次の休日、あたしは橘と一緒にファミレスに来ていた。
もう一人は、都合が合わなかったから二人きりだ。
「せっかくの休みなのにどうしたんだよ真夏、俺だって暇じゃないんだぞー」
ドリンクバーでくんだメロンソーダをストローを使って飲みながら橘がぼやく。
「暇じゃないなんてことないでしょ、あなた彼女いないんだから」
あたしはそんな橘に文句をつけながらアイスココアに口をつける。
「恋人いないからって暇とは限らねぇだろ、っていうかお前もいないだろ彼女なんて、お前こそ最後に相手いたのいつだよ」
「うるさいわね、そんなことどうでもいいでしょ」
確かにあたしにも今そういう相手はいないけど、橘みたいに相手が欲しいのにいないわけではない。
元々今はそういう相手が欲しくないからいない、それだけの話。
「……なんか機嫌悪いな、お前が呼び出したんだぞ……」
橘は言いながら飲んでいたメロンソーダのコップをテーブルに戻す。
そう、あの日開いたSNSの相手は橘だった。
今日、相談に乗ってもらうために。
「……悪かったわね、別にあんたに当たり散らしたいわけじゃないのよ」
あたしは謝りながらまたココアに口をつける。
最近やけに喉が乾く。
それにあまりイライラするのは肌に良くないのに。
「それは分かってるから気にしてねーけど、お前がそこまで機嫌悪いの珍いんじゃねーの」
「だから困ってるのよ……」
橘の言うとおりだった。
あたしのキャラはいつだっておせっかいで明るくて、取っつきやすいそういう相手。
それなのに、最近はそんな仮面すらずれて、今にも外れてしまいそうな具合だ。
「ふーん、ま、ほら聞いてやるから話してみろよ、何があったんだよ」
橘は散々文句をつけながらもいつだって最後はちゃんとこうして話を聞いてくれる。
学生時代からの付き合いだからあたしの素も知っているし、だから今回の相談相手には最適だと思ったけど、やはりそれは正解だったようだ。
「……あたし今同居人がいるのよ」
何の気なしに、あたしは今までまだ誰にも話していないその事実を伝える。
「へー、同居人同居人……同居人!?」
何度か復唱した後に橘は驚いたように声を上ずらせるから。
「ちょっ、声大きいわよ!」
あたしは慌てて窘める。
「わ、悪い……同居人って、やっぱり彼女か?」
「それが、そういうわけじゃないの」
まぁ、一緒に住んでいる相手がいる、そう聞けば真っ先に出てくるのはそういう人だろう。
だけど、今回はそういうわけじゃない。
「じゃあ誰なんだよ」
橘のそれは当然の疑問だった。
「……覚えてる? 鈴奈小雪さんって子」
あたしは少しだけ声を潜めて橘にそう問いかける。
鈴奈さんは会社でもそれなりに有名だし、給湯室の時には橘もいたから分かるとは思うけど。
「ああ、あの地味めの、たまに悪い噂流れてる子だろ?」
「そう、デザイナーチームのなかでも特段センスの良い子よ」
橘の嫌な覚え方を塗り替えるようなあたし的な彼女の魅力を語っておく。
「そういえばお前あの子の服のファンだったな」
「……今同居してるの、その子なのよ」
あたしの言葉にへえへえ言っている橘にさらに声を小さくしてそう、呟く。
「……やっぱり、お前彼女じゃねーか! 何、やっと誰かと付き合い始めたのか?」
「だから、別にそういうのじゃないって言ってるじゃない、声大きいし、それにやっとって何よ」
勢いよく橘が机に手をつくからコップのメロンソーダが飛び散って少しだけテーブルを濡らす。
やっぱりでもないし、何がやっとなのか意味が分からない。
「……じゃあ何で一緒に住んでるんだよ」
「彼女今ストーカーに困ってて、そいつから守る為にルームシェアしてるのよ、恋人のふりして」
だからあたしは橘の懸念材料を取り払うためにあたし達の現状を軽く伝えておく。
沢山の人間にこれを伝えるのは憚られるが橘なら大丈夫だというそれだけの信頼がある。
「……ほんとーに何でそんな拗れたことになってんだよ」
「そこまでは別にいいのよ、あまりの無防備さにたまに心配にはなるけど」
言いながら頭を抱える橘にあたしは一応本音を伝えておく。
本当に、そこまでは何の問題もないことなのだ。
「ふーん……」
