痛みで目が覚めた。
うなじがジンジンと熱い。昨夜のことを思い出すと、嬉しいような恥ずかしいような、とにかく宗一郎さんの顔を見ることが出来なくて、僕は逃げるように家を出た。
学校へ行く途中で、体がギシギシと痛むことに気づいた。下半身にも違和感がある。
教室へ入ると、僕のうなじを見たクラスメイト達が目を剥いた。かなり赤黒く変色しているらしく、保健室で手当てしてもらうことになった。
皆は「痛くないのか」「大丈夫か」と心配してくれた。
「ありがとう、平気だよ。なんだか、強く噛まれてしまったみたいで……」
αにうなじを強く噛まれて、痛みに憂いているΩの雰囲気を醸し出しているが、内心は満面の笑みで拳を突き上げている。
やっと番になれたのだ。これからは堂々とうなじを晒して歩くことが出来る。
しばらくの間、僕はひたすらウキウキしていた。
宗一郎さんからの返信がないのに、それを気にも留めず、浮かれた僕はメッセージを送り続けていた。
◇◇◇
「よろしゅうございましたねぇ」
タクシー代わりにしている須王家の車の中。運転手が目尻を下げるのをミラー越しに見る。
運転手の辻は、僕のうなじを目にする度に涙ぐんでいる。
彼は涙もろい。噛み痕のある僕のうなじを見てから、もう何日も経っているというのに、未だに路駐して洟をかんでいる。
おかげで車の進みはかなり遅い。学校に遅れないか、僕はちらりと時間を確認した。
「体調も良いようですしね」
「うん、すごく元気だよ」
「やはり、遺伝子の相性というのは大事なのですねぇ」
「遺伝子……?」
何の話だろう。
「でもまさか、探していた相手が同じ学校に通っていたなんて、運命のようですね」
涙目で辻が頷いている。
探していた相手? 運命?
「どういうこと? 遺伝子って、何の話なの」
僕が問うと、彼は「柊さまは、ご存じ無かったのですか」と言ったきり、しばらく黙り込んだ。
それでもしつこく、何度も問いただすと彼は観念したように口を開いた。
「遺伝子の相性の良い相手と番になること。それが免疫不全を治療する上で一番良い方法なのだそうです」
「……どうやって、宗一郎さんに辿り着いたの?」
俯く辻を見て、なんとなく見当はついた。
須王の力を使ったのだろう。そういえば、僕に見合いの話があったとき「とても良い相手」だと祖父は言っていた。てっきり、家柄のことだと思った。
でも、宗一郎さんの家は普通のサラリーマン家庭だ。須王に縁者がいるわけでもない。
どうして自分の見合い相手が彼だったのか、疑問に思わなければいけなかったのだ。
◇◇◇
放課後、図書室でぼんやりしていると「もう下校時間だぞ」と教師に声を掛けられた。
「須王か。春名……じゃない、ええと、君の旦那さんは元気か?」
「あの……?」
「俺は、あいつが三年生のときの担任だ」
「そうだったんですか」
教師がちらりと僕のうなじを見る。
「幸せにやっているなら、良かった。進路のことは、俺としては残念だと思ってたけど。まぁ、須王の会社ならやりがいもあるだろうしな」
「進路って、宗一郎さんは……」
「聞いてないか? あいつは卒業後、就職して競技を続ける予定だったんだよ」
そうだ。宗一郎さんは体育科で、陸上部に所属していた。長距離が専門で……。
「よくひとりで残って練習していたな。なんとか入賞も出来たし……。でも、そうか、須王には言ってなかったのか」
知っている。入賞したことも、すごく練習していたことも。どうして忘れていたんだろう。僕はこの場所で、彼の走っている姿をずっと見ていた。
凄く楽しそうに走っている姿を見て、僕は宗一郎さんを好きになったのに。
◇◇◇
玄関の扉を閉めると、自然と涙が溢れてきた。
「僕のせいだ……」
宗一郎さんが夢を諦めたのは。
「どうしよう……」
力が抜けて、その場にしゃがみ込む。
知らなかった。
何も知らず、ただ宗一郎さんと一緒にいられることが嬉しくて浮かれていた。
彼の目に、僕はどう映っていたのだろう。周囲に与えられるだけの、無知で傲慢で、愚かなΩに見えただろうか。
せめて須王に生まれなければ良かった。免疫不全に苦しむただのΩだったら、宗一郎さんの夢を奪ったりしなかった。
『お前が悪いんじゃないって分かってるけどさ。あいつが頑張ってるの見てたから、納得できないんだよな』
いつかの、鈴江の言葉が蘇った。やっとその意味が分かった。
ごめんなさい、と何度も心の中で詫びる。いつまで経っても、涙は止まらなかった。