1. 追放された宮廷魔法士
一筋の朝の光が、フローレンス王宮の集会場に差し込んでいた。いつもの朝礼の時間、同僚である宮廷魔法士たちのざわめきが静かに響く中、私は自分の立ち位置についていた。そこへ私たちの筆頭魔法士であり、このフローレンス王国で最も偉大な魔法使いと名高いシャーロット=マリーゴールド女史が現れる。彼女の纏う威圧感は、場の空気を一瞬で引き締める。
そして、その張り詰めた沈黙の中、彼女の言葉がまるで鋭い刃のように私に突き刺さった。
「今日であなたはクビです。今までフローレンス王宮の宮廷魔法士としてお勤めご苦労様でした」
「……はい?」
一瞬、何を言われたのか理解できなかった。クビ?私が?脳が真っ白になり、声が震える。
「あの……納得できません!私が何をしたと言うのですか!」
私の動揺とは裏腹に、シャーロット女史の瞳は冷たい光を宿していた。
「しらじらしい。あなたは、昨日この王宮の禁書庫にある禁書棚に勝手に入り込んで貴重な古代文献を持ち出したと聞いてます」
その言葉を聞いた瞬間、私の心臓は凍り付いた。同時に、周りにいた同僚たちの間にざわめきが広がるのを感じた。彼らの視線が一斉に私に集まる。好奇心、驚き、そして疑念――様々な感情が入り混じった視線に晒され息苦しくなる。
禁書庫?古代文献?私の中では全く身に覚えのない話だった。だって昨日は休みだったのだ。王宮から一歩も出ていないし、ましてや禁書庫になど入るはずがない。
そもそも王宮の書庫、特に禁書とされる場所は厳重に管理されており許可なく入ることも文献を持ち出すことも絶対禁止されている。それに、あの禁書庫の奥深くにある古代文献は……そんなことしても意味がないはずなのに…… 様々な言い訳と反論が頭の中で渦巻く。
「あなたは非常に優秀な人材です。正直……にわかに信じがたいのですが、この二人が目撃しているのです。エレイナ、アストン。あなたたちは彼女が禁書庫から古代文献を持ち出すのを見たのですね?」
その呼びかけに応じたのは、エレイナ=キャンベルとアストン=ナミルだった。彼らが前に進み出るたび、彼らの貴族らしい洗練された装いが、私の地味な宮廷魔法士の制服と対比されて、より一層自分が場違いな存在であるかのように感じられた。
「はい……見ましたわ!この目でハッキリと!」
「間違いないですよ!オレも見たんで」
エレイナとアストン。二人とも名門貴族の出身で、この国でも指折りの才能を持つ若き魔法使いだ。そして、二人とも筆頭魔法士であるシャーロット女史のおこぼれにあずかりたい一心で、いつも彼女にすり寄っていた。
特にこの二人は平民出身でコネも後ろ盾もない私が、努力だけで彼らと同じ地位にまで上り詰めたことを快く思っておらず、何かと理由をつけては私につっかかってきた。
二人の、あまりにも堂々とした嘘の証言により、周りの宮廷魔法士たちの私を見る目が変わった。さっきまでの驚きや疑念は消え失せ、代わりに明確な非難の眼差しが向けられる。彼らの間には「あの二人が言うなら、きっとそうなんだろう」という空気が満ちているのが痛いほど伝わってきた。
信頼していた同僚たちがあっという間に見知らぬ他人、いや、私を罪人を見る目に変わっていく。その孤独感に全身の血が冷たくなっていくのを感じた。
納得いかない……!心の中では叫び声が響いていた。どうしてこんな理不尽なことが許されるのだろう?私が何もしていないのに、なぜ彼らの嘘で全てを奪われなければならないのか?
「嘘をつかないで!私がそんな事……」
堪えきれず小さく反論の声をもらした、その時だった。
パンッ!!
乾いた、そして衝撃的な音が、しんと静まり返っていた集会場に響き渡る。エレイナの平手が私の頬に炸裂したのだ。
あまりのことに、私は何が起きたのか理解できず、ただ呆然と立ち尽くすことしかできなかった。頬が熱い。ジンジンと痛む。
痛い?どうして?なんで私が叩かれるの?
目の前が少し歪んで見える気がした。混乱と痛みが私の思考を鈍らせる。この状況が全く理解できなかった。
「嘘?いい加減にしなさい。見苦しいわよあなた?」
エレイナの声が嘲るように私の耳に響く。彼女の表情は歪み、憎悪と軽蔑に満ちていた。
「あなたのような身分の低い平民風情が、古代文献を読んで魔法の知識を得て、私たちと同じ貴族の立場になれると思ったのかしら?身の程を知りなさいな」
その言葉に、周りの同僚の魔法士たちまでが、抑えきれないといった様子で笑い出した。クスクスという小さな笑い声は、すぐに大きな嘲笑の渦となった。私が打ちのめされているのを見て楽しんでいるかのような表情さえ浮かんでいた。
そうか……これなんだ。身分の高いものは、身分の低いものを見下す。それはどこの国でも変わらないことだった。ましてやここは王族が住まう、この国の頂点に位置する場所だ。
平民出身の魔法士など、彼らにとってはいてもいなくてもいい存在、いや、邪魔な存在でしかないのだろう。だから誰も私を助けようとしない。私を叩いたエレイナを非難する声も、止める声も、一切上がらない。彼らにとって私はただの笑いもの、排除されるべき異物だった。
悔しかった。自分が何もしていないのに、突然辞めろと言われ、挙げ句の果てには私を陥れた貴族に衆人環視の中で殴られたのだ。この理不尽さに心臓が張り裂けそうだった。頬の痛みよりも心の傷の方が深くえぐられていくのを感じた。
「アイリーン=アドネス。あなたは平民出身でしたが、凄く優秀でした。それに、フローレンス王国第一王女のクリスティーナ様のご友人でもある。それに免じて、解雇処分で許しましょう。本当は、王宮への背信行為として極刑でもいいくらいの罪です。」
「さっさと荷物をまとめて出ていきなさい、犯罪者!」
「もう二度とオレたちの前に現れるなよな?」
集会場の豪華な装飾や壁に飾られた歴代の筆頭魔法士たちの肖像画が、まるで私を嘲笑っているかのように見えた。かつては私の努力を認め、私の居場所を示してくれていたはずのこの場所が、今では私を追放する檻のように感じられる。
そしてそのまま私は、彼らの嘘と身分による差別によって、理不尽な理由でフローレンス王宮の宮廷魔法士の地位を追われた。私の全てだった場所を、こうも簡単にそして一方的に奪われたのだ。