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第32話 プレゼントは踏み出す一歩に

 夕方、日も既に傾き始めた頃にふと、柊さんが私のほうへ視線を向ける。

「今日はあたしの後ろに隠れないでよかったの? お姫さまー」

 そしてそのまま笑顔で柊さんはからかうようにそう言葉にする。

 お姫さまなんて言葉も柊さんみたいな人が使うと全然キザったらしくなくて普通に馴染んでしまうからいつも不思議だ。

「そうですね、柊さんのお陰でもありますけど……この子を着てるとそんなことほとんど気にならなくて、前に柊さんが言ってた通りです、世界がまた大きく色付いた」

 初めて柊さんと出掛けたあの日に柊さんが言っていたこと。

 おしゃれした女の子は自身が輝いているから周りも自然と輝いて見える。

 それだけ服の力はすごい。

 それを今日は特に強く実感した。

 自分の好きで彩られた服に身を通して目にした世界は別の町みたいで、今までで一番と言っていいほどにキラキラにまみれていた。

 だから私は自然と柊さんの後ろに隠れることすらせずにしっかりと歩くことが出来た。

「……それならよかったわ、ねぇお姫さまー」

 柊さんはまるで自分のことみたいに嬉しそうにそう言ってからまたからかうように私のことをお姫さまと呼ぶ。

「……よかったにはよかったですが、その呼び方は本当に止めてもらえませんか……」

 柊さんはことあるごとに私をそう呼ぶけれど、流石に居たたまれない。

 もちろん会社や人通りの多いところでそう呼ぶことはしないところを見るにちゃんと時と場所はわきまえてくれているのだろうけどそれでも恥ずかしいものは恥ずかしい。

「だって本当に絵本に出てくるお姫さまみたいだものあなた、でも嫌なら止めとくわねー、今は」 

「また今度は呼ぶ気なんですね……」

 柊さんはからからと笑いながらそう言って前を向くけれど、今は、って付いていた時点でまたからかわれることは確定なのだろう。

 私のどこが絵本に出てくるようなお姫さまなのかも分からないけれど。

 最初から思っていたがたまに柊さんの観点は他の人とずれている時があると思う。

 まぁそれぐらいでないとファッションプレスチームの若きエースになんてなれないのかもしれない。

「男ってのは可愛い子にはつい意地悪したくなっちゃう生き物なのよ」

 柊さんは歩く足を止めることなくまたそんな言葉を簡単に口にする。

「……そういうものなんですかね」

 柊さんを男という括りに分別してしまっていいのか分からないけれど、そういうものなのだろうか。

 だけど、するりと柊さんの口から可愛いという言葉が漏れた事実に否応なしに顔に少しだけ熱が溜まる。

 別に、柊さんが発したその言葉が特段意識した言葉ではないって分かっているし、柊さんは柊さんで、私だって別に柊さんに対して何か特別な意識があるわけでもない。

 それなのに今日一日、そういう言葉を聞くたびに恥ずかしくて変に身体が熱くなるのはきっと閉じ込めてしまいたいとか、そういうことを柊さんが言ったからだ。 

「そうなの、で、久しぶりにあの展望台に最後に行きたいなーって思ったのだけれど、あなた、嫌じゃないかなって、あなたが嫌なら止めときましょ」

 ふと、柊さんからそう告げられて向かっている先があの展望台へと続く階段への道だったことに気がつく。

「あ、いえ、別に嫌じゃないです」

 少しだけ言い出しにくそうにそう誘ってくれた柊さんに私は迷うことなくそう答える。

「そう? 怖くない?」

 だけどそれでも柊さんはまた、優しくそう聞いてくれる。

 きっとあの日の事件を気にしてくれているのだろうということはすぐに理解できたけど。

「……怖くないですよ、あそこは、嫌な記憶のあるところでもありますが、それ以上に嬉しい記憶のあるところでもありますから」

 私にとってあの場所はあの男との嫌な思いでの場所ではなく柊さんとの良い思いでの場所だ。

 だから、あそこに行くことには少しも抵抗はなかった。

「ならよかった、それじゃあ行きましょうか」

