俺、
周囲からは「絶対にアルファだよ」と言われていたし、自分でもそうなのかもしれないと思っていたから驚いた。
一般的にオメガは小柄で華奢なことが多い。俺はクラスでいちばん背が高かった。
両親は二人ともベータで、判定結果にかなり戸惑っていた。隔世遺伝でのオメガ性らしい。
隔世遺伝だと知ったとき、顔も知らない先祖を恨んだ。アルファでなくてもせめてベータがよかった。
こういう類のことを言うと顰蹙を買う世の中だ。オメガの人権を守ろう的な団体の目もある。だから何も言わずに心の中で密かに思っている。
思うくらいは自由だろう。オメガにハンデがあるのは事実だ。
一般的にオメガは小柄で、アルファやベータに比べると病気に弱いと言われている。極端に体力が無いオメガもいる。季節の変わり目に必ず寝込んだり、風邪で入院したりすることも珍しくないのだ。
判定を受けた際に「オメガのこころとからだ」という冊子を手渡された。簡単にいえぱ、オメガになった自分のトリセツだ。
肉体がどう変化していくのか、どんな危険が潜んでいるのか。発情期の周期が安定せずに職を失った経緯や、フェロモンに誘われたアルファがどうなるのか、実際にアルファに襲われたという事例なども記されていた。
まだ子供だった俺には強い衝撃だったし、物凄く怖かった。
俺は父親がやっている道場で体を鍛え始めた。襲われたときに身を守るためだった。
ヒートになれば、いくら体を鍛えていても無意味なのかもしれない。でも何もしないよりはきっとマシだ。
俺は毎日欠かさずに道場へ通った。大抵のオメガは中学生で初めての発情期を迎える。でも俺は、高校生になってもその兆候が見られなかった。
「……どうやら、瑞生くんは不完全なオメガのようです。稀にそういう事例があります。良かったですね、ほとんどベータのようなものですよ」
高校一年の春、定期健診で医師にそう告げられた。
母親は「良かった」と言って涙ぐんでいた。父親は少し前に病気で亡くなって、だからもう道場はない。俺も体を鍛える必要はなくなった。不完全なオメガなら発情期はないし、アルファに襲われる心配も無用だ。
念のために通学用の鞄に忍ばせている緊急抑制剤は、一度も使用したことがない。その存在を忘れるくらいに俺の高校生活は順風満帆で、そして平和だった。
✤
三十一歳になった今でも、安定した日々を送っている。
医師が言った通り、ベータと同じだ。煩わしいことのない生活。季節の変わり目に体調を崩すしたことなど一度もない。
体格は、オメガとしては少し大きいくらい。もともとクラスで一番大きかったのに、次々と抜かされていった。現在はごく普通の体格だ。
そしてとにかく、印象に残らない顔だと言われる。全てのパーツが自己主張を忘れたかのように静かに顔面におさまっている。可愛い顔をしたオメガが多い中ではめずらしい。
ベータに擬態するのには適している風貌なのだ。
そんな俺のことを「塩顔イケメン」だと評したヤツがいる。
俺が長年担当している患者の、須王柊だ。
「今日も良い天気だなーーー!」
病院の中庭を歩きながら、柊が体をぐいぐいと伸ばす。
「まだ歩くんですか?」
俺が問うと、柊は元気に「もう少し」とうなずいた。
今日は妊夫検診だった。特に問題はなく、付き添いで来ていた宗一郎は会社に戻っていった。
柊は、この中庭を歩くのが好きだ。
最初の妊娠の際にもよく歩いていた。思い出があるのだろう。
担当している患者なので、柊の散歩に付き合った。高額な入院費を払っている「お得意様」なので、丁重に扱っているのだ。
俺とは違って、柊はオメガらしいオメガだった。
小柄で、可愛い顔つきで。
そしてなにより、弱かった。免疫不全を患っていたのだ。
それが今や、子沢山なパパなのだから人生は分からない。番を得たことで症状が安定したのだ。
柊の番は、須王宗一郎という。
宗一郎は、俺がオメガだと見破った。あのときは柄にもなく狼狽えた。
医学部に通うようになって、オメガに対する偏見が多いことを実感した。
同級生の大半がアルファだった。彼らは、ちょっと偏った思想を持っている。オメガだと知られたら面倒なことになるのは明白だった。
それでベータのふりをするようになったのだ。
医師になると決めたのは、自分の特性をいかせると思ったから。
オメガの医師はめずらしい。希少性がある。
目論見通り、大病院に就職できた。高収入を得て、何不自由ない暮らしを送っている。
オメガに生まれた身としては、かなり恵まれた人生だ。
そう、自分は運が良かった。幸せなのだ。
ずっと、そう言い聞かせている。
「あ、宗一郎さんからメッセージが来た」
柊が明るい声で言った。
スマートフォンを開いて、うれしそうな顔をする。
「……さっき、別れたばかりじゃないですか」
「そうなんですけど。あ、今日は早く帰れるみたいです」
「……そうですか」
「なんか、ビデオ通話したいとか言ってますね。僕の顔が見たいんですって……。もう、仕事中なのにサボって……!」
口調は怒っているけれど、表情は緩んでいる。
この二人は結婚して数年経つが、未だにバカップルなのだ。
微笑ましいというより、辟易する。そして、胸の中がチリチリする。
柊と宗一郎を見ていたら、この症状が出る。街中で幸せなカップル……明らかにアルファとオメガだと分かる二人を目撃しても、同じ容態になる。
俺は、本当は柊のようなオメガが羨ましいのだ。
免疫不全を患っていても。思うようにいかないことがあっても。オメガの傍らにはアルファがいる。
孤独といちばん遠いところにいる。
そのことが、羨ましくて仕方ないのだった。