「はぁ、疲れた……」
私は仕事が一段落つくと背筋をパキパキと伸ばす
「あ、鈴奈さん、お先失礼します、鍵、よろしくお願いしますね」
「あ、はい……」
そんな私のほうへ帰る準備を既に済ませた居残り組、私を除いた最後の一人が歩いてきてこのオフィスの鍵を私の机の上に置くとペコリと頭を下げてから退勤していった
「はー、本当に、なんで今日に限ってこんなに忙しいんだろ……」
私は受け取った鍵を一度持ち上げて文句をごちながらまた鍵を机に放る
これでついに私が最後の一人だ
こう、あまり寝れていない時に限って急な仕事を押し付けられるのは勘弁して欲しい
まあ、ちゃんと寝なかったのは私がいけないのだが
「お疲れ様ですぅ、鈴奈さん」
一人になった筈のオフィスに甘ったるい声が響いて私の肩がびくりと跳ねる
「……あれ、椿さん、帰ったんじゃなかったんですか?」
私は慌てて取り繕うとオフィスの出入り口のほうを見て声をかけてきた相手に聞いた
「待っててあげたんですよぉ? 最後の社員が帰るの」
椿さんはそれに答えながらカツカツとヒールを鳴らして私のデスクの前までやってくるとたんっと軽く机に手をつく
「……なんでですか?」
昨日の今日で待ってたなんて言われれば冷や汗しか流れないが私は冷静を取り繕ってそう聞き返す
「そんなの簡単じゃないですかぁ、話を聞くために、ですよ、ほら、他の人がいると話しづらいこともありますよねぇ、だから、二人になれるタイミングを探してたんですけどぉ、昼食はいつも通りどこで食べてるのか分からないしぃ、結果としてあなたが仕事終わるの待ってたんですけどぉ、まさか今日に限ってこんなに待たされるとは思いませんでしたぁ」
椿さんは待ってた理由を説明しながらも私を責めることも忘れない
「あー、それは……ごめんなさい」
私は咄嗟に謝る
私自身今日の仕事がこんなに長引くとは思っていなかったが
「なんでそんな簡単に、自分には別に悪いところないのに謝れるのかぁ、それははたはた疑問ですが今日はその点はいいです、聞きたいのはふたつだけですからぁ」
謝ったのに何故か椿さんは少しだけ機嫌を悪くして、でもすぐにいつもの調子に戻るとそう、言い放った
「……そ、それで、聞きたいことって、何かな……」
はっきり言って言われなくても何が聞きたいのかなんてよく分かっていたけど、最後の希望を託してそう聞き返してみる
「昨日のことですよぉ、なんで柊さんと一緒にいたのかと、あの格好のことです、普段職場では地味ーって決め込んでるのに……私生活ではあれが普通なんですか?」
椿さんは机に手をついたまま強い語気でそう聞いてくる
「あ、えーっと、その……そういうわけでもないんだけど……」
その勢いに気圧されて私はうまく説明することが出来ない
「じゃあ、あれは特別だったんですぅ? あ、デートってことですかぁ?」
私が一人でわたわたしていれば椿さんはさらに深くへ自身から踏み込んでくる
「ち、違う違う! 私なんかとデートなんて……柊さんに失礼だよ」
だから私は大慌てで首と手をぶんぶんと振ってそれを否定する
「じゃあなんですかぁ?」
そんな結論に至らない私の問答が焦れったいのか椿さんの圧はどんどんと上がっていく
もういい、別に隠していることでもないし相手は椿さんだ
私は観念して口を割ることにする
「……私、今……っていうか結構前からストーカーされてて、そのストーカーから助けてもらったのをきっかけに柊さんと少しだけ仲良く……お友達? になれて、昨日は映画に誘ってもらって、その後にお茶してただけなの」
それでもある程度はぼかすようにしながら、たどたどしく伝えていく
「……へぇ、じゃ、あの格好は?」
「あ、あれはー、柊さんが! せっかく出かけるならってメイクと服を見繕ってくれたのっ!」
最終的に格好のことに突っ込まれて、私は慌てて事情を説明する
「……あー、なるほどですぅ、つまりは、普段からああいう感じなわけではないんですねぇ」
そこまで聞いた椿はんは私のデスクから手をあげると今度は自身の顎に手を添えてそう呟く
「あ、当たり前だよ、ああいうの私には……向いてないから、本当に偶々あんな感じだっただけで……」
そして、結果としてまた私は自虐を挟んで問答を終える
「……そういう風に考えてるんですねぇ」
「……え?」
ふと、どういう感情なのか分からない声色の、きっと私に言おうとしたわけでもない言葉に、間の抜けた声を漏らしながら椿さんの顔を見上げてしまうけど
「いえ、別に何でもぉ、とりあえず聞きたいこと聞けたので帰りますねぇ、お疲れ様ですぅ」
椿さんは既にいつもの表情で、それだけ言うとくるりと踵を返して出入り口のほうへと向かっていく
「あー、うん、お疲れ様……」
「やっと見つけたわー、まだ残ってたのね、いつもの場所にいないから探し……あ、ごめんなさい、お話し中だったかしら……?」
私がそんな椿さんの後ろ姿に挨拶していれば本当にタイミング悪く柊さんがひょこりと顔を覗かせた
「柊さんもまだお仕事してたんですねぇ、お疲れ様ですぅ」
柊さんを見止めた椿さんはいつもの調子で挨拶する
「椿さんもお疲れ様、もう外も暗いから気をつけて帰るのよ」
柊さんも特に慌てるでもなく笑顔でそう言って椿さんを送り出そうとするが椿さんは少しだけ考えた様子を見せた後に歩き出すでもなく口を開いて
「ありがとうございますぅ、でも、いつもの場所、って何の話ですかぁ? 今さっき鈴奈さんの口から、お付き合いしてるわけではないって聞いたくんですけどぉ、仕事終わるの待ってたってことわぁ、そういうことって思っていいんですかぁ?」
勘違いしたようなことを言ってくる
「……」
さっきあれだけしっかりと説明したのに、そんなに私は信用ないだろうか
「やーね椿さん、どう鈴奈さんから聞いたかまでは知らないけど、あたし達お付き合いなんてしてないわよー」
そんな椿さんに柊さんはからからと笑いながら真っ向から否定して見せる
「じゃあ、何で……」
「今ね、鈴奈さん人間関係で困ってて、夜は危ないから送ってあげてるの、家も近いから、何なら椿さんも送るわよ? 夜も深いし、危ないでしょ?」
それでもさらに詰めてこようとする椿さんに柊さんが先手を打つ
「……いえ、結構ですぅ、鈴奈さんまだ仕事終わってないしぃ、それ待つのは嫌なのでぇ、柊さんお一人でどうぞー、それじゃあ今度こそ、お疲れ様ですぅー」
椿さんは今度こそ満足したのか私達にペコリと頭を下げるとそのまま帰っていった
「お疲れー」
柊さんはそんな椿さんの後ろ姿にひらひらと手を振った