陣痛が始まったのは昼過ぎだった。少しずつ間隔が狭まり、痛みが強くなる。気づくと額に汗が滲んでいた。
今日は予定日だ。この感じだと、ちょうど予定日に産まれることになる。
一花のときは予定日よりもずいぶん早かったのに、蓮のときは少し早いだけだった。葵が産まれたのは予定日の一日前だ。
出産する度に、陣痛が始まってから産まれるまでの時間も短くなっている。体が勝手にコツを掴んでいる感じだ。
宗一郎さんに手を握られながら出産した。我が子の産声を聞いて、全身の力が抜ける。
元気な男の子だった。宗一郎さんと僕の四人目の子供。
「だんだん出産のプロみたいになってますね、僕」
今回はほんとうに、あっという間に産まれた。産んだ後すぐに冗談が言えるくらいの余裕もある。
宗一郎さんは涙が止まらないようで、僕の手を握ったまま「ありがとう」と繰り返した。赤ん坊の泣き顔と似ている気がして、胸の奥がほっこりした。
◇◇◇
退院の日まで、病院の特別個室でのんびり過ごすことにした。一花と蓮と葵は宗一郎さんが面倒を見てくれている。
秋里には「心配じゃないんですか」と聞かれたけど、正直あまり心配はしていない。サポートセンターもあるし、宗一郎さんのお父さんとお母さんも手伝ってくれているので、安心して任せている。
「妙に感傷的だったのは、やっぱり妊娠中だからだったんですねぇ」
頷きながら「ホルモンバランスって侮れないなぁ」と言う秋里のことは、軽くスルーした。
秋里が部屋から出て行ってしばらくすると、廊下から声がした。個室のドアが開いて「あかちゃんげんき?」という元気な声がした。
にこにこ顔の蓮が部屋に入ってくる。
「元気だよ」
「れんもげんき!」
今日の蓮は機嫌が良いらしい。足を交互に上げて、ご機嫌な舞を披露している。
「新生児室を見てきたけど、気持ち良さそうに眠ってたよ」
宗一郎さんの報告を聞いて安心する。葵も宗一郎さんに抱かれて、すよすよ眠っている。一花は制服姿だった。おそらくバス停まで一花を迎えに行って、そのまま病院へ来たのだろう。
四人目の子の名前は、
名前を決めるときも、宗一郎さんは涙ぐんでいた。「四人も子供を授かって、幸せでどうにかなりそう」と言いながら涙を拭う彼を見ていると、少しだけ笑ってしまった。
僕は妊娠中に感傷的になっていたけど、宗一郎さんは普段からセンチメンタルなところがある。
微笑ましい気持ちで思い出していると、個室のドアが勢いよく開いた。
「頼む! 匿ってくれ……!」
悲壮な顔で病室に入ってきたのは、宗一郎さんの高校時代の友人である、鈴江だった。
「え? 鈴江!? いきなりどうしたんだ? いつ日本に帰ってきたんだよ」
宗一郎さんが、目を丸くしている。
鈴江は、現役の卓球選手だ。高校を卒業後すぐにプロになって、今も海外のリーグで活躍している。
「さっき、帰ってきた……!」
はぁはぁと肩で息をしながら、その場にへたりこむ。今はシーズンオフなのだという。
「何があったんだ?」
「……ずっと、同じリーグでライバルの奴がいたんだよ。同い年なんだけど、ぜんぜん勝てなくて。αで実家が金持ちで、気取ってて、イケメンで、すげぇモテる奴で。俺は大っ嫌いだったんだよ」
ライバルだというαに対してかなりの嫉妬心を感じるが、そもそもまったく勝てないのならライバルとはいえないのではないだろうか。
僕は心の中でひそかにツッコミを入れた。
「それで?」
宗一郎さんが、詳細を話すように促す。
「……す、好きだって打ち明けられて。け、結婚してくれって言われたんだよ。その大っ嫌いな相手に」
大っ嫌いと言いつつ顔が赤いのはなぜだろう。自分はライバルだと思っていたのに相手は違っていた、という怒りなのだろうか。
「αでイケメンなら良かったじゃないですか」
そんな相手から好意を持たれるなんて、鈴江は運が良い。
「よくねーよ。俺はαと付き合うなんて絶対イヤだ。結婚なんて冗談じゃない! αってだけで、なんかムカつくんだよ。背が高いし、モテるし、イケメンが多いし!」
