「遠い遠い、はるか遠い昔。この世界に住んでいたのは人間だけだった」
薄闇の中、不可思議律は集まった仲間たちに演説する。
「猿から進化し、生態系の頂点となった人間たち。だが、その中からやがて、異質な進化をしたものが生まれ落ちた……それが、魔族と呼ばれる存在。いわば、突然変異だと言える」
この場にいるのは、ビリヤードの構成員たち。
中には魔族の血が入っている者もいるが、その者達も含めて全員が同じ思想で統一されていると知っている。
すなわち、この世界の真の盟主が誰であるか、ということ。この世界に君臨するべき存在は魔族ではなく人間であるということ。この美しい世界を乱すのがナニであるのか、ということ。どうすればこの世界の平和を、真に取り戻すことができるのかということ――。
「魔力を持ち、魔法という名の奇跡を起こすことができるその力は素晴らしいものなのかもしれない。事実、それが人間のために奮われるものであるなら何ら問題はなかった。きっとそれは、人類の新たな進化を促す、最良の力になりえたことだろう」
だが、と不可思議は目を細める。
「実際のところ、どうだ?彼らは魔族を名乗り、自分達は人間とは違う特別な存在だと自負するようになった。そして、その素晴らしい力を、人間のために奉仕することを拒んだ。人間のために使うとすればそれは、お金を貰って取引が成立した時のみだ。人類の役に立つ力を持っているはずなのに、奴らときたらそれを自分達の利益のためにしか使わない。無償で捧げるという善意があまりにも欠落している、そうだろう?」
「仰る通りです、不可思議様!」
「まさにその通りです、不可思議様!」
「うんうん、君達はよーくわかってくれている。だからこそ、このワタシの元に集ってくれた」
演説しながら大袈裟に両手を広げてみせれば、それだけで観衆は沸き立つ。さながら、神がこの場に降臨するのを目撃したと言わんばかりに。
「奴らが己を独自の種だと認識し、選ばれた存在だとおごり高ぶった結果……かつての恐ろしい戦争が起きた。自分達の過ちを認めず、謝ることをせず、愚かな報復なんぞに出たがために。そしてそれは、過去何度も何度も繰り返されている。そのたびにこの世界は無辜の血を流し、悲嘆の海に沈んできた。このような悲劇を、我々は二度と繰り返してはいけない、違うか?」
おおおおお!と観衆が拳を突き上げる。
満足して、不可思議は頷く。そう、この集団はみんな、不可思議の思想に心酔する信者たちばかり。彼らはみんな同じことを思っている、すなわち。
「魔族さえいなければ、この世界は美しく生まれ変わる!二度と、あのような戦争が起きずに済む、だから!」
「そう、だから!」
「魔族はすべて根絶やしにしよう。生き残るべきは、人間とともに歩むことができ、その力を人間の発展に寄与することができる選ばれた魔族のみでいい!この世界の盟主が人間であるということを、連中に思い知らせ……この国を蘇らせようではないか!」
「まさに!」
「ああ、まさに!」
謳うように語れば、人々の声は一つにまとまり、熱狂の渦となって空間を飲み込む!
「不可思議様!不可思議様!不可思議様!」
「不可思議様ばんざーい!」
「人類に、栄光あれ!」
「この世界の魔族を全て、根絶やしに!」
「我らの素晴らしき未来のために!」
それでいい。
この考えで全てがまとまれば、あらゆる問題が解決する。自分もまた、この苦しみから解放されよう。
ゆえに。
「みんな、ありがとう」
計画は、進められなければいけないのだ。
「じゃあ、みんな、始めようか。……まずは、大きな大きな狼煙を上げるんだ」
不可思議が指を鳴らせば、すぐに要がプロジェクターに映像を出してくれる。
マフィア『ビリヤード』が始めようとしている大きな仕事。それは、この映像に示されている地図の場所――アオヤマ・サッカースタジアムにある。
「人類と魔族が手を取りあうためのサッカーの大会なんて、必要ないからねえ。そうだろう、みんな?」
まずは此処を、めちゃくちゃにしてやろうではないか。
***
八月二十九日――トウキョウ自治区『アオヤマ・サッカースタジアム』。
その場所を今日貸し切って行われるのが、マジカル・サッカーのトウキョウ予選である。体操着に着替えて外に出たミノルは、青々としたフィールドを前に胸を躍らせたのだった。
「すっげええええひろおおおおい!え、よ、予選でこんな広いとこ使わせて貰えるのか?」
「貰えるんッスよーこれが!」
隣に立つ雲雀はニコニコ顔である。
「本来予選の大会って、どっかの学校のグラウンドとかを貸してもらうのがふつうでしょ?でも、マジカル・サッカーの場合は違うんス。もう予選から、バリバリにプロが使うようなサッカースタジアムを貸し切らせて貰えるんですよね!」
「ありがたいけど、そりゃまたなんで?」
「そりゃー決まってるッス」
これ、と雲雀が右手の親指と人差し指で小さなワッカを作った。マネー、の意味だ。
「マジカル・サッカーは人気があるんス。人気があるわりに、まだ新興だからプロのチームの数も試合数も多くはなくって。素人の試合でもいいから見たいって人がいっぱいいるんッスよね。だからまあ……学校関係者以外の観客からは、ふつーにお金取ってるんス。で、もろもろ運営の費用あててると」
