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第49話 妊夫生活

 かなりお腹が目立つようになった。


 今は、妊娠九ヶ月目。蓮は僕の膨らんだお腹を見る度に「あかちゃんげんき?」と聞いてくる。


 僕が「元気だよ」と言うと、満足そうに笑って「れんもげんき!」と飛び跳ねる。


 最近は一日に何度かこのやり取りをしている。蓮の中ではブームなのかもしれない。


 お腹が重くなると、思うように動けない。そのせいで家事に時間がかかるようになった。


 子供たちの世話もあるので、宗一郎さんには「手伝いのひとを雇おうか」と提案されている。


 結婚する前は、身の回りのことを他人にしてもらう生活だった。それを疑問に思うことはなかったし、今でもそれが悪いことだとは思っていない。


 僕自身に余裕があったほうが、たぶん子供たちも安心して暮らすことができる。


 かなり本気でお手伝いさんをお願いしようかと考えたけれど、もうしばらくは自分で何とかすることにした。


 行政の子育て支援は充実しているし、宗一郎さんも定時で帰宅する日々なので、二人で協力して子供たちの面倒を見ることが出来る。


「さすがに子供が四人になると引っ越さないといけないよなぁ」


 仕事から帰ってきて、一花を膝の上に乗せながら宗一郎さんが言った。子供たちは成長する。いつまでもこの社宅で暮らすことは出来ないだろう。


「……でも、出来る限り僕はここにいたいです」


「社宅のパパ友がいるからか?」


 葵に離乳食をやりながら、僕は首を振る。


「思い出があるので……」


 この社宅で、宗一郎さんと暮らし始めた。しばらくして彼はフランスへ行ってしまったけど、僕は日本で、この部屋で暮らした。


 発情期で苦しくて、宗一郎さんの帰りを待っていたのもこの部屋だった。一花が生まれて、蓮が生まれて、葵が生まれて……。


 次の子が生まれても、本音を言えば愛着のあるこの社宅で暮らしていきたい。


「そうだな、俺よりも柊のほうがここにいた時間が長いんだもんな」


 宗一郎さんが一花を抱いて立ち上がり、僕と葵のそばに来る。


「子供たちが大きくなるまでは、ここで暮らそう。利便性も良いしな」


「はい……」


 親の立場でわがままを言う自分はどうなんだろうと思いながら、それでもしばらくはこの社宅で暮らせることが嬉しかった。


 翌朝、宗一郎さんは元気に出社して行った。


 僕は朝食の後片付けをしてから洗濯物を干して、手早く掃除を済ませた。そろそろ出かける準備をする時間だ。


 抱っこ紐で葵を前向きに抱いて、ロンパース姿の蓮には上着を着せる。一花は自分で帽子を被っていた。制服と同じ紺色の帽子だ。


 一花の真新しい制服姿を見る度に、何ともいえない嬉しさと寂しさのようなものがこみあげてくる。ついこの前まで赤ちゃんだったのに、もう幼稚園生になった。子供が成長するのはあっという間だ。


「子供はいつか巣立っていくものですよね」


 いつだったか、しみじみと宗一郎さんに言ったら、彼は涙目になってしまった。


「そ、そうだな……でも、想像したら泣きそうになるな」


 泣きそうというか、もう泣いている気がしないでもなかったけれど、そこはそっとしておいた。


 葵を抱っこ紐で抱いて、一花と蓮と手を繋ぐ。社宅から少し離れた場所にスクールバスの停留所がある。


 定刻になってバスが来た。一花は付き添いの女性職員に、元気よく「おはようございます」とあいさつしてからバスに乗り込んだ。


 手を振って一花を見送る。遠ざかっていくバスを見ていると、また寂しい気持ちになった。


 幼稚園に一花が通うようになって出来たパパ友には「ずいぶん気が早いね」と笑われてしまったのだけれど。


 でも、想像してしまう。


 何人子供を産んでも、いつかみんな自分の元を離れていくのだろう。それが当たり前のことだと分かっていても、想像するとやっぱり寂しい。




◇◇◇




 妊夫健診で秋里に話したら「柊くんが感傷的なのはめずらしいですね」と言われた。


 相変わらずの嫌みな口調で。


「まぁ、妊娠中のホルモンバランスのせいですから。出産したらいつも通りです。安心してください」


 本当に僕を安心させようとしているのだろうか。いつも通りって何だよ。それではまるで、僕が普段は物事や感情の機微に鈍感な人間みたいじゃないか。


 むかむかする。これも、ホルモンバランスが乱れているせいなのだろうか。


「……秋里先生のほうは、どうなんですか。例の高校生とどこまでいきました?」


 何となく面白くないので話題を変える。自分の話になると、秋里は途端におたおたするのだ。


「ど、ど、どこまでって、そんな……! た、たまに会って、は、はな、話をしているだけですから!」


 秋里が、尋常ではない勢いでまばたきをしている。


「どこで会ってるんです? それってデートですよね?」


「で、ででで、デート!? い、いや、それは、どうでしょう……」


 秋里の視線が、泳ぎまくっている。


 いつもクールで、他人をおちょくっている彼なのに、こんな顔もするんだなと驚いた。


「ご飯食べたりとかしてるんでしょ?」


「そ、そうですね……」


「支払いは、秋里さんがしてるんですか?」


「……そう、ですけど?」


 それが、何か? という目で秋里が僕を見る。


 少し、いたずら心が芽生えた。


 秋里には、これまで散々、嫉妬させられたり嫌味を言われたりした。少しくらい、そのお返しをしても良いのではないか。


「なんだか、パパ活みたいですね」


「ぱ、ぱぱ、パパ活……?」


 僕の言葉に、秋里は衝撃を受けたみたいだった。ピキッとかたまっている。


 さすがに「パパ活」は言い過ぎたかもしれない。


 でも、どうやら恋は人間を別人のように変えてしまう。それは間違いないようだ。自分の主治医の豹変ぶりを眺めながら、僕はそう思った。 

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