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46. 後悔

46. 後悔




 夜の帳が下り、街は深い静寂に包まれていた。辺りには街灯の朧げな光が影を長く引き伸ばし、昼間の喧騒が嘘のように、冷たい空気が肌を撫でていく。


 こんな夜更けに、私のようなまだ若い女の子(?)が一人で出歩くのは、明らかに危険極まりない行為だろう。それでも、背に腹は代えられない状況だった。


 私の胸には、どうしても確かめなければならないことが重くのしかかっていたから。まずは、『ゲート』が本当にこのカトラス王国に存在するのかどうかをこの目で確認する必要があった。カトラス王城内を、それこそ隅々まで調べ尽くしたけれど、今のところ特に異常は見当たらない。となると、残る怪しい場所はただ一つ。私の思考はある一点に収束していた。


「やっぱり。あそこが一番怪しいかな……」


 私は、街の中心にまるで夜空を貫くかのようにそびえ立つ時計塔を見上げた。昼間は街のシンボルとして、その鐘の音が人々の活気に満ちた声と混ざり合い、賑わいの中心となっていたあの塔も、今は静かにただ巨大な影となって夜の闇に溶け込んでいる。あの時計塔にこそ何か秘密が隠されている――私の本能がそう確信していた。


 微かな物音さえ立てないように気配を消して、私は慎重に一歩ずつその塔へと近づいていく。時計塔の重厚な扉の前には、二人の兵士が見張りをしていた。夜の静けさの中、彼らの他愛ない話し声が風に乗って微かに耳に届く。このままでは容易に忍び込むのは難しそうだ。どうにかして侵入経路を探そうと、辺りを見回しながら考えていると、突然背後から声をかけられた。


「もしかしてイデアさんですか?」


 思わず肩が跳ねる。振り返ると、そこには見慣れた顔があった。


「え……。リアンさん?どうして、ここに?」


「私は街の警備を兼ねて巡回していたんですよ。そうしたら、遠目ですがあなたの姿が見えたものですから」


 まずい。一体何を言えばいい?咄嗟に言い訳を考えなければ。頭の中を様々な言葉が駆け巡り、私は一番無難だと思えることを口にした。


「へー、そうだったんですか。私は、その……ちょっと散歩をしてただけです。昼間見たあの時計塔が、なんだかすごく気になってしまって!」


「そうでしたか。それはそうと、どうして一人で来たんですか?このような時間に」


「そ、その……。姫様には、黙っておきたかったんです。だって、もし私がこんな時間に一人で出歩いてるって知ったら、姫様はきっと心配するでしょうし……。優しい方ですから」


「なるほど。そういうことであれば、私に任せてください。せっかくですから、このカトラス王国のシンボルでもある時計塔に、入ってみましょうか」


「えっ!?いや、それはマズいんじゃないですか?見張りもいますし……」


 まさか、リアンさんがそんな提案をしてくるとは思わなかった。見張りの兵士がいるのにどうやって入るつもりなのだろう?


「大丈夫ですよ。私についてきてもらえれば」


 リアンさんはそう言うと、私に先を促した。警戒心は拭えなかったけれどここで断る理由も見つからない。それに彼の助けがあればあの怪しい時計塔の中に入れるかもしれない。私は彼に言われるままについていくことにした。


 そのまま時計塔の裏手に回り込んだ。そして壁の一角を軽く押した。するとまるで石が意思を持ったかのように動き、音もなく隠し扉が現れた。


「この扉は……?」


「これは隠し通路なんですよ。ほら、ここを押してみてください」


「あっ、開いた!」


「これで中に入れるようになりました。それじゃあ、行きましょうか」


 なぜ、リアンさんがこんな隠し通路を知っているのだろうか?王国の警備をしているとはいえ、これは王族やごく一部の人間しか知らない秘密のはずだ。彼の素性に対する疑問がふつふつと湧き上がる。


 しかし、今はそれよりも先に進むことが重要だった。私たちは、薄暗く湿った空気が漂う階段を下りていった。足音が響くたびに古い石が軋むような音が聞こえる。しばらく進むと、空間がぱっと開け私たちは広い場所に辿り着いた。


 しかし、その場所は異様な雰囲気に包まれていた。空気は重く冷たい。どこからともなく、微かな耳につく音が響いている。さっきから私の体からは止まらない冷や汗が流れ落ちていた。


 この場所は危険だ――私の本能が、警鐘を鳴らし続けている。それに、普通、時計塔に何か秘密があるとしたら、上に登っていくものなのではないだろうか?なぜ、私たちは地下へと降りてきたのだろう。


「ここは一体……?なんだか、すごく嫌な雰囲気がしますね」


「そうですね。実は、ここは……地下牢なんです」


「え?地下牢?」


「まぁまぁ、落ち着いてください。とりあえず、私の後についてきて下さい」


 リアンさんはそう言うと、私に背を向けて歩き出した。私は彼の背中を見つめながら覚悟を決めて後を追う。薄暗い通路を進んでいくと、鉄格子の並んだ空間が見えてきた。


 そしてリアンさんは一つの牢屋の前で立ち止まった。そこにいたのは、信じられないほど痛ましい姿の男だった。全身は傷だらけで、衣服は血と汚れにまみれている。今にも、その命の炎が消えそうなくらい弱り切っていた。


