目次
ブックマーク
応援する
1
コメント
シェア
通報

第14話 寝顔

 柊が入院した翌日、俺は病院へ足を運んだ。病室へ入る勇気がなくて、ドアの前でウロウロしていると主治医に見つかった。


 主治医の秋里は、すぐに俺と柊の関係を察したようだった。「いつ仲直りするのかな」と聞かれたので「喧嘩をしたわけではないから、分かりません」と答えたら、ため息を吐かれた。


「きみ、情けない男なんだな」


「……柊は、元気にしていますか」


「問題ないよ」


「どんな風に問題ないんですか? 何が大丈夫なんですか?」


 体調を崩していないか、腹の中の子は元気に育っているのか、気になることは沢山ある。しつこく食い下がる俺を、秋里が疲れた顔で見る。


「そんなに気になるなら、柊くんの顔を見てきたら? 今ちょうど薬が効いて、眠ってるはずだから」


「……はい」


 そっと病室のドアを開けて部屋に入ると、秋里が言った通り柊は眠っていた。すうすうと規則正しい寝息を立てている。ベッドの傍らの椅子に腰かけて、寝顔を見る。確かに顔色は良い。


 入院してしばらくの間は、薬で眠っている時間が多かった。その隙に病室へ入って、柊の寝顔を見る。二週間後からは、病室で学校のオンライン授業を受けるようになったと秋里から聞いた。


 一ヶ月が経つと、もう眠るための薬は柊に必要なかった。良かったと安心する一方、柊の寝顔を見ることが出来ないので不安だった。病院へ行ける日は毎日でも通って、秋里から柊の様子を聞き出した。


 体調は良いのか、悪いのか。


 今日は何を食べたのか、勉強は進んでいるか。


「そんなに心配なら、病室に会いに行けばいいだろう」


 呆れたように秋里が俺を見る。


「今さら、どんな顔をすればいいか分からないです」


 柊が入院してから既に二ヶ月が経っている。頻繁に病院に来ているが、直接柊と会ったわけではない。妊娠したパートナーを見舞うことなく放置している非情な人間。彼からは、そう思われているはずだ。


 柊との最後の会話は何だっただろう。彼はずっと下を向いたままで、何を考えているか分からない感情の無い声だった。思い出す度に、ぎゅっと胸が苦しくなった。



◇◇◇



 須王自動車に合併話が持ち上がったのは、年が明けてすぐのことだった。


 臨時株主総会で両社の経営統合が発表された。突然のことに社内は騒然となった。もちろん、俺のいる品質保証部も同じだった。


「フランスの自動車メーカーと合併だって」


「電気自動車のシェアが世界一のところだろ」


「うちは遅れをとってたからなぁ」


「まさか吸収合併か?」


「マジかよ? クビになるとか勘弁だぞ」


 呆然とする社員や、頭を抱える社員もいる。


「須王は、何か聞いてたのか」


 視線を一斉に向けられて、俺は皆に頭を下げた。


「……すみません」


 俺は、知っていた。須王の本家に呼ばれて、柊の祖父からその話を聞いた。合併後には役員に名を連ね、経営に携わることになっている。


「経営陣の中に須王の名前を入れたいだけだよ。君は何もしなくていい」


 柊の祖父にはそう言われたが、何もしないわけにもいかない。俺は他の役員たちと一緒に何度かフランスへ渡った。詳細な手続きを経て、正式に経営統合が完了するまで数年はかかるらしい。


 日本とフランスを行き来する生活には、なかなか慣れなかった。柊は安定期に入ったが、俺が不在がちなせいで退院は先延ばしになっている。


 彼のことが気がかりだと漏らすと、秋里が定期的に柊の様子を報告してくれるようになった。「特別個室の患者様だからサービスな」と言っていた。秋里も忙しいようで、報告は二日に一度だったり、三日に一度だったりした。


 俺は毎日連絡が欲しくて催促した。柊が今日、何を食べたのか、元気なのか、どんな様子なのか、その報告だけが日々の支えだった。


 柊は、須王自動車の合併をニュースで知ったようだった。


「心配してたよ。すぐにお祖父さまに連絡して、きみがいまどこにいるのか確認していたからな」


「そう、なんですか……」


 柊が? 


 本当に、心配してくれたんだろうか。


「柊くん、このまま退院せずに出産するのもいいかもな。家でひとりだと、きみも何かと心配だろう」


「……そうですね。病院にいてくれたら、俺は安心です」


 最近は、ほとんど社宅に帰っていない。フランスにいる時間のほうが長いからだ。


「あ、そうだ。後で画像を送るよ。柊くんのお腹、結構大きくなったから」


「お、お、大きく……?」


 あの、抉れたように薄い腹が、大きくなっている?


「撮るのかなり苦労したんだよなぁ。ほら、病院の建物の東側に庭があるだろう? 運動不足にならないように、柊くん毎日そこを散歩してるんだよ。ちょうどサクラソウが咲いてたからさ、それを撮るふりして柊くんを写真におさめといた」


 なんて良い人なんだろう。催促してもなかなか柊の様子を報告してこない秋里を心の中で密かに罵っていたので、申し訳なく思う。


「は、は、早く送ってください……!」


「分かったよ。でも、あれ? 通話しながら画像どうやって送るんだ?」


「簡単ですよ。分かりませんか? じゃあ、切りますから」


 そう言って俺は即座に通話を切った。「いきなり切るなよ」という怒りのメッセージと共に、柊の画像が送られてきた。


 病院の敷地内にある庭。淡紅色のサクラソウが群生している中に、柊はいた。ゆったりとした服を着て、膨らんだ腹を守るように手を添えて立っていた。 


「柊……」


 その画像をすぐに待ち受けに設定した。暇さえあれば、俺はその柊を眺めていた。


この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?