「いやー、久しぶりの映画だったけど良かったわー」
あたしは鈴奈さんから借りていたパンフレットを最後まで読むともう一度パラパラと最初から捲りながらそう呟く
ストーカーとの一件のこともあってきっと心身が疲労しているだろう、そう思って丁度いい映画もやっていたから気分転換にと誘ってみたそれは意外と面白くて、気付いたらあたし自身もそれなりに楽しんでしまっていた
「続編も制作決まってるみたいですね」
あたしの独り言に定位置となりつつあるリビングのソファから鈴奈さんが返事をくれる
「あら、それは楽しみねー、また放映されたら一緒に行きましょうよ」
あたしはそのままスムーズな流れで鈴奈さんを誘ってみる
「……そうですね、その時は是非」
鈴奈さんは少しだけ考えた様子の後にスケッチブックから顔をあげるとこちらを向いて快諾してくれる
この子は警戒心が強いのか弱いのか本当によく分からなくなるところがある
そしてよく返ってくる言葉は柊さんだから
いったいあたしのことを何だと思っているのかは一度いずれ問い詰めておきたいところ
「あ、でも、どうしましょ……」
あたしはそんなことを考えていたがふと、あることを思い出して考えながら顎に手をあてる
「どうかしましたか?」
鈴奈さんは完全にスケッチブックから手を離して不思議そうにそう聞いてくる
「いえね、あなたから原作借りるって話だったけど、どこまで読もうかと思ってね、折角続きが映画化するなら初めては映画館のほうが良いかもって思って、だから映画で観たところまでで止めとくのも手なんだけど、続きは気になるのよねー」
観てきた映画の内容は和風のファンタジーものだった
ファンタジーというのは映像映えする
小説として楽しむのも良いが最初が映像だったほうが後々良いような気がするのだ
だけど続きが気になるのもまた事実なわけで
「……どっちでも楽しめると思いますよ」
うんうんと悩んでいるあたしに救世主が舞い降りる
「あらそう? 読んだ人が言ってるんだからそうなんでしょうねー、それよりもあなた」
映画も観て、原作も読んでいる彼女がそう言うのであればそれが全てだ
あたしは早々に小説のほうを読んでしまうことを確定する
そしてそれからもうひとつ、話したかったことを思い出して会話を振る
「何ですか?」
鈴奈さんはこちらを向いたまま話に乗ってくれる
「今日、椿さんにあの格好見せちゃったわよね」
そう、椿春さん
鈴奈さんと同じデザイナーチームの人で、あたし的にはそれなりに腕には期待を持ってる
ただ最近は、何故か性格のほうに難をきたしているように思う
そして何故か鈴奈さんのことを敵として見ている節がある
昔はそんなことなかったと思うんだけど
女の子達の間で何があったのかまでは流石のあたしにも分からないし聞くわけにもいかない
「まぁ、そうですね、柊さんがバラしましたし」
「う゛……それはごめんなさいって言ってるじゃない……」
鈴奈さんはあたしの言葉を肯定しながら思いっきり言葉であたしを刺してくる
この子、自覚ありか無しかは分からないけど玉に言葉の針が鋭い時があるのよね
あたしには思い当たるところしかないからとりあえずもう一度謝る
「別に怒ってるわけじゃないです」
だけど鈴奈さんは本当に特に気にした様子もなくそう言ってのけるから、本当に無自覚な可能性は大いにあると思う
「ま、まぁ、それで、折角ならあの磨いた状態でこれからは出勤するのはどう? みんな驚くわよきっと」
ごほんっと咳払いをして一度場の空気を壊しておく
それからあたしはあの後からずっと考えていたことを提案してみる
あたしの見立ては完璧だし、あの見た目で行けば確実に会社のこの子を見る目は変わる筈
同じ会社にいれば嫌でもそういう話は耳に入るもので、鈴奈さんが社内で悪い意味で有名なことはよく知っていた
そしてその評価を覆したいとも思っていた
元々あたしは本気でこの子の作る服が好き