それでも橘は納得いかないといった様子で目の前のストローを噛む。
そういう子供みたいなことするからモテないのよって、いつもなら注意するけど、今はどっちでも構わない。
「で、最近はストーカーも現れなくて、っていってもいなくなったわけじゃないと思うわ、何か、しようとしてる感じはするもの、でも、それとは別の問題が発生したのよ」
そう、あの男はあの男であたしの過去を探ったりして、何か行動を起こす準備をしているのは確定しているようなもの。
でも、今はそれ以上に困っていることがあるのも事実。
「それだけでも充分な問題なのにそれ以上何があったって言うんだよ」
「自分の気持ちが、感情が分からないの」
ストーカー問題の重要性を加味しながらもそう聞き返してくる橘にあたしはそのまま言葉にして伝える。
「どういうことだよ……」
だけど返ってきたのは当たり前の反応だった。
「あたしは、彼女の会社での不当な扱いも嫌だったし、磨けば輝くのも分かってたからルームシェアついでに色々させてもらったの、可愛い服着せたり、化粧してあげたり、そうしたら……最近は自分で化粧をしたいってあたしに習ったりもして……」
「いいきらいじゃねーか、それの何が不満なんだよ」
あたしの説明に橘はいいきらいと言った。
そう、とてもいいきらいなのだ。
それは事実で、あたしだっていいことなのは頭では理解しているし、それを目指していたのも事実。
それなのに今のあたしは
「……前向きになって、輝きが増す度になんか心の置奥のほうがこう、ざわざわするのよ、それに……最近彼女がお洒落を封印するようになった原因の人に再開したみたいで、そんなやつほっとけって言ったんだけど、ちゃんと向き合いたいって言われて……いいことの筈なのに、ちゃんと喜べなかった……」
そんな彼女を純粋に応援出来なくなっていた。
以前からそのきらいはあった。
だけど確実に自覚したのはあの日、彼女に昔暴言を浴びせた男との再開の話を聞かされたその日からだ。
向き合えることは良いことなのに、何故か手放しに頑張れと言ってやれなかった。
「へぇ……相手は、男?」
橘は黙ってあたしの話を聞いていたかと思うとまるで知っていたみたいに的確に答えを言い当ててしまう。
「よくわかったわね、男、しかも昔告白した相手ですって」
「……俺はお前の感情分かったけど」
はぁっとため息まじりにそう答えればさっきまでの元気さはどこへやら、疲れたように目尻を下げて、橘はそれだけ言ってのける。
「本当に……? それなら」
「でも教えねー」
教えて欲しい、そう言おうとしたのに、橘は事前にそれを遮ってしまう。
「なんでよ……」
橘が分かったのならそれを教えてくれれば全てがまるく収まることなのに、何故教えようとしないのか、それが少しだけ不服で、文句をつければ
「自分でよく考えたら分かることだからだよ、やっとあの日から進もうとしてるんだよお前も、それは自分の力で気付いて、進まないといけないことだから、俺からはこれしか言えないわ、悪いな」
橘は嫌な思い出を抉るようにそう言ってからメロンソーダのストローを避けてコップに口をつけるとそのまま中身を飲み干してしまう。
「……散々考えたわよ、それで分からなかったからあなたに相談してるの、それに……あの日のことは関係ないでしょ……」
そう、自分で考えてどうにかなっていたらこうして橘に相談なんてしていない。
そもそもの話、あの日のことはこの件とは一切関係ない、そう、関係ないのだ。
「……お前があの日のことと向き合おうとしないならこの話は終わりだよ、向き合わないならその感情とは向き合えないし、分かろうにも、無理な話だ、諦めろ」
橘はそれだけ言うと持っていたコップをテーブルに戻して、それから財布を開いて千円札を一枚机に置くと早々に鞄に手を掛けて立ち上がる。
「……」
自分のことが分からないことを諦められたなら、そもそもこんな話はしていない。
だけど、橘が言っていることもまた的を射ているようで、あたしは何も言い返せない。
「そろそろ、お前も前に進めって話、それ以上でも、それ以下でもない、これで話は終わりだ」
橘は最後にそれだけ言うと、黙り込んだあたしを置いてファミレスを出ていった。