宗一郎さんの卒業式の直前、僕は体調を崩してしまった。
今回ほど、免疫不全を恨んだことはない。彼の卒業式に出られなかったし、結婚式も見合わせることが決まった。
ショックだった。僕は、密かに宗一郎さんの新郎衣装を楽しみにしていたのだ。
宗一郎さんは凄くスタイルが良いから、タキシード姿は絶対に様になる。
カラーは白。いや、シルバー系でも良い。もちろん、黒だって似合うだろう。ブラウンやベージュも見たい。
とにかく、三回くらいはお色直しをして欲しいというのが僕の希望だった。
それなのに……。
「新婚早々、入院生活なんて。宗一郎さんだって呆れてるよ」
病院のベッドでひとり、ため息を吐く。
体がだるい。食欲もないし、まだ微熱が続いている。ヒートの周期も不安定になってしまった。免疫不全の症状が進んでいる証拠だ。
ひとりでうつうつとしていると、スマートフォンが震えた。宗一郎さんだった。
『体調はどう?』
心臓がドクンと跳ねる。その一言で元気になった気がした。最低、一日に一度はメッセージが届く。
頭の中で、メッセージは彼の甘い声に自動で変換される。体の奥がぎゅんぎゅんして、僕はベッドの中でジタバタと暴れた。
毎回、そうやって暴れている。一度だけ主治医にその現場を見られた。「ひとりで暴れて、どうかしたのか」と聞かれたので、真顔で「運動です」と答えておいた。おそらく誤魔化せたはずだ。
いつものように「何か食べましたか」とメッセージを送った。
少し前に「昼食を食べ損ねた」と言っていた。宗一郎さんは、大学へ通いながら須王自動車で働いている。とても忙しいのだ。
『食べたよ』
という返信が来て、安堵する。何度かやり取りして、最後に『おやすみ』というメッセージが届いた。
おやすみ、という文字も、宗一郎さんの声に変換される。甘くてとろとろで、すごく優しい声。またしても僕はジタバタと暴れる。到底、眠れるわけがなかった。
週末になって、宗一郎さんが僕の病室に来てくれた。
「特別個室ってやっぱ広いんだな」
そう言いながら、ソファに座って足を組む宗一郎さんは、モデルのようにスタイルが良かった。うっとりしながら眺めていたら、彼の顔色が優れないことに気づいた。
「……宗一郎さん、大丈夫ですか?」
少し痩せた気もする。
宗一郎さんは「何ともないよ」と言った。本当だろうか。
「大丈夫、大丈夫」
そう言って、宗一郎さんは笑っていた。
◇◇◇
入籍してから三ヶ月後、やっと退院することができた。
一度、僕は準備のために須王家に戻った。入院する前に荷物は整理していたので、時間はかからなかった。荷物はなるべくコンパクトにまとめた。今までは広い屋敷で生活していたけど、これからは違う。必要最低限の物で暮らす工夫をしなければならない。
「柊さまが、社宅暮らしなんて……」
社宅まで送り届けてもらう最中、運転手はずっと泣いていた。彼は長年、須王家に仕えてくれている人物だ。
「須王家の跡取りでいらっしゃるのに……」
「泣くなら車を停めてね、危ないから」
一刻も早く、宗一郎さんが待つ社宅へ行きたい。でもそれ以上に、事故を起こすのはやめて欲しいと思う。
「でも……うぅ……」
「あ、そうだ。これから時々、タクシー代わりに呼んでもいい? もちろんタダで」
今日から宗一郎さんと慎ましやかな庶民の暮らしを営むので、節約を心掛けねばならない。
泣きながら「もちろんです」と運転手は言った。僕の言いつけを守り、彼は何度か車を停めた。その度にぐずぐずと洟をかんでいた。
◇◇◇
「これが社宅かぁ」
五階建ての鉄筋コンクリートを目にして、感慨にふける。今日から、ここで宗一郎さんと暮らすのだ。二人で暮らせるなら、古くても狭くても、そんなものはどうだっていい。
玄関を入ってすぐの一番小さな部屋に荷物を運び込んで、僕の引っ越しは完了した。
宗一郎さんは大学の課題に集中している。僕はその隙にバスルームに籠り、人生でこんなに丁寧に体を洗ったことはない、というくらい念入りに体を洗った。
のぼせて、へろへろになりながらバスルームを出る。緊張で指が震えて、なかなかパジャマのボタンが留められない。
今更だが、僕は自分のとんでもない失態に気づいた。おそらく、僕は性についての知識が乏しい。宗一郎さんと出会うまで好きな人はいなかったので、興味もなかった。
αに対して良い印象はなかったし、いつか番を得るためにそういう行為をするのだと分かっていても、具体的に知りたいとは思わなかった。というより正直、考えたくなかった。
宗一郎さんとの結婚が決まって、調べようとは思っていた。あまりに無知だと、彼に申し訳ないような気がしていたし。
「でも、庶民の暮らしを調べるのが面白くて、つい後回しにしちゃったんだよな……」
こうなったら、宗一郎さんに全てを委ねるしかない。