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第20話 同居開始

 宗一郎さんの卒業式の直前、僕は体調を崩してしまった。


 今回ほど、免疫不全を恨んだことはない。彼の卒業式に出られなかったし、結婚式も見合わせることが決まった。


 ショックだった。僕は、密かに宗一郎さんの新郎衣装を楽しみにしていたのだ。


 宗一郎さんは凄くスタイルが良いから、タキシード姿は絶対に様になる。


 カラーは白。いや、シルバー系でも良い。もちろん、黒だって似合うだろう。ブラウンやベージュも見たい。


 とにかく、三回くらいはお色直しをして欲しいというのが僕の希望だった。


 それなのに……。


「新婚早々、入院生活なんて。宗一郎さんだって呆れてるよ」


 病院のベッドでひとり、ため息を吐く。


 体がだるい。食欲もないし、まだ微熱が続いている。ヒートの周期も不安定になってしまった。免疫不全の症状が進んでいる証拠だ。


 ひとりでうつうつとしていると、スマートフォンが震えた。宗一郎さんだった。


『体調はどう?』


 心臓がドクンと跳ねる。その一言で元気になった気がした。最低、一日に一度はメッセージが届く。


 頭の中で、メッセージは彼の甘い声に自動で変換される。体の奥がぎゅんぎゅんして、僕はベッドの中でジタバタと暴れた。


 毎回、そうやって暴れている。一度だけ主治医にその現場を見られた。「ひとりで暴れて、どうかしたのか」と聞かれたので、真顔で「運動です」と答えておいた。おそらく誤魔化せたはずだ。


 いつものように「何か食べましたか」とメッセージを送った。


 少し前に「昼食を食べ損ねた」と言っていた。宗一郎さんは、大学へ通いながら須王自動車で働いている。とても忙しいのだ。


『食べたよ』


 という返信が来て、安堵する。何度かやり取りして、最後に『おやすみ』というメッセージが届いた。


 おやすみ、という文字も、宗一郎さんの声に変換される。甘くてとろとろで、すごく優しい声。またしても僕はジタバタと暴れる。到底、眠れるわけがなかった。


 週末になって、宗一郎さんが僕の病室に来てくれた。


「特別個室ってやっぱ広いんだな」


 そう言いながら、ソファに座って足を組む宗一郎さんは、モデルのようにスタイルが良かった。うっとりしながら眺めていたら、彼の顔色が優れないことに気づいた。


「……宗一郎さん、大丈夫ですか?」


 少し痩せた気もする。


 宗一郎さんは「何ともないよ」と言った。本当だろうか。


「大丈夫、大丈夫」


 そう言って、宗一郎さんは笑っていた。



◇◇◇



 入籍してから三ヶ月後、やっと退院することができた。


 一度、僕は準備のために須王家に戻った。入院する前に荷物は整理していたので、時間はかからなかった。荷物はなるべくコンパクトにまとめた。今までは広い屋敷で生活していたけど、これからは違う。必要最低限の物で暮らす工夫をしなければならない。


「柊さまが、社宅暮らしなんて……」


 社宅まで送り届けてもらう最中、運転手はずっと泣いていた。彼は長年、須王家に仕えてくれている人物だ。


「須王家の跡取りでいらっしゃるのに……」


「泣くなら車を停めてね、危ないから」


 一刻も早く、宗一郎さんが待つ社宅へ行きたい。でもそれ以上に、事故を起こすのはやめて欲しいと思う。


「でも……うぅ……」


「あ、そうだ。これから時々、タクシー代わりに呼んでもいい? もちろんタダで」


 今日から宗一郎さんと慎ましやかな庶民の暮らしを営むので、節約を心掛けねばならない。


 泣きながら「もちろんです」と運転手は言った。僕の言いつけを守り、彼は何度か車を停めた。その度にぐずぐずと洟をかんでいた。



◇◇◇



「これが社宅かぁ」


 五階建ての鉄筋コンクリートを目にして、感慨にふける。今日から、ここで宗一郎さんと暮らすのだ。二人で暮らせるなら、古くても狭くても、そんなものはどうだっていい。


 玄関を入ってすぐの一番小さな部屋に荷物を運び込んで、僕の引っ越しは完了した。


 宗一郎さんは大学の課題に集中している。僕はその隙にバスルームに籠り、人生でこんなに丁寧に体を洗ったことはない、というくらい念入りに体を洗った。


 のぼせて、へろへろになりながらバスルームを出る。緊張で指が震えて、なかなかパジャマのボタンが留められない。


 今更だが、僕は自分のとんでもない失態に気づいた。おそらく、僕は性についての知識が乏しい。宗一郎さんと出会うまで好きな人はいなかったので、興味もなかった。


 αに対して良い印象はなかったし、いつか番を得るためにそういう行為をするのだと分かっていても、具体的に知りたいとは思わなかった。というより正直、考えたくなかった。


 宗一郎さんとの結婚が決まって、調べようとは思っていた。あまりに無知だと、彼に申し訳ないような気がしていたし。


「でも、庶民の暮らしを調べるのが面白くて、つい後回しにしちゃったんだよな……」


 こうなったら、宗一郎さんに全てを委ねるしかない。


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