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第41話 αとΩの体

 柊の表情に、わずかに怯えがある気がした。



 初めての夜のこと。苦い記憶が、ふいによみがえった。


「嫌だったか……?」


「なにがですか?」


 柊がきょとんとした顔で見上げてくる。


「……柊がヒートのとき、俺はひどい抱き方をしていなかったか? 痛かったり、怖かったりして……」


 柊がにこりと笑いながら手を伸ばしてくる。華奢な体を抱き起こすと、よしよしと後頭部を撫でられた。


「どうして、そんな痛そうな顔をするんですか」


「……柊が泣いてたから」


「恥ずかしいと、涙が出るみたいです」


 彼の細い指先が、俺の手のひらに絡みついてきた。


「……ほんとうのことを言うと、少しだけ怖かったです。自分が自分じゃないみたいになって。でも、嫌だって思ったことは一度もないです」


 形の良いくちびるが、ちゅっと吸い付いてくる。


「はじめてする前、いつするんだろう。いつ抱いてもらえるんだろうって、ずっと待っていました」


 ちゅ、ちゅ、と何度もくちびるを吸われる。


「宗一郎さんのカラダ、僕のとぜんぜん違う……」


「そうだな」


「すごく大きくて、格好良い。割れた腹筋も、広い肩も、大きいのにきれいな指も、ぜんぶ格好良くて好きです」


 ゆっくりと口づけして、舌ったらずになった小さな舌を絡めとる。


 発情期を鎮めるための行為じゃない。


 にこりと笑う柊を見て泣きそうになった。抱き合った後で、こんな風に柊が笑ったこともなかった。


 細い柊の腕が、ゆっくりとシーツを上をすべる。小さな手のひらが、俺の手に重なった。


 ぎゅっと握られる。可愛い。愛しい。それなのに胸が痛い。息が出来ないくらい、苦しくて幸せだった。




◇◇◇




 朝、まだ眠い目をこすりながらキッチンに立つ。フライ返しで、ひょいっとホットケーキをひっくり返した。


 何度もひっくり返す必要はないと思うのだが、蓮に「ひっくりかえすのみたい!」とねだられて、仕方なく両面を交互に焼き続けている。


 片手で蓮を抱き、片手でフライ返しを握る。何が面白いのか分からないが、蓮はきらきらした目で頻繁にひっくり返るホットケーキを眺めていた。


「出来上がりだ」


「もっとひっくりかえすのしてぇ!」


「これ以上焼いたら焦げるから、な?」


 ぷうっと頬を膨らませながら、自分の皿に乗せられたホットケーキを睨む。バターを乗せ、スプレータイプのホイップクリームをしゅわしゅわと盛ってやった。


 もこもこのホイップクリームを見て、にんまりしている。ひとくち頬張ると、蓮は満面の笑みで「おいひいぃぃぃ!」と叫んだ。


 もうすっかり上機嫌だ。ひっくり返す云々のことはきれいさっぱり忘れたのだろう。


 口の周りにホイップクリームを付けているので、食べ終わったら拭いてやらなければ。


 ていねいに切り分けて口に運ぶ一花を微笑ましい気持ちで眺める。葵は夜明け前に柊が母乳をやったので、今は気持ちよさそうに眠っている。


 柊は疲れ果てて、まだベッドの中にいる。かなり無理をさせた自覚があるので「朝ごはんは俺が作るから」と言って部屋を出てきた。


「おかわり!」


 蓮が元気な声で叫ぶ。


 片手で蓮を抱き、片手でフライ返しを握る。何度もひっくり返しながら、俺は蓮のために新たなホットケーキを完成させた。 

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