僕に見合い話が来ていると知ったのは、高校二年の秋だった。祖父の部屋に呼ばれ、そこで初めて話を聞いた。
「柊にとって、とても良い相手なんだよ。このαと一緒になれば、何の問題もなく暮らせるようになる」
祖父が言う「良い」というのは、おそらく家柄が良いということだろう。同じような家柄の相手と結婚するのが当然だという考えが須王にはある。
「家でゆっくりしなさい。もう、学校へは行かなくてもいいから」
祖父は上機嫌でウイスキーのボトルを開ける。
「受験があるので、学校へ行って勉強します」
独学だけで大学受験に挑むのは、さすがに難しい。少しでもレベルの高い大学へ行きたいから、学校できちんと勉強したい。
「大学なんて行く必要ないだろう。柊は、ただ家にいてくれたらいいんだよ」
「でも、大学へ行かないと須王の会社に入ったときに困ると思います。お祖父様も知っておられると思いますが、僕はずっとトップの成績です。だから、きっと良い大学へ行けるはずです」
ずっと努力してきた。αにだって負けなかった。
「勉強とか受験とか、そんなことをしなくて良いんだよ。須王の会社のことは、会社の人間か、番になるαにでも任せておけばいい」
満足そうに笑う祖父を見て愕然とする。
「そんな、僕は……」
「柊は、Ωなんだから」
須王の家に生まれて、自分も何か須王の役に立ちたかった。免疫不全を克服して、βのようになればそれが出来るはずだった。光が見えたと思った。でも、何も望まれてはいなかった。
◇◇◇
今日も図書室へ来たけど、勉強する気分にはなれなかった。ぼんやりとしながら、祖父の言葉を思い返す。
Ωなんだから、と祖父は言った。学園の理事長である祖父が、まさかそんな風に考えているとは思わなかった。
「でも、諦めたくない……」
祖父を説得しよう。分かってもらえるまで、何度でも自分の気持ちを訴えればいい。
そうやって前向きに考えても、気持ちはどんどん沈んでいった。今まで僕がしてきた努力は無駄だったのだろうか。
症状を克服すれば、自分の人生を生きられると思っていた。でも、それが出来ないのなら、生きている意味があるのか分からない。
ふいに、春名の顔を思い出した。今日はまだ一度も窓の外を見ていない。
春名は、今日も走っているだろう。思うようなタイムが出なくても、きっとまた笑っているだろう。もう見ない。見たくない。見たらたぶん、僕は泣いてしまうと思った。
◇◇◇
あっという間に、見合いの日がやって来た。場所は須王グループのホテルのラウンジだった。目の前にいる彼を見ても、まだ信じられない。
見合いの相手は、春名宗一郎だった。
緊張のあまり、彼を真正面から見ることが出来なかった。優秀な表情筋が仕事をして、無意識のうちに笑顔を作る。
ほとんどパニック状態なのに「素晴らしいご縁に、とても感謝しています」という、それらしい言葉が口をついて出た。
「必ず柊くんを幸せにします」
甘い声で宣言されて、体中の血が沸騰するかと思った。初めて彼の声を聞いた。すごく優しい声だった。
帰り際、春名が「体調はいいの」と声を掛けてくれた。
心臓がドタバタと暴れる。間近で見たら、春名は物凄く整った顔立ちをしていた。それに、何だかよく分からないけどキラキラしている。人間の顔が光り輝くものだったとは知らなかった。
「落ち着いています。お気遣いありがとうございます」
きちんと言うことが出来た自分を褒めたい。ほとんど腰が抜けた状態だったからだ。笑顔で会釈して、僕はヨタヨタと歩き、なんとか迎えの車に乗り込んだ。