やはり嫉妬心が凄まじい。
「だから断ったよ」
「もったいないですねーー!」
僕は呑気に、鈴江に言った。だって、他人事だし。
「しつこく食い下がってくるから、αはみんな嫌いだって言ってやったんだよ。そのときに宗一郎の顔を思い出して。ほら、お前ってイケメンだけど憎めないイケメンっていうか。αだけど何か地味じゃん? 真面目にこつこつ努力型。それで、ひとりだけ嫌いじゃないαもいるけどなってそいつに言ったら、何か誤解したみたいなんだよ」
「誤解……?」
宗一郎さんが真剣な顔で訊く。
「俺が宗一郎のことを好きなんじゃないかって思ったらしくて」
「美人なお姉さんを恋人にするのが夢なのにな」
苦笑いする宗一郎さんに、鈴江が激しく同意する。
「そうなんだよ!! それなのに、もうしつこくて。オフになってすぐに日本に逃げてきたんだよ」
「日本に帰ってくるのはいいけど、俺のところに来たら余計に話がややこしくなるだろ」
「だって、実家の親はアメリカに移住して日本にはいないし、他に友達いないし」
鈴江の表情はかなり疲労が滲んでいる。
「匿う場所がないよ、社宅だから狭いし」
「え? まだ社宅で暮らしてんの? 大金持ちになって豪邸に住んでるんじゃないのか?」
「豪邸に住めるけど社宅で暮らしているんです。節約に励んで、慎ましい生活を営んでいるんです」
「そうか……社宅なら、ムリだよな……」
鈴江が肩を落とす。
「僕は別にいいですよ、匿ってあげても。部屋は片付けたらなんとかなりますし。ただし、うちにいる間は子供たちのベビーシッターをやってくださいね」
「え? ちょと、柊……!」
宗一郎さんは戸惑っていた。僕が「タダでベビーシッターをお願いできるんですよ。めちゃくちゃラッキーですよ」と悪い顔をすると、若干引き気味だったけど「そ、そうだな」と頷いてくれた。
「須王、ありがとう……!」
タダで使えるベビーシッターが、感激したように僕の両手を握る。これからビシバシと働かせてやろう、と計画を立てる。
「……というか、ここにいる子供たちって全員お前が産んだのか? やたら美形揃いだけど」
室内を見回しながら、今さらのように鈴江が言った。
「そうです」
うなずくと、鈴江は驚いたような顔になった。
僕の体を心配するように、「体は大丈夫なのか?」と言う。タダのベビーシッターは優しい。
僕は、子供たちの性格や好みを鈴江に伝えた。これから彼には、無料のベビーシッターとしてビシバシ働いてもらわないといけない。
「見れば見るほど、可愛い子ばっかりだな…! 須王は美少年だし、宗一郎も昔からイケメンだったもんな。中身は庶民だけど」
「今でもイケメンですよ?」
「……それは、認める。ムカつくけど。というか、須王は変わらないな。高校時代と同じで、ビビるんだけど」
「そうですか?」
自分では、よく分からない。ごく普通に年をかさねているつもりなんだけど。
「子供がいるなんて思えないな」
「全員、間違いなく僕の子ですよ。つい先日も、産みましたし」
新生児室にいます、と言うと「マジか!」と鈴江が目を見開く。
「宗一郎、お前さ。いくらなんでもヤリすぎだよ。さすがに孕ませ過ぎだろ!」
鈴江が、宗一郎さんを肘で突く。
「お前には関係ないだろ。それにな、子供たちの前でそういうことを言うなよ!」
宗一郎さんが眉を寄せる。
子供たちや僕に対しての口調とは、まるで違っている。遠慮がない感じだ。友達に接する宗一郎さんの態度が新鮮で、思わず笑みが零れる。
いつか、子供たちが大きくなれば、住み慣れた社宅から出て行くことになる。
一花も、蓮も、葵も、そして産まれたばかりの棗も、大人になって自分の元を離れていくのだろう。
想像したら、やはり寂しい。
でもしばらくは、賑やかで慌ただしくて体力勝負の毎日だ。
口喧嘩をする二人と、それを不思議そうな顔で見る子供たちを眺めながら、そう思った。