「夕食を作るので、子供たちの相手をお願いできますか」
柊に言われて「もちろん」と引き受けたものの、自分が父親だと認識されていないことがすぐに分かった。
「げいのうじん!」
長男の蓮が俺を指さす。
「……芸能人じゃないよ」
「ようつーばー?」
「なに? 腰痛婆?」
いや、違うな。もしかしてあれか? 四つ葉マークでお馴染みの動画配信サイトのことか? 配信者たちは皆、ヨーツーバーと呼ばれている。
「ヨーツーバーでもないよ……」
君の父親だよ、心の中で突っ込む。蓮は「ようつうばあぁぁぁ!!」と叫びながら目を輝かせている。俺は動画配信なんてしたことないんだが……。何でヨーツーバーなんだろう。
「どうが! どうがぁ!」
蓮はかなり興奮した様子で、今度は「動画」を連呼し始めた。
お気に入りの配信者でもいるのかと考えていたら、それが自分である可能性に気づいた。俺は時間が合えば、柊や子供たちとビデオ通話で会話していた。
画面を通してしか顔を見たことがないから、俺を芸能人か動画配信者だと思っているのだ。悲しい。めちゃくちゃ寂しい。心にダメージを受ける。
視線を感じて振り返ると、離れた場所から一花が俺を見ていた。大きな瞳で、じっとこちらを見つめている。
「……一花? どうした?」
おいで? と手招きすると、ふいっと顔を背けてキッチンにいる柊の所へ行ってしまった。またしても心にダメージを受ける。
俺、嫌われてるんだろうか……。
力なくソファに座り、葵の顔を眺める。生後四カ月の次男は、リビングに置かれたベビーベッドの上にいる。
仰向けの状態で、這うようにベッドの中をもぞもぞと移動していた。かなりご機嫌なようで、ニコニコしながら移動を続けている。
「これが背這いか……」
ビデオ通話で柊が「葵は背這いをよくしています」と言っていた。それにしても涎がすごい。ニコニコしている口元から、テカテカの涎が大量に溢れている。
「柊、あの、なんか涎が凄いんだけど……!」
キッチンを覗くと、柊は大きな鍋を振っていた。勇ましいというか、かなり大胆な手つきだった。
「スタイが引き出しにあるんですけど」
「すたい?」
何だそれは。
「よだれかけです」
なるほど。で、引き出しってどこの引き出しだろう?
リビングできょろきょろしていると、またしても背後に視線を感じた。振り返ると、やはり一花がいた。
「……あおいのべっどのした」
一花の言われた通りに、葵のベッドの下を覗く。小さな収納ボックスが置かれていた。
「あった! 一花、ありが……あれ?」
顔を上げると、一花の姿はなかった。素早く葵のよだれかけを交換して長女の姿を探すと、豪快に鍋を振る柊の足元に座って、真剣な顔で絵本を読んでいた。
何となく話しかけ辛くて、とぼとぼとソファに戻る。
「とおあぁぁぁぁ!」
スポンジ製の刀剣を持った蓮がいきなり目の前に現れた。
「あくにん!」
「えぇ!?」
悪人? 確かに、柊にワンオペ育児をさせた俺は悪い夫だ。妊娠中も一人にさせていたから、悪人と言われても仕方がない……。
でも面と向かって、それも子供に言われるとかなり堪える。落ち込んでいる俺に「とあぁぁぁ!」と蓮が刀剣を振り下ろす。
スポンジ製の刀剣は、見事に俺の額にヒットした。
「ちがぁぁう!」
「えぇ!?」
何が違うんだ?
「三回目までは、避けないといけないんです」
柊がダイニングテーブルに皿を並べながら、詳しく解説してくれる。
どうやら、蓮は戦隊モノにハマっていて、お気に入りの場面があるというのだ。主人公が宿敵と激闘を繰り広げるシーンらしい。
「見たことないから、分からないな……」
「みてぇ!!」
勢いというか圧が凄い。思わず「分かったよ」と頷いたが、柊に「ご飯の時間はダメです」と睨まれたので、すぐに「ご飯の後な」と撤回した。
「やだぁぁぁぁ!!」
突然のギャン泣きだった。オロオロする俺とは反対に、柊は落ち着いた様子で葵をベビーベッドから抱き起こし、ダイニングテーブルに備え付けられているベビーチェアに移動させた。
蓮はその場に倒れ込み、わんわん大泣きしている。
「蓮、皆でいただきますだよ」
柊の声は聞こえていないらしい。泣き喚きながら、ひたすらゴロゴロと床に転がっている。
イヤイヤ期の凄まじさを初めて近くで見て、俺はオタオタするしか出来ない。
「蓮の好きな唐揚げ無くなっちゃうよ」
ゴロゴロと転がっていた体が「唐揚げ」という言葉にピクリと反応する。どうやら柊の声は聞こえていたようだ。
「唐揚げ食べたい?」
「だべだいぃぃぃ!」
「じゃあ、いただきますしようね」
口をへの字にしたまま、蓮は渋々といった顔で手を合わせている。泣き腫らした顔を見ると痛々しかったのだが、唐揚げを頬張った瞬間、蓮は嬉々とした表情になった。
「おいひーーー!!」
泣いていたのが嘘みたいなニコニコ顔だ。感情の変化についていけない。