かなりお腹が目立つようになった。
今は、妊娠九ヶ月目。蓮は僕の膨らんだお腹を見る度に「あかちゃんげんき?」と聞いてくる。
僕が「元気だよ」と言うと、満足そうに笑って「れんもげんき!」と飛び跳ねる。
最近は一日に何度かこのやり取りをしている。蓮の中ではブームなのかもしれない。
お腹が重くなると、思うように動けない。そのせいで家事に時間がかかるようになった。
子供たちの世話もあるので、宗一郎さんには「手伝いのひとを雇おうか」と提案されている。
結婚する前は、身の回りのことを他人にしてもらう生活だった。それを疑問に思うことはなかったし、今でもそれが悪いことだとは思っていない。
僕自身に余裕があったほうが、たぶん子供たちも安心して暮らすことができる。
かなり本気でお手伝いさんをお願いしようかと考えたけれど、もうしばらくは自分で何とかすることにした。
行政の子育て支援は充実しているし、宗一郎さんも定時で帰宅する日々なので、二人で協力して子供たちの面倒を見ることが出来る。
「さすがに子供が四人になると引っ越さないといけないよなぁ」
仕事から帰ってきて、一花を膝の上に乗せながら宗一郎さんが言った。子供たちは成長する。いつまでもこの社宅で暮らすことは出来ないだろう。
「……でも、出来る限り僕はここにいたいです」
「社宅のパパ友がいるからか?」
葵に離乳食をやりながら、僕は首を振る。
「思い出があるので……」
この社宅で、宗一郎さんと暮らし始めた。しばらくして彼はフランスへ行ってしまったけど、僕は日本で、この部屋で暮らした。
発情期で苦しくて、宗一郎さんの帰りを待っていたのもこの部屋だった。一花が生まれて、蓮が生まれて、葵が生まれて……。
次の子が生まれても、本音を言えば愛着のあるこの社宅で暮らしていきたい。
「そうだな、俺よりも柊のほうがここにいた時間が長いんだもんな」
宗一郎さんが一花を抱いて立ち上がり、僕と葵のそばに来る。
「子供たちが大きくなるまでは、ここで暮らそう。利便性も良いしな」
「はい……」
親の立場でわがままを言う自分はどうなんだろうと思いながら、それでもしばらくはこの社宅で暮らせることが嬉しかった。
翌朝、宗一郎さんは元気に出社して行った。
僕は朝食の後片付けをしてから洗濯物を干して、手早く掃除を済ませた。そろそろ出かける準備をする時間だ。
抱っこ紐で葵を前向きに抱いて、ロンパース姿の蓮には上着を着せる。一花は自分で帽子を被っていた。制服と同じ紺色の帽子だ。
一花の真新しい制服姿を見る度に、何ともいえない嬉しさと寂しさのようなものがこみあげてくる。ついこの前まで赤ちゃんだったのに、もう幼稚園生になった。子供が成長するのはあっという間だ。
「子供はいつか巣立っていくものですよね」
いつだったか、しみじみと宗一郎さんに言ったら、彼は涙目になってしまった。
「そ、そうだな……でも、想像したら泣きそうになるな」
泣きそうというか、もう泣いている気がしないでもなかったけれど、そこはそっとしておいた。
葵を抱っこ紐で抱いて、一花と蓮と手を繋ぐ。社宅から少し離れた場所にスクールバスの停留所がある。
定刻になってバスが来た。一花は付き添いの女性職員に、元気よく「おはようございます」とあいさつしてからバスに乗り込んだ。
手を振って一花を見送る。遠ざかっていくバスを見ていると、また寂しい気持ちになった。
幼稚園に一花が通うようになって出来たパパ友には「ずいぶん気が早いね」と笑われてしまったのだけれど。
でも、想像してしまう。
何人子供を産んでも、いつかみんな自分の元を離れていくのだろう。それが当たり前のことだと分かっていても、想像するとやっぱり寂しい。
◇◇◇
妊夫健診で秋里に話したら「柊くんが感傷的なのはめずらしいですね」と言われた。
相変わらずの嫌みな口調で。
「まぁ、妊娠中のホルモンバランスのせいですから。出産したらいつも通りです。安心してください」
本当に僕を安心させようとしているのだろうか。いつも通りって何だよ。それではまるで、僕が普段は物事や感情の機微に鈍感な人間みたいじゃないか。
むかむかする。これも、ホルモンバランスが乱れているせいなのだろうか。
「……秋里先生のほうは、どうなんですか。例の高校生とどこまでいきました?」
何となく面白くないので話題を変える。自分の話になると、秋里は途端におたおたするのだ。
「ど、ど、どこまでって、そんな……! た、たまに会って、は、はな、話をしているだけですから!」
秋里が、尋常ではない勢いでまばたきをしている。
「どこで会ってるんです? それってデートですよね?」
「で、ででで、デート!? い、いや、それは、どうでしょう……」
秋里の視線が、泳ぎまくっている。
いつもクールで、他人をおちょくっている彼なのに、こんな顔もするんだなと驚いた。
「ご飯食べたりとかしてるんでしょ?」
「そ、そうですね……」
「支払いは、秋里さんがしてるんですか?」
「……そう、ですけど?」
それが、何か? という目で秋里が僕を見る。
少し、いたずら心が芽生えた。
秋里には、これまで散々、嫉妬させられたり嫌味を言われたりした。少しくらい、そのお返しをしても良いのではないか。
「なんだか、パパ活みたいですね」
「ぱ、ぱぱ、パパ活……?」
僕の言葉に、秋里は衝撃を受けたみたいだった。ピキッとかたまっている。
さすがに「パパ活」は言い過ぎたかもしれない。
でも、どうやら恋は人間を別人のように変えてしまう。それは間違いないようだ。自分の主治医の豹変ぶりを眺めながら、僕はそう思った。