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第45話 巣作りの記録

 柊から「子供たちをサポートセンターに預けました」と連絡があったのは昼過ぎだった。


 何事だと慌てる俺に「いつものことなので、心配しないでください」と柊はのんびりした声で言った。


「この感じだと、たぶん夕方くらいからだと思います」


「何がだ!?」


「巣作りです」


「す、すづくり……?」


 そういえば、聞いたことがある。Ωの巣作り。好きな相手のにおいを求めてする行為だ。巣材は意中の相手の服や持ち物だったはず。


 繰り返し「心配しないでください」と言っていたが、実際の巣作りというのを見たことがないので不安になる。


 苦しんだりするのだろうか。俺は定時に仕事を切り上げて、急いで帰宅した。


「ただいま! 柊、どこだ!?」


 部屋の中は薄暗かった。リビングにはいない。子供たちと寝ている部屋はきれいに片付いたままだ。


 もしかしてと思い、俺が寝起きしている部屋のドアを開けた。


 ベッドの上に柊はいた。姿は見えないが間違いなくいる。クローゼットから引っ張り出したのであろう俺の服が、あちこちに散乱していた。


 こんもりと盛り上がった衣類の山がもぞもぞと動く。


「柊……?」


 呼びかけると、ずぼっと小さな手がこんもりの山から飛び出した。


「なんかいーにおいしゅる」


「良いにおい?」


「んふふ~~いいにおい~~」


 ネクタイを解いて柊の手に握らせる。ずいっと手がこんもりの山に引っ込んで、中ですんすんとにおいを嗅ぐ気配があった。


 しばらくすると飽きたのか、また手が伸びてくる。


「もっとちょーだい~~」


 ぶんぶん振る手に、上着、シャツ、と順番に渡していく。


「んふふ~~」


 こんもりの山がもぞもぞと蠢いている。どうやら中でごろごろ転がっているらしい。


 様子を伺っていると、こんもりが一部崩れて中の柊が見えた。俺の枕を抱きしめながら、渡したばかりのシャツのにおいを幸せそうな顔で嗅いでいる。


「しあわせ~~」


 見ている俺の方が幸せなんだが。


 こういう場合どうすれば良いのだろう。何かしてやったほうがいいのだろうか。


 巣作り、と打ち込んで検索していると、医療サイトにある「Ωの巣作りについて」というページが見つかった。αの俺に出来ることは何もなく、ひたすら見守るしかないと書かれていた。


『巣作りは、好きで好きで仕方がない気持ちを持て余したときに行うといわれています。片思いや付き合い始めの時期に多く見られるのもそのためです』


 解説を読んでいるうちに、自分の顔が赤くなっていくのが分かった。俺、めちゃくちゃ好かれてる。


『同じ相手を思って、何度も巣作りすることはありません』


 そう書かれた一文を発見して今度は青くなる。もしかして、これが柊の最後の巣作りになってしまうのだろうか。ほわほわした幸そうな柊をもっと見たいのに。


 二度と見られないなんて、そんなのは惜し過ぎる。


 これはもう、記録しておかなければいけない。俺はスマホで撮影を開始した。「いいにおいちょーだい~~」と手を伸ばす柊も、俺のパジャマ代わりのTシャツをクンクンしながら「これしゅきなにおい~~」とにんまりする柊も、ひたすら「うふふ~~」と枕に頬ずりする柊も逃さずカメラにおさめた。


 これは永久保存する。絶対に消さないようにしなくては。


 こんなに可愛い柊がスマホの中に存在してくれるなら、多少の残業くらい笑顔で乗り切れる自信がある。


 満足している俺に、柊の手がにゅっと伸びた。


「もっと、いいにおいちょーだい?」


「も、もっと……!? 柊ごめん、もう服はないんだよ」


 恥ずかしい話だが、俺はいま全裸なのだ。柊が欲しがるので全て脱いで渡してしまった。


 全裸でパートナーの巣作り姿を撮影している自分はかなり危ない人間であると自覚しているが、どうしても映像として残しておきたいので仕方がない。 


「もっとちょーだい~~!!」


「ちょ、ちょっと柊……!?」


 柊に腕を引っ張られて、俺はこんもりの山にダイブした。


「にゅふふ。いいーにおい~~」


 俺の肩口に顔をこすりつけている。


「だいしゅきな、におい」


 とろん、とした顔で見つめられて、もう限界だった。スマホをサイドテーブルに置いて、柊の体を抱きしめる。


 うっとりした目で見られた挙句に、耳もとで「だいしゅき」を連呼されて、さすがに理性を保つことは困難だった。 


 翌朝、目を覚ますとぷんぷん顔の柊が俺を睨んでいた。これは完全に怒っている。


「なんですかこれは」


 低い声が怖い。どうやら、柊が巣作りしているところを動画で撮っていたことがバレたらしい。


「き、記念にと思って、撮ったん、だけど……」 


「何の記念ですか。まさか、昨日したのも撮ってたりするんですか」


「こ、行為中の動画は撮ってないよ」


 確認してみると、ひたすら天井が映っている動画があった。


 どうやら昨夜、撮影モードのままサイドテーブルにスマホを置いたらしい。もちろん音声が入っている。


 再生すると柊のあられもない声が確認できた。


 神よ。何てラッキーなんだ。大事に保存しようとする俺を柊が阻んだ。


「今すぐ消去してください!」


 いかがわしい声が入った天井動画はもちろん、巣作り動画を残すことも許されなかった。


 俺の活力源になるはずだった素晴らしい動画。全裸で必死に撮影したのに……。俺は涙を飲みながら消去した。永久保存は儚い夢だった。


 二度と見られないと思っていた柊の巣作りだったが、実は今回限りというわけではなかった。


 どうやら俺はかなり好かれているらしい。その後も柊は定期的にこんもりの山に埋もれて、俺を喜ばせた。

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