「お、おう、そりゃたくましいな……」
「結構がめつい額を取ってると噂されてるッス。それでもスタジアムがいっぱいになるんだからすごいんスけどねえ」
「あ、はははは……」
なんというかとてもわかりやすい理由だった。
しかしそんなに人気があるのか、と思うとますます緊張してしまう。なんといっても、ミノルはサッカーは経験者でも、マジカル・サッカーの試合に出るのは完全に初めてなのだ。
今日一日だけの参加とはいえ、ドキドキしてしまうのはどうしようもない。ましてやサッカーの試合自体、現世でサッカー部を引退して以来なのでかなり久しぶりなのである。
――こんなたくさんの人がいるところで試合、するんだ。
今日予定されているのは三試合。
第一試合が浜本高校サッカー部VS小倉浜高校サッカー部。
第二試合が魔王学園アルカディアサッカー部VS彩羽坂高校サッカー部。
第三試合が軒下学園高等部サッカー部VSメイクーン学院高等部サッカー部。
つまり、自分達の試合は第二試合として予定されている、というわけだ。この大勢の観客を満足させられるような試合なんてできるだろうか――聴覚に、観客たちの期待に満ちた声が飛び込んでくる。
「メイクーン、今年は関東大会行けるかな。めっちゃ強いって話だけど」
「第一試合は安パイじゃない?軒下学園は去年二回戦で負けてるところだし」
「いや、わかんないわよ。去年軒下学園が負けたのって、全国の準優勝だったところだし」
「ああ、それもそうか。じゃあわかんないわね」
「あと個人的に気になるのは、やっぱり魔王学園よね。……魔族の学校でしょ?」
ずきり、と心臓が痛くなった。魔族の学校。自分達がまず、そのフィルターごしにしか見られない存在であるのは理解している。人間にとっては恐れられても仕方ない存在。忌み嫌われても仕方ない存在。学園の外に一歩でも出たならば、それを受け入れる覚悟が必要だということも。
ところが。
「やっぱ、魔族だから魔法の扱いには長けてるんでしょうね」
聞こえてきた言葉は意外なものだった。
「アルカディアは去年関東出場してるし……強敵だわ。今年三年生の九重くんだっけ?相当いいストライカーだって聞くし」
「そうよねえ。彩羽坂に勝ってほしいし、彩羽坂のカウンターサッカーも強いんだけど、どうなることやら……!」
「あ、ちなみに九重くん、かなりイケメンらしいわよ。顔写真とか出てないから噂でしかないけど」
「……あ、アルカディアもいいわよね、うん!どっちが勝ってもうらみっこなしよ!」
「掌くるっくるしすぎじゃない!?」
ミノルは思わず、そちらを振り返ってしまう。会話をしていたのは、中年の女性二人だった。彼女たちはミノルの視線に気づくことなく、楽しそうに水筒のお茶を飲みながら会話を続けている。
そこにあるのは明るい笑顔。サッカーボール柄のTシャツをお揃いにしているあたり、きっと仲良しのサッカーファンということなのだろう。
――魔族、なのに?
彼女達の言葉からは、魔族への偏見は一切感じられなかった。魔法に長けてるからマジカル・サッカーでも強いんだろう、というその程度の認識である。イケメンならばアルカディアのストライカーも普通に応援しようとする。ちょっとミーハーだけれど、そこに魔族だから負けて欲しいとか、魔族だからズルいだなんて感情は一切滲んでいない。
「魔族が同じ大会に出ることに、最初は反発もあったそうッスよ」
ミノルが女性達の会話を立ち聞きしていたことに気付いたのか、雲雀が優しく声をかけてきた。
「やっぱり、魔族は怖いって思われるのは、どうしようもないことッスからね。過去の戦争の遺恨だってあるわけだし。でも……マジカル・サッカーの協会会長と副会長が協力して、徐々にそういう偏見や差別の意識を改革しようと動いていったそうなんです」
「その人達は、もしかして……」
「会長は人間で、副会長は魔族。二人は、種族なんか関係なく親友なんだって聞いてるッス。今は……普通のサッカーの試合より、マジカル・サッカーは魔族にとって敷居の低いものになってるんスよ。中には、魔族と人間の混成チームが出像することもあるくらいッスからね」
ふふふ、と嬉しそうに笑う雲雀。
「ここにいるのはみーんな、魔族とか人間とか関係なく、マジカル・サッカーが好きな普通のファンばっかりッス!だからオレ、この大会が大好きなんッスよね!だって、スポーツを通じてみんな友達になれそうというか、平和の象徴って感じがするじゃないッスか!」
「ああ、いいな、それ」
そういえば昔、自分が大好きなサッカーアニメの主人公がこんなことを言っていた。
サッカーは、幸せの魔法。サッカーをすればみんな友達になれる、笑顔になれる。だから自分はサッカーが大好きなんだ、と。
「……ならこの大会、絶対無事に成功させなきゃいけないよな」
「そうッスね」
ミノルが何を思ったのか理解したのだろう。少しだけ、雲雀の顔が沈む。
「平和の象徴のような大会だからこそ、狙われたのは間違いない。……テロなんか、絶対起こさせちゃいけないッス」
そう、忘れてはいけない現実もある。
この大会は狙われているのだ。魔族を排斥するべきという極右テロリスト集団、『ビリヤード』の魔の手に。
自分は彼らから大会を守るためにここにいる、それも紛れもない事実だということを。