趣味でデザインした服も勿論好きだけど、仕事用にあげているデザインだってはっきり言ってとても良い
そんな力を持っているこの子が社内のカーストの底辺に勝手に配置されていることは内心憤りしか感じない
「……ないですね、絶対にないです」
だけど本人からの答えはノー
「あらそう、残念ー、せっかく良いのも持ってるのに、もったいないけど、本人が乗り気じゃないなら仕方ないわねー」
そうなのであれば無理強いは出来ない
それに、彼女の奥深くに根強く残る何かを聞けるほどあたし達は仲が良いわけでもない
ただの、ストーカー対策の一時のルームシェア相手なのだから
「……」
あたしの反応を見てから鈴奈さんはすぐにスケッチブックに視線を戻す
「……それじゃああたしコンビニ行ってくるけど、何か欲しいものある?」
あたしは準備してあった財布とエコバックを掴むともう片方の手で鍵を掴みながら鈴奈さんに聞く
「いえ、特には……やっぱりエナジードリンク買ってきて貰ってもいいですか?」
一度断ろうとした鈴奈さんは少しだけ考えた後に買ってきて欲しいものを教えてくれる
お使いをお願いしてくれる程には心を開いてくれている、ということが地味に嬉しい
「エナジードリンクって……またそういう、まぁいいけど、何? 寝ないで進めないといけない仕事でもあるの?」
ただ頼まれたものが微妙
別にエナジードリンクが悪いと言ってるわけではない
でもそれを飲まないといけないということは何か、エナジーをつけないといけない理由があるということ
仕事が詰まっていたのであれば今日映画に誘ったのはあまりにも悪手だ
「……そういうわけでは、ただ、もう少しこの服の細部を詰めたくて頭をしゃきっとさせたいのと、普通にエナジードリンクの味が好きなだけです」
だけど鈴奈さんから返ってきたのはそこまで意外でもない返事だった
本当にこの子は服のデザインが好きなのね
朝から晩まで、仕事でも私生活でもずっと服
そんな勤勉なところは見習いたいくらいだ
ただエナジードリンクの味が好きっていうのは一生分かり合えないわ
「あらそう、それじゃ行ってくるわねー」
だけどそれをわざわざ伝える必要もない
あたしはそれだけ言うと後ろ手にヒラヒラと振りながら玄関に向かう
「いってらっしゃい」
後ろから聞こえる声をBGMにあたしはそのままドアを閉じた
「……なんか、未だに少し不思議な感じがするわね」
あたしはコンビニに着くと自分の必要なもの、それから一応エナジードリンクも買いつつ、何か軽く摘まめるものでも作れそうな材料を買い込むと自動ドアから外へ出る
いってらっしゃい
今までは一人暮らしで誰もそんなことを言ってくれる人はいなかったから、少しだけむず痒くて、まだ不思議な感じが抜けない
「おい……」
そんな楽しい気持ちで一日を終われそうだったのに、たった一言でそれを全て台無しにされる
「……あら、あなたは鈴奈さんのストーカーさんじゃない、いったい何しに来たの? あの子は今ここにはいないわよ」
あたしは声のしたほうを向いて事実を早々に伝えてやる
「……今日はお前に用があって来たんだ」
だけど返ってきた返事はあまり気持ちのいいものではなかった
むしろ、貼り付けられたにやけがおがこの後良いことが起きることはないと断定させてくるからすでに少しだけ気分が悪い
「いったい何の用? あたしだって別に暇じゃないんだけ――」
「お前、昔したこと小雪さんには話したのか?」
「……は?」
あたしの言葉を遮って男が発した言葉の内容に普段は使わないようなどすの聞いた声が口から漏れる
「オレをあんまり舐めるなよ、ただのバカじゃないんだ……あんな事件、起こしたって知ったら、小雪さんもきっとお前なんて――ぐっ……」
男が嬉々として話し出すがそれを全て聞ききる前にあたしは男の胸ぐらを掴んでいた
ガサッと音がして手に持っていたエコバックが落ちる
