入ります無断ですが失礼しまあああす!」


 迷っている場合ではなかった。

 ノックもそこそこに、ミノルは校長室の中へと足を踏み入れる。こちらを見た京堂は目をまんまるにしていたが、静はさほど驚いた様子がなかった。多分、ミノルが立ち聞きしていたことに気付いていたのだろう。まだ素人に近いミノルは、魔力の気配を消すなんて高度な真似ができないから尚更に。


「校長先生、静!その話、詳しく聞かせて貰えないでしょうか?!」


 ミノルは二人を見比べて告げたのである。


「俺、サッカー部のキャプテンに……九重雲雀に頼まれてるんですよ、初日の試合で助っ人入ってくれって!」

「……なんですって?」


 どうやらこの話、思いがけない大ごとになりそうである。


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