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第二幕(Ω視点)

第51話 不完全なオメガ

 俺、秋里瑞生あきさとみずきがオメガだと判定を受けたのは十歳の時だった。


 周囲からは「絶対にアルファだよ」と言われていたし、自分でもそうなのかもしれないと思っていたから驚いた。


 一般的にオメガは小柄で華奢なことが多い。俺はクラスでいちばん背が高かった。


 両親は二人ともベータで、判定結果にかなり戸惑っていた。隔世遺伝でのオメガ性らしい。


 隔世遺伝だと知ったとき、顔も知らない先祖を恨んだ。アルファでなくてもせめてベータがよかった。


 こういう類のことを言うと顰蹙を買う世の中だ。オメガの人権を守ろう的な団体の目もある。だから何も言わずに心の中で密かに思っている。


 思うくらいは自由だろう。オメガにハンデがあるのは事実だ。


 一般的にオメガは小柄で、アルファやベータに比べると病気に弱いと言われている。極端に体力が無いオメガもいる。季節の変わり目に必ず寝込んだり、風邪で入院したりすることも珍しくないのだ。


 判定を受けた際に「オメガのこころとからだ」という冊子を手渡された。簡単にいえぱ、オメガになった自分のトリセツだ。


 肉体がどう変化していくのか、どんな危険が潜んでいるのか。発情期の周期が安定せずに職を失った経緯や、フェロモンに誘われたアルファがどうなるのか、実際にアルファに襲われたという事例なども記されていた。


 まだ子供だった俺には強い衝撃だったし、物凄く怖かった。


 俺は父親がやっている道場で体を鍛え始めた。襲われたときに身を守るためだった。


 ヒートになれば、いくら体を鍛えていても無意味なのかもしれない。でも何もしないよりはきっとマシだ。


 俺は毎日欠かさずに道場へ通った。大抵のオメガは中学生で初めての発情期を迎える。でも俺は、高校生になってもその兆候が見られなかった。


「……どうやら、瑞生くんは不完全なオメガのようです。稀にそういう事例があります。良かったですね、ほとんどベータのようなものですよ」


 高校一年の春、定期健診で医師にそう告げられた。


 母親は「良かった」と言って涙ぐんでいた。父親は少し前に病気で亡くなって、だからもう道場はない。俺も体を鍛える必要はなくなった。不完全なオメガなら発情期はないし、アルファに襲われる心配も無用だ。


 念のために通学用の鞄に忍ばせている緊急抑制剤は、一度も使用したことがない。その存在を忘れるくらいに俺の高校生活は順風満帆で、そして平和だった。





 三十一歳になった今でも、安定した日々を送っている。


 医師が言った通り、ベータと同じだ。煩わしいことのない生活。季節の変わり目に体調を崩すしたことなど一度もない。


 体格は、オメガとしては少し大きいくらい。もともとクラスで一番大きかったのに、次々と抜かされていった。現在はごく普通の体格だ。


 そしてとにかく、印象に残らない顔だと言われる。全てのパーツが自己主張を忘れたかのように静かに顔面におさまっている。可愛い顔をしたオメガが多い中ではめずらしい。


 ベータに擬態するのには適している風貌なのだ。


 そんな俺のことを「塩顔イケメン」だと評したヤツがいる。


 俺が長年担当している患者の、須王柊だ。


「今日も良い天気だなーーー!」


 病院の中庭を歩きながら、柊が体をぐいぐいと伸ばす。


「まだ歩くんですか?」


 俺が問うと、柊は元気に「もう少し」とうなずいた。


 今日は妊夫検診だった。特に問題はなく、付き添いで来ていた宗一郎は会社に戻っていった。


 柊は、この中庭を歩くのが好きだ。


 最初の妊娠の際にもよく歩いていた。思い出があるのだろう。


 担当している患者なので、柊の散歩に付き合った。高額な入院費を払っている「お得意様」なので、丁重に扱っているのだ。


 俺とは違って、柊はオメガらしいオメガだった。


 小柄で、可愛い顔つきで。


 そしてなにより、弱かった。免疫不全を患っていたのだ。


 それが今や、子沢山なパパなのだから人生は分からない。番を得たことで症状が安定したのだ。


 柊の番は、須王宗一郎という。


 宗一郎は、俺がオメガだと見破った。あのときは柄にもなく狼狽えた。


 医学部に通うようになって、オメガに対する偏見が多いことを実感した。


 同級生の大半がアルファだった。彼らは、ちょっと偏った思想を持っている。オメガだと知られたら面倒なことになるのは明白だった。


 それでベータのふりをするようになったのだ。


 医師になると決めたのは、自分の特性をいかせると思ったから。


 オメガの医師はめずらしい。希少性がある。


 目論見通り、大病院に就職できた。高収入を得て、何不自由ない暮らしを送っている。


 オメガに生まれた身としては、かなり恵まれた人生だ。


 そう、自分は運が良かった。幸せなのだ。


 ずっと、そう言い聞かせている。


「あ、宗一郎さんからメッセージが来た」


 柊が明るい声で言った。


 スマートフォンを開いて、うれしそうな顔をする。


「……さっき、別れたばかりじゃないですか」


「そうなんですけど。あ、今日は早く帰れるみたいです」


「……そうですか」


「なんか、ビデオ通話したいとか言ってますね。僕の顔が見たいんですって……。もう、仕事中なのにサボって……!」


 口調は怒っているけれど、表情は緩んでいる。


 この二人は結婚して数年経つが、未だにバカップルなのだ。


 微笑ましいというより、辟易する。そして、胸の中がチリチリする。


 柊と宗一郎を見ていたら、この症状が出る。街中で幸せなカップル……明らかにアルファとオメガだと分かる二人を目撃しても、同じ容態になる。


 俺は、本当は柊のようなオメガが羨ましいのだ。


 免疫不全を患っていても。思うようにいかないことがあっても。オメガの傍らにはアルファがいる。


 孤独といちばん遠いところにいる。


 そのことが、羨ましくて仕方ないのだった。

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