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<86・未来へ繋がる学習>

 夏休みの課題は、あやめ先生がミノルのために作ったもの。ミノルが今後生き残っていくために必要なもの。――校長の言葉は正しかったのだと、ミノルは課題に取り組んでみてから気づくことになる。

 恐らく難易度は、他の一般生徒より相当低いのだろう。その上で。


「えっと問題23……回復魔法の呪文の種類とおおよその回復範囲を答えよ。えっと……」


 ミノルは少し考えた後、静に向かって言う。

 ちなみにここは寮にあるミノルと静の部屋である。


「あ、あれ?〝Cure〟と〝Heal〟ってどっちの方が回復量が多いんだっけ?」

「キュアーの方が下級魔法です。ヒールは中級魔法ですね。……上級魔法と、全体回復魔法は?」

「え、え、なんだっけ……あ、〝Curative〟だ!」


 ありがたいことに、この世界の魔法は基本英単語となっている。そのため、意味と照らし合わせていくとおおよその効果を把握しやすい。

 ただし、ミノルの認識で言うとキュアーとヒールはさほど意味が変わらないのでややこしい。この世界ではヒールの方が回復量が多い魔法ということになっているのだ。

 ちなみに英単語でいうところの〝Curative〟には根治、という意味もあると知っている。そう考えると、この単語の呪文が最上級回復魔法に位置付けられるのも道理だろう。

 問題は、回復魔法にはさらに上、全体回復の魔法もあるということだ。教科書で読んだ記憶があるのだが、思い出せない。そして教科書から該当のページを引っ張ってこられる自信もなかった。いかんせん、魔法学の教科書は他の科目の教科書と比べても非常に分厚いのだ。


「ぜ、全体回復魔法……ナンダッケ?」


 ミノルが尋ねると、静は心底しょっぱい顔をした。


「〝Heal-Rain〟です」

「あ、そうだ雨降らせるイメージなんだった!」

「陛下、他の魔法以上に回復魔法は大切なんですよ?知識だけでも最優先で覚えていただかないと困ります。四木乱汰とのゲームで炎魔法と飛翔魔法を覚えてから、何日過ぎたと思ってるんですか」

「うぐぐぐっ」


 まったくもってその通り。ミノルとしてはぐうの音も出ない。

 実際、今魔法が使えないのは記憶がどうというより、自分の知識不足が問題なのだと知っている。魔法を使う感覚が戻っていないのだ。魔力は体に徐々に満ちてきている感覚があるし、知識を得てきちんと訓練すればできるようになるはずなのだが。

 万が一大怪我をした時、自力で回復できるかどうかは大きな分かれ目となってくる。確かに前世でも、ルカインはそこまで回復魔法が得意ではなく、傍にいてくれるフレアに頼りっきりというところはあった。だから現世のミノルも、回復魔法が苦手である可能性はあるだろう。

 だが、だからといって言い訳していていいはずがない。万が一の時、傍に誰もいないなんてこともあるのだ。

 何より万が一静が怪我をした時、傍にミノルがいながら魔法が使えないせいで助けられなかったら?最初の手当さえできればなんとかなっていたのに、なんて言われたら?――想像だけで寒気がする。そんな事態には絶対したくなかった。


「回復の基本的な魔法はその四つです。では、回復範囲は?」


 とんとん、とドリルを人差し指で叩きながら言う静。


「個人差は確かにあります。ですが、おおよその基準は教科書に載っていましたし、授業でもおさらいをしていたから貴方も受けているはずです。覚えてませんか?」

「えっと、えっと……た、確か、〝Cure〟が擦り傷切り傷を治せるくらい?〝Heal〟が骨折を治せるくらい、だっけ?あと……〝Curative〟は大きな筋肉の断裂や内臓破裂も治せる可能性がある、と。〝Heal-Rain〟は〝Curative〟の全体化バージョン……だっけ?」

「はい、その通り。ちなみに、心臓と呼吸が止まると人は死ぬわけですが……心停止三分以内なら〝Curative〟でも復活させられる可能性があります。ですがそれ以上の場合は、今度は蘇生魔法が必要です。あとは、徐々に傷を治していく魔法もあります、この二つ覚えていますか?」

「……なんだっけ」


 そうだ。

 魔法は万全ではない。怪我を治すことはできるが、実は病気には弱いのだと聞いている。また、強制的に治癒力を高めて傷を治すので傷痕が残りやすいという問題もあるという。少しずつ免疫力を高めて体力や傷を治していくには別の魔法が必要だった。

 また、完全に死んでしまったら蘇生魔法が使えなければいけない。ただし蘇生魔法まで使える人間はそうそう多くないと聞いたはずだ。


――英単語英単語英単語……復活とか蘇生ってなんつったっけ?