「この人は!?早く治療しないと!?」


 私は思わず叫んでいた。目の前の光景があまりにも悲惨で、放っておくことなどできなかった。私がそう叫んだ、その瞬間だった。リアンさんの表情がこれまでとは全く違うものへと変貌した。柔和だったはずの顔から一切の表情が消え失せ、代わりに冷酷な嘲りが浮かび上がる。


「……そして、その男こそが、ジギル王子の側近騎士のリアンですよ。イデアさん?」


 ヒュン、という風を切る音が、閉鎖された地下空間に響き渡る。それはただの剣筋ではない。明確な殺意が込められた、研ぎ澄まされた一撃だった。まるで、夜の闇そのものが刃となって襲いかかってきたような感覚。


 私の身体は、意識するよりも早く反応していた。本能的な危機回避能力が、私を突き動かした。剣を抜く暇はない。腰の剣の柄に手をかけつつ、私は身を捻って剣の軌道から外れると同時にその勢いを利用して後方へ跳んだ。


「勘のいい人間だ。昼間、お前を見たときに思ったよ。こいつはヤバい。早めに始末しておいた方がいいとな。そしたらまさか、お前の方からのこのこ来るとはな?運がいいんだか悪いんだか」


 目の前の男は、先ほどまでのリアンさんの面影を一切残していなかった。声色も、纏う空気も、全てが冷たく歪んでいる。


「……『ゲート』はどこにあるの?答えなさい」


「お望みなら、今作り出してやろうか?」


 その言葉に、私の心に微かな安堵が広がった。まだ、『ゲート』はこの国にはないということか。間に合った――。私はそのまま腰の剣を抜き、改めて構え直す。


「おいおい。オレが誰だかわかってるのか?魔王軍の幹部の1人……」


「……『砕塵のグラド』。魔王軍の四人の幹部の1人。属性は地。性格は残忍非道で、生粋の戦闘狂。人も魔族も魔物も関係なく、ただ殺すことを楽しむ奴だってことは、知っているわ」


「ははははは!!よく知っているじゃないか!!それでこそ、殺しがいがあるってもんだぜ!!!そして、後悔しろ!このオレと出会ったことをな!」


 グラドの哄笑が、地下牢の壁に反響する。彼の纏う魔力が、明らかに膨れ上がるのを感じた。しかし、それは、私が過去に戦った魔王軍幹部のそれに比べれば、遥かに弱い。


 ……お前の魔力が完全なら、話は別かもしれないけれどね?今のこの状況なら間違いなく私の方が強い。魔王軍幹部だろうと何だろうと負けるはずがない。ここでこの男を止める。それが、この世界の未来のために私が果たすべき役目だ。


「なんだ?随分、余裕じゃないか?」


「あなたには、絶対に負けないもの」


「そうか……ならば、死ね!!」


 グラドは、唸るような声を上げると、地面を思いっきり殴りつけた。ズン、という鈍い音と共に地下牢全体が激しい地震のような揺れに襲われる。天井から埃が舞い落ち、壁が軋む音が響く。しかし、それも私の想定内だった。地の魔力を持つグラドなら、当然のように使う手だ。


 むしろ、私のことをただの温室育ちの姫騎士だと思っているならそれは大間違いよ。私は地震の揺れに微動だにせず、瞬時にグラドの懐に入り込んだ。そして聖なる力を纏わせた剣で、彼の一番の隙を突いて一撃をくらわせる。


「ぐはっ!?」


 グラドは予想外の攻撃に呻き声を上げ、口から血を吐き出した。そしてそのまま地面に膝をつく。グラドの顔には、苦痛と、そして何よりも信じられないという驚愕の色が浮かんでいた。


「……何をした?」


 そう震える声で問いかけてきた。自分が一撃で、しかもこれほどあっさりと倒されたことが理解できないという様子だ。


「なにって?別に、剣を振り抜いただけよ?」


「バカな……勇者でもなんでもないお前ごときが……」


「教えてあげる義理はないわね。さっきの言葉、そっくりそのまま返してあげるわ。後悔しなさい!ここで私と出会ったことを!『―――我が呼びかけに応え、顕現せよ。光の刃、聖天の輝き』!」


 私は剣を高く掲げ、秘めた魔力を解放する。私の身体から溢れ出した聖なる力が握りしめた剣に集まっていく。剣身が眩い光を帯び地下牢の闇を切り裂く。


「な、なんだそれは!?その魔力……精霊の……まさか貴様は!?」


 グラドは、私の放つ聖なる力に気づき、目に見えて動揺した。その顔から余裕の色は完全に消え失せ、焦りと恐怖の色が浮かぶ。私の力の根源に気づいたのだろう……でももう遅いわ


「地獄で、後悔するのね?さよなら」


 私は、光を帯びた剣を横一線に、迷いなく振り抜いた。放たれたのは強烈な光の斬撃だった。それは、まるで夜空に描かれた一条の光のように、直線的にグラドへと飛んでいく。グラドは咄嗟に両腕をクロスさせて防御しようとするが、聖なる力を持つ光の斬撃は、彼の肉体をその防御ごと容赦なく真っ二つに斬り裂いた。


 地下牢に、グラドの絶命の叫びが響き渡る。そして、次の瞬間には、彼の存在はまるで塵のように掻き消え、何も残らなかった。


 静寂が戻る。冷たい空気とどこか湿った土の匂いが鼻をくすぐる。私の手の中にある剣の光もゆっくりと消えていった。私はそこで初めてへたり込むように地面に座り込んだ。身体から力が抜け、どっと疲れが押し寄せてくる。しかしそれと同時に安堵のため息が漏れた。

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