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第26話 蓮と葵

 最近、自分の体力に驚いている。朝から晩まで元気なのだ。


 季節の変わり目には必ず体調を崩していたのに、ここ一年は風邪をひく気配すらなかった。免疫不全の症状が治まっている実感がある。


 食生活もかなり変わった。


 肉を口にしても気持ち悪くならないので、朝から厚く切ったベーコンを焼いて食べている。それからサラダと、パンと、チーズがたっぷり入ったオムレツ。


 僕がガツガツ食べている横で、長女の一花いちかは丁寧にオムレツを口に運んでいる。一花は三歳になった。小さな手で子供用のスプーンを握って、ひとりで一生懸命にご飯を食べている姿に癒される。


 かなり早い段階から、一花は箸も使えるようになった。ご飯を食べたり、着替えをしたり、何でも自分ひとりでするのが好きみたいだ。


「やだぁぁぁ! あぁぁぁぁ!」


 聞きなれた奇声を耳にして、僕はダイニングテーブルの下を覗いた。


 ロンパース姿の二歳児が床でゴロゴロと転がっている。最近よく見る光景だ。長男のれんはイヤイヤ期の真っ最中なのだ。


 そろそろロンパースは卒業しても良いのではないかと僕は思っているのだが、本人が気に入っているようなので着せている。


「蓮、朝ごはん食べないの?」


 後片付けをしながら、床に這いつくばっている長男を見る。


「たべりゅ……」


 そう言って、蓮はむくりと起き上がった。バターロールを渡すと、べしょべしょに濡れた顔でパンを頬張り始める。


 蓮がイヤイヤ期に突入したのは、僕が次男のあおいを産んでからだ。最初は戸惑ったが、すぐに慣れた。機嫌の良いときは、よく変顔をして僕を笑わそうとしてくる。


 ちなみに蓮は、まだ箸を使えない。


 一花にイヤイヤ期は無かった。あったのかもしれないが、気づかなかった。同じきょうだいなのに、性格はまるで違う。二歳と三歳でもうその違いが表れていることが面白い。


「葵は、どんな子だろうね?」


 母乳をやりながら、次男の頭を撫でる。葵は四カ月前に生まれた。


 泣き方を見ていると、なんとなく大人しい子のような気がしている。宗一郎さん似だな、と一つ年上の夫の顔を思い浮かべる。


 宗一郎さんはフランスで仕事をしている。僕がヒートになる度に日本に帰ってくるのだけど、最近は僕より彼のほうが弱っていた。


 ひとりでフランスに行かせるのが心配で、僕は近頃、本気で移住を考えている。免疫不全の症状がほとんど消えたおかげで、体はピンピンしているし、気持ちも落ち着いている。


 日課になっているビデオ通話で、海外での子育てについて調べていることを打ち明けた。


「最近、ずっと体調が良いんです。以前は自分のことで精一杯で、知らない土地で子供を育てる自信が無かったんですけど……。今なら大丈夫かなって」


 全力で「だあっこぉぉぉ」と、泣きながら抱っこをせがむ蓮をあやしながら、僕はなんとか会話を続ける。


「一花はもう三歳なので、保育園とか幼稚園とかのことを考えたら、そろそろ決断しないといけないと思って」


 一花はひとりで静かに絵本を読んでいる。葵は熟睡中だ。


「ありがとう、色々調べてくれてたんだな。でも、もうしばらくしたら日本で暮らせそうなんだ」


「そうなんですか?」


「一日も早く帰れるように頑張るから、日本で待っていて欲しい。……子供たちのこと、いつも柊に任せきりで、本当に申し訳ないと思っている」


 頭を下げる宗一郎さんに、慌てて「僕は大丈夫ですから」と明るい声を出す。


 確かにワンオペ育児は目の回る忙しさなのだが、日本はΩに対する行政の配慮が行き届いているので、そこまで大変ではない。


 Ωは多産であることが多いから、子育て支援は特に充実しているのだ。僕は妊娠中に出来るだけ情報を集めた。そしてフル活用している。


 たとえば、毎週木曜日に市が開催している「読み聞かせ&お泊り会」。簡単にいえばお泊り保育のようなものだ。地域の図書館が協力して、絵本の読み聞かせをしてくれる。


 一時預かりや、訪問育児サービスもある。すべて無料なので、利用しまくっている。一人でゆっくり買い物に行くことも出来るし、毎週木曜日は夕方から爆睡している。


 案外、元気にやっているのだ。


 表面上、僕と宗一郎さんは何の問題もない。夫夫ふうふ二人のときは、うまくいかなかった。


 悲しいけど仕方がない。子供たちの親という関係性が出来たおかげで、今は順調だ。パートナーという雰囲気は皆無だけど……。


 でも、僕はもう、それだけで十分だ。


 数日後、須王自動車の経営統合が完了したことが正式に発表された。完了するまでに四年かかった。


 その間に明るみになった須王自動車の不祥事を考えると、四年という歳月が長いのか短いのかよく分からない。


 リコール隠し、ブレーキの検査データ不正、認可試験申請データ詐称……。宗一郎さんはひたすら仕事に奔走していた。


 でも、無事に経営統合は完了した。もう少しすれば、宗一郎さんも日本に帰ってくる。やっと家族そろって暮らせるのだ。


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