確かプリンが入っているから形が崩れてしまったかもしれないけど、この際そんなことどうでもよかった
「あんたがあたしの何知ってるかなんてどうでもいいし、あたしは自分がしたことから逃げる気もないわ、でも……ごちゃごちゃごちゃごちゃウゼぇんだよお前」
あたしはそのまま男の襟首をギリギリと締め上げながら低い声で、そう呟く
「っ……はっ! 散々気持ち悪い女喋りで取り繕ってても結果ただの元ヤンだろお前なんて、仮面、取れてるぞ! っ……」
男の煽りは逆にあたしを冷静にしてくれて、襟首を締め上げていた手をパッと離す
そうすれば男は無様にも地面に尻餅をついて転がる
「……あら、やだわ、いけないいけない、すぐにカッとなるのは昔からの悪い癖ね、何? 真正面からはやり合えないから影からねちねち責めようってこと? 男がやることとは思えないわねー、カッコ悪い」
あたしは技と自分で言葉にして現状を把握することで何とか冷静さを取り戻す
そして尻餅をついた男を必然的に見下しながら眉間にシワを寄せて吐き捨てる
「……オレは、小雪さんをお前から引き離せればいいんだ、きっと、小雪さんだって好きでお前みたいなやつと一緒にいるわけじゃない、お前を怖がって! 離れられないだけだろ!」
男はそんなあたしを睨み返しながらふらふらと立ち上がって怒鳴り返してくる
「……自分のしてることは棚にあげてよく人を落とせるわね、はっきり言って全てが全て自分にブーメランで刺さってるって自覚したほうがいいわよ、それと、あたしがいる以上はあなたにあの子には何もさせないし、あなたのよく分からない脅しに屈することも絶対にないのでそこのとこよろしくね?」
これ以上この男の相手をしても無駄
心ではそう分かっているのに未だに頭の片隅でイライラが消えないあたしは思ったことを全て言葉にしてぶつけると最後に笑顔で啖呵を切る
こういうストーカー思考の相手を煽るのは絶対にするべきことではない、最悪あたしだけじゃなくてストーカーされてる本人とか、その周りにも被害が及ぶ可能性があるからだ
それは頭の中でよく理解していたのに、それでもあたし自身では止めることが出来なかった
「……それは、昔の罪滅ぼしのつもりか?」
あたしの啖呵に怯みながらも男はまだあたしを煽る
「だったらどうするっていうのよ? あたしは、ただのお節介なお兄さん、それだけよ、わかったらとっとと帰りなさい、今、少しだけ気分悪いのよ、あまり邪魔しないでくれる? せっかくいい気分だったのに」
あたしは頭を片手で押さえながら男に文句をつけてもう片方の手をしっしと追い払うように振るう
「っ……いいさ、言いたいことは言った、楽しみだな、いずれ小雪さんが全てを知った時が」
そうすれば男はよく漫画の小物がするように捨て台詞を吐き捨てて暗闇へと逃げ出していった
「……最後に捨て台詞吐くなんて本当に負け犬のそれねー、はー、ダメだわあたしも、もっとちゃんと落ち着かないと、とりあえず帰ったら予定どおり夜食でも作ってあげましょー、エナジードリンクよりそっちのほうがいいでしょ」
男がしっかりといなくなったのを確認してからわざと独り言をごちりながら落としてしまったエコバックを拾い上げる
そういえばエナジードリンクは炭酸だったわ
帰って早々にあたしの作る夜食よりそっちのほうがいいと言われて缶を開けられたら最後ね
その時は謝りましょう
「……手伝うって言われたらどう断りましょうか……あの子にキッチンに立たれたら最悪住む家が失くなるわ……」
そして、夜食を作るにあたってもうひとつの難問が待っていたことを思い出して軽く頭を抱える
はっきり言って彼女の料理スキルはゼロを通り越してマイナスの次元
今までよく一人暮らしが出来ていたなと関心すらするレベル
とりあえず家が燃えて住む家が失くなるのだけは最悪でも避けたい
あたしは男のことは早々に忘れることにして手伝うと言われた時の断りかただけに集中してふらふらと帰路についた