 私の答えを聞いた柊さんは嬉しそうにそれだけ言うとそのまま前を向いた。 


「相変わらず長い階段でしたね……」

 階段を登りきった先にあったのはあの日と同じ満点の星空と沢山の煌めきだった。

 だけどやっぱり階段が長いのは相変わらずで、疲れこそそこまでしないにしてもダルいのは変わらない。

「そこだけがネックなのよねー、まぁいい運動になると思いましょ! お昼のパンケーキ分しっかり運動しないと」

 柊さんはそう言いながらお腹をさするといち早く目の前の柵に腕を置いて少しだけ身を乗り出す。

 絵になる、という言葉はきっとこういう時の為にあるものなのだろう、そうふと思うくらいには絵になっている。

「こう、考えるとまるで初めて出掛けた日みたいですね」

 私もその横に並んで、ふと、思い出してそう問いかける。

「あら、そういえばそうねー、パンケーキも食べたし、最後にこの展望台に登ったし、まぁ、あの日は最後の最後で水を刺されたけれど」

 私の言葉に柊さんも同調して、それからあの日のことを思い出したのか少しだけ顔をしかめる。

「そういえば、あの後からあの人が来ることもないですし、何か思うところでもあったんでしょうか……まぁ、年単位で付きまとってるような人ですからまだ全然気は抜けないですけど……」

 私はふと、このタイミングならと前々から気になっていたことを口にする。

 柊さんに叱咤され、カッターを使っても手も足も出なかった。

 その事実だけで私を諦めてくれたならいいけれど、そんな簡単に止めるような人ならきっと数年間なんて永い時間付きまとったりしないと思う。

「……そうね、あまり気を抜かないほうがあなたの為になるわ、絶対に」

 ちょっと気になって話題に出しただけのそれだったけど、柊さんはふと真剣な表情を浮かべて思案げに真面目な口調でそれだけ言った。

「柊さん……?」

 普段だったらこういう話になれば私が不安にならないように少しだけふざけて、それでも安心出来るような言葉をくれるのにそんな態度を取らなかった柊さんに少しだけ違和感を覚えて名前を呼ぶ。

「あ、いえ、別に他意はないのよ」

「そうですか……」

 柊さんははっとした様子でこちらを向くと少しだけぎくしゃくした笑顔でそれだけ言うから、きっと突っついて欲しくない部分なのだろうと私から引く。

「それより、ちょっと手を出して頂戴?」

 柊さんは話題を変えるようにそう言うとくるりと身体ごと私のほうに向き直る。

「どうしたんですか?」

「これ、あなたにあげるわ」

 私も習って柊さんのほうを向けば鞄から取り出した一つの小さな紙袋をそう言って私の手の上にのせる。

「これは……」

 袋の中に覗くのはきらきらした液体の詰まった小さな小瓶。

「あたしの好きなブランドのグロスなんだけど、落ち着いた色にしたからあなたでも使いやすいかと思って……」

 柊さんは言いながら少しだけ不安そうに頭をかく。

「これを、私が……」

「そう、この色ならしっかり化粧する時以外でも普段使い出来るんじゃないかしら、あ、でも別にだからって嫌なのに使う必要はないわよ、ただ、使ってみようかなって思えたら、その時に使って欲しい、それだけだから、あまり重く考えないでね」

 私がポツリと呟いたその言葉をどう受け取ったのか、それは分からないけど、柊さんは少しだけ慌てた様子でそう付け加えて、それから少しだけ笑って見せる。

 だけど残念なことに私が考えていたのは柊さんの思っているであろうこととは全く真逆のことだった。

「……私、少し前から柊さんに頼もうと思ってたことがあったんです」

 元々近いうちに伝えようと思っていたこと。

 それが少しだけ前倒しになっただけ。

 私は紙袋を胸に抱いて柊さんのほうを真剣に見つめるとそう切り出した。

「あら、何かしら? あたしに出来ることならなんでも言って頂戴」

 柊さんは何の迷いもなくそう言ってまた笑顔を浮かべる。

「あの、私に、化粧を教えてくれませんか……?」

 だから私も、迷うことなくその言葉を口にすることが出来た。

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