 あれ、いっぱい英単語なかったっけ、と混乱するミノル。

 そもそも英単語というより、魔法の呪文を思い出さなければ意味がないのだが。


「〝Revive〟」

「あーあーあーリバイブ!そっちか蘇生魔法ォ!」

「陛下、予習復習してませんね?魔法学だけでもしておけと言ったでしょ」

「あいてっ」


 そうだ、単語を聞いたら思い出した。

 蘇生魔法、リバイブ。その人が死んで二十四時間以内ならば、その魔法で回復させることができる、はずだ。

 ただし、体の欠損が激しすぎる場合は難しい。バラバラ死体になっていても肉片がその場に残っていれば復活させられる可能性があるが、その場に重要な臓器や肉片、骨が全て残っていなければ魔法が不発になる可能性がある。

 いや、不発ならまだいい。おかしな復活をして、治したはずの人を苦しませてしまうケースもあるのだ。使いどころが難しく、かつ体力がある若い人にしか基本的にしか使えないとされている。


「そうです。……効果の方はわりとよく覚えているようですね」


 ミノルがそのあたりを説明すると、静は露骨にほっとした顔を見せた。あまりにも覚えていないことが多すぎて、課題の終わりが見えないのではないかと不安になっていたのだろう。


「では、徐々に体力を回復していく魔法は?」

「……リ、なんとか……だったと……」

「〝Regenerate〟です。更生させる、なんて意味もあるので少しややこしい単語ですけどね。ちゃんと脳みその皺に刻んでおいてくださいね?」

「あい……覚えましゅ……」


 メモをしつつ、ドリルに答えをかっ込んでいく。回復魔法だけでもこれだけ種類がある。このあと補助魔法も覚えなければいけないのだから、なかなか先が思いやられる話だ。


「陛下は魔王としての記憶も目覚めつつあるし、他の魔法だって基礎はできているはずなんです。課題云々もそうですが、とにかく初級魔法だけでも早めに使えるようになりましょう。苦手属性は少し苦労するかもしれませんが」


 静はそう言うと、筆箱からカッターナイフを取り出した。そして、右手でカッターを掴むと、なんとそのまま自分の左手の甲に走らせたのである。


「し、静!?何やってんだよ!?」

「何やっているもなにも、傷がなかったら回復魔法にならないじゃないですか。大丈夫です、掠っただけですよ」

「け、けど!」


 なんとまあ、度胸ありすぎることをする。静の左手の甲に、真一文字の赤い線が引かれていた。そしてぷつ、ぷつ、ぷつ、と赤い玉が浮かんで血の筋となっていく。

 はっきり言って、見ているだけで痛い。


「い、痛くねえの?」

「まったく痛くないとは言いませんが、見た目ほどではありません」


 さあ、と彼はその手の甲をミノルに突き出して言う。


「私のことが心配だというのなら、ちゃんと回復させてみてください。方法はわかっていますね?」

「う、うう……」


 なんともまあ強引である。確かに怪我をしなければ、回復魔法は練習できない。そして実際静のそれは大きな怪我ではないし、どうしてもミノルに無理なら静が自ら回復させて消すだけなのだろう。

 だが、そうはわかっていてもよくリストカットならぬ手の甲カットをやろうだなんて思えるものだ。ミノルはじっと、静の真っ白な手を見つめる。

 皮肉にも白い肌を赤い血が流れている様は、ちょっと背徳的な美しさがあるのは確かだ。


「まず、傷口に意識を集中する、だと……」


 自らの全身を流れる魔力を意識。血流となって流れ、自分の右手へ集まっていく姿を想像する。

 ミノルは彼の手の甲の上に、己の右掌を翳した。掌の中心から、静の傷に向かって魔力が流れ込んでいく様をイメージするのだ。

 掌が熱くなってくる。見えない光の粒が寄り集まり、そっと空気中を漂い、静の手の甲へ吸い込まれていく――そう、ここだ。


「きゅ……〝Cure〟!」


 魔法が発動した、感覚があった。静の手の甲に刻まれた真一文字の傷が、一瞬白い光に包まれたように見えた。

 そしてじわじわと傷が塞がっていく。既に流した血がまだ残っているのでわかりづらいが、あきらかに血の噴出が止まったのがわかった。


「上出来です」


 静がティッシュで手の甲をぬぐった。すると、さっき確かに切裂いたはずの傷がなくなっているのがわかる。ただ。


「……傷痕、残っちゃったな」


 傷はなくなったが、傷痕はうっすらと残っているではないか。肌が白いからより目だってしまう。薄ピンク色の線が一本、引かれたままになってしまっている。


「これくらいは、自然治癒で消える範囲です。問題ありませんよ」

「だけど、浅い傷なのに傷痕残しちゃうのは駄目だよな……?」

「その通りですが、それも訓練すれば少しずつ上達するというものですよ。初めてやったにしては充分ではないでしょうか」

「そうかなあ」


 まじまじと静の手を見つめる。元々回復魔法は傷痕が残りやすいとは聞いているが、それはものすごい大怪我をした場合の話だ。こんな小さな傷で傷痕を消せないようでは、自分の回復魔法の腕はまだまだということだろう。

 もっと言えば、発動まで時間がかかりすぎている。本当に災害救助の現場などであれば、一秒でも早く血を止めることが必要なはずだ。もっと手早く魔力を巡らせ、放出し、的確に傷を塞ぐための訓練をしなければなるまい。


「集中を長くするのではなく、質を上げるのが大事ですよ」


 ミノルの悩みに気付いたのか、静がアドバイスをしてくれる。


「例えば拳銃の早撃ち。照準を素早く合わせて引き金を引ければ、それだけ有利になるでしょう?早撃ちができる人は、針のように鋭く尖った集中で、あっという間に狙いをつけることができるんです。魔法も同じです。特定の対象を狙い撃って効果を齎すのは、攻撃魔法も回復魔法も同じでしょう?」

「なるほど、そういうイメージか。やってみる」

「ちなみに集中力を上げる訓練についての設問が次に来てますよ」

「……兆野先生、どこまで見抜いてんだよ」


 ミノルがこの課題をやりながら成長できるように、一生懸命考えてくれたのだろう。クリアするのは大変だが、これは感謝しなければなるまい。

 苦笑いをしつつ、ミノルはシャープペンシルを握り直したのだった。


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