目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

第22話 甘い香り

 最近は僕が夕食を作っている。ついこの間、宗一郎さんは「包丁で切るの上手になったな」と褒めてくれた。やっぱり、僕は料理の才能があったらしい。


 浮かれた気分でキャベツを切る。今日はクラムチャウダーを作るのだ。


 僕はあまり量を食べられないので、夕食はスープだけで十分だけど、宗一郎はどうなんだろう。「柊と同じでいいよ」と言っていたけど……。


「αは肉食のはずなんだけどな」


 最近、宗一郎さんはとても痩せたと思う。元々αにしては細身だった。大丈夫なんだろうか、と考えていたらスマートフォンが鳴った。


『今日は遅くなる』


 宗一郎さんからのメッセージを見て、さらに心配になる。大学と仕事の両立は、もの凄く大変そうだ。自分は学校へ行っているだけなので、何だか申し訳ない気になる。


 結局、日付が変わっても宗一郎さんは帰って来なかった。保存容器に入れたスープを冷蔵庫にしまう。そんな日が何日も続いた。



◇◇◇



 ある日の夕方、宗一郎さんから「早めに帰れる」というメッセージが届いた。


『今からスーパーへ行きます』


 返信をして、すぐに出かける準備をした。歩いてすぐの場所にスーパーがある。激安がウリのこじんまりした店だ。


 僕は店の入口でカゴを取って、肉売り場に直行した。豚のスペアリブに『今日はコレ!』というシールが貼られているのを見て、思わずニンマリする。このシールが貼られていると、レジで二割引きになるのだ。


 レジに並びながら、アプリでレシピを検索する。『かんたん節約☆レシピ』なるアプリをダウンロードしたのは、つい最近のことだ。節約を心掛ける料理初心者の僕にはぴったりだと思った。


 宗一郎さんのために、今日は肉料理を作る。


 アプリに指示された通り、僕はスペアリブにフォークを突き刺した。グサグサと何か所も刺して、塩こしょうをふる。タレにしばらく漬け込んでから、オーブンでこんがりするまで焼いた。


 焼き上がる頃に、ちょうど彼は帰宅した。


「美味そうだな」


 宗一郎さんが、ふっと笑う。


 豪快にかぶりつく姿に見惚れた。ぐっと歯を立てて、骨から身を剥ぐようにして食べる彼を見て、宗一郎さんはαなんだと、今更ながら当たり前のことを思った。


 宗一郎さんの犬歯は、もの凄く発達している。αの特徴だ。彼はαだけど、僕が知っているαとは少し違っている。


 偉そうにしない。優しいけど、気遣ってくれるけど、何もするなとは言わない。一緒にキッチンに立って、包丁を握りながら「柊も切ってみる?」と、あのとき言ってくれた。


 僕にはそれが、とても嬉しかった。


「……僕は学校に行って、それだけでいいんでしょうか」


 前から思っていた疑問を口にした。


 宗一郎さんは、誤解したようだった。免疫不全が悪化したのかとか、学校で何か言われたのかとか、ひたすら僕の心配をしていた。


「辛いなら、無理に行かなくてもいいと思うぞ? 家でも勉強は出来るし。しょうもないαがいるような学校は行く価値も……って、悪い。須王学園の悪口を須王の人間に言うのはよくないな」


 僕のために必死な顔をしたり、しまったと目を泳がせる宗一郎さんを見て、思わず笑みが零れる。好きで、愛おしくて、僕は幸せだった。



◇◇◇



 湯船につかって手足を伸ばす。しばらくすると、腹の奥が気持ち悪くなってきた。久しぶりに肉を口にしたせいかもしれない。


 そんなに食べていないはずなのに、と思いながら浴室から出る。体がだるい。もしかしたら、また免疫不全の症状が出始めたのだろうか。


「せっかく、幸せなのに……」


 もう入院するのは嫌だ。宗一郎さんと離れたくない。


 憂鬱な気持ちで部屋に行くと「ちゃんと乾かさないとダメだぞ」と宗一郎さんが心配そうに僕を見る。免疫不全の症状が出たかもしれない、とは言えなくて、僕は目を逸らしてしまった。


 のろのろとベッドに潜り込む。腹の奥の気持ち悪さは治まったけれど、体が熱い。気のせいか、いつもより宗一郎さんのにおいを強く感じる。


 意識すればするほど、甘いにおいは濃くなった。大好きなにおいなのに、今日はなぜか苦しい。心臓がドクンと大きく跳ねる。息ができない。もの凄く体が熱い。


 身じろぐと、下半身が濡れていることに気づいた。粗相をしてしまったのだろうかと焦っていると、口から呻き声が漏れた。


「柊? 大丈夫か?」


 宗一郎さんが電気をつけたのだろう。部屋が明るくなったことが分かった。優しい声がする。でも、視界がぼんやりして宗一郎さんの顔がよく見えない。


 顔が見えないことが怖い。高熱でうなされているときみたいに苦しいのに、同じくらい、ふわふわして気持ちが良い。頭の中がどろりと溶け出して、何が何だか、よく分からない。


 でも、甘いにおいがすることだけは分かる。いつもは優しい彼のにおいが、暴力的に僕の体を熱くする。苦しい。頭がぼんやりする。


 強い力でグッと肩をベッドに押さえつけられて、ようやく我に返った。


 僕の体の上には宗一郎さんがいた。一瞬、誰だか分からなかった。見たこともないくらい、ギラギラした目をしていた。


「ヒートになったみたいだな」


 荒い息をしているのに、宗一郎さんの声は氷みたいに冷たかった。


 どうして、いつもみたいに優しい声じゃないんだろう。 


 さっきは「ちゃんと乾かさないとダメだぞ」って言って心配してくれてたのに。


 どうして、そんな怖い目で僕を見るの?


 僕は、無意識に宗一郎さんを遠ざけようとした。


 大きな体を押しのけようとした僕の腕は、あっけなく掴まれて押さえつけられる。力の差は、歴然としていた。


この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?