本格的な陣痛が始まって、一時間くらいかけて産まれた。
予定日よりもかなり早かったけれど、まれにそういうこともあると聞いていたので特に心配はしていなかった。
男性Ωは、ほとんどが安産だ。僕の場合もそうだった。
痛みはあったけど、それよりも大量に流れる自分の汗に驚いた。いきむ度に汗が顔から滴り落ちる。今は六月だ。真夏じゃなくて良かったなと考えていたらもの凄く苦しくなって、そうして、するりと産まれた。
女の子だった。
脱力しながら、ぜぇぜぇと荒い息をしていたら胸の上に赤ん坊を置かれた。「おめでとうございます」と主治医の秋里に声を掛けられる。
目の前にいる赤ん坊は、あまり自分には似ていないように思えた。産まれたばかりの子供というのは、そういうものなのかもしれない。
運動不足解消のために病院内を歩き回っていたら、新生児室に行き当たったことがあった。ガラス越しに見た赤ん坊たちの顔は、みんな同じに見えた。
自分が産んだ子も、その新生児室へと運ばれて行った。自分の病室へ戻り、安心するとどっと疲労が押し寄せてきた。瞼が重くなって、僕はすぐに眠りに落ちた。
目を覚ますと、そばに宗一郎さんがいた。僕のベッドに突っ伏すようにして眠っていた。何度も瞬きをしながら、ようやくこれは現実なのだと知る。
宗一郎さんは、驚くほど痩せていた。
疲れ果てて、弱っている。衰弱したライオンみたいだった。疲労の色が滲む寝顔を見て、胸が押しつぶされそうになる。そっと、雛鳥をすくい上げるみたいに優しく彼に触れる。
ずっと、そうだった。
僕と出会ってから、この人は少しずつ弱っていった。
◇◇◇
僕が物心ついた頃には、もう父と母はいなかった。父は事故で亡くなり、母は免疫不全の症状が悪化して、父の後を追うようにして逝ってしまったという。
両親の記憶は、ほとんど残っていない。初めから無いに等しい存在だった。だから、特別悲しいと感じたり自分を不幸だと考えたりすることもなかった。
不幸どころか、僕はかなり恵まれた人間だった。須王という大きな家に生まれ、当主である祖父に可愛がられて育った。何でも自分の思い通りになっていた。
でも、バース検査でΩの判定を受けてから、少しずつ世界は変わっていった。季節ごとに体調を崩すようになり、風邪をこじらせて入院することが多くなった。母と同じように、僕にも免疫不全の症状が出始めた。
たくさん肉を食べると気持ち悪くなって吐いてしまう。食べられる物を口にしても、すぐに満腹だと感じて、それ以上は胃が受け付けない。
そのせいなのか、体はほとんど成長しなかった。中学生になっても、小さいままだった。それなのに、同級生の、特にαと判定を受けた者たちの肉体は日を追うごとに逞しさを増していった。
周囲の僕を見る目も変わった。「須王家の人間」ではなく「免疫不全を患った可哀想なΩ」。それが僕だった。
「須王が休んでいる間に授業が進んだところ、教えられる箇所はあると思うから。困ったことがあったら、言えよ」
親切そうに笑う同級生の目の奥に、嘲りがあることを知っている。少し前に、今よりもずっと楽しそうな顔で「そのうち須王をヤるから」と他のα達に言っているのを聞いた。
「すぐ壊れそうだな、小さいし」
「壊れないって。Ωだぞ?」
「大人しそうな顔してるけど淫乱なんだろうな」
「聞きたいなぁ、須王の喘ぎ声」
α達は、本当に、心底楽しそうに笑っていた。その明るい笑い声にゾッとした。αが皆、ああいう人間だとは思わないが、多かれ少なかれ強者特有の考えをするだろうことは想像できた。
そういうαに縋らなければ生きられない自分の未来を考えたら絶望的な気持ちになった。
嫌だ。絶対に嫌だ。
発情期は薬でコントロールすることが出来る。免疫不全さえ治療できれば、αに頼らなくても生きていける。
色んな薬を試した。でも、どれも効果はなく副作用に苦しむだけだった。免疫不全は悪化する一方で、僕の体は、いつまでも小さいままだった。
「いつもごめんね? 助けてくれて、本当にありがとう」
作り笑いでしか自分を守れないことが惨めだった。
結局、自分に合う薬を見つけることが出来ないまま、僕は高校生になった。