中庭のベンチに座って、柊がポチポチと文字を打っている。
宗一郎に返信しているのだろう。改めて思うが、柊は子持ちには見えない。小柄で可愛いタイプなので、普通に高校生でも通じる。
柊の隣に、俺はドカッと腰を下ろした。
彼とは反対に、俺は年相応だ。どこから見てもアラサー。
寂しい独り身なので、病院関係者から頻繁に見合いをセッティングされそうになっている。その度に丁重にお断りしている。
俺がオメガだと知っているのは、ごく一部の人間だ。
ほとんどの人間は俺のことをベータだと思っているので、見合い相手はベータばかりだった。
ベータは、伴侶に同じベータを好む特徴がある。同僚のベータが言うには「色々と気楽だから」だそうだ。
なので、見合い相手の俺が「実はオメガなんです」と伝えても、相手は困惑するだけだと思う。
そういうことを考えると、独身のままで良いかと思う。
ちなみに、今まで恋人がいたことはない。
恋愛をするには、己のバース性を打ち明ける必要がある。もし隠されていたら、自分だったらイヤだと思う。
「でも、億劫なんだよな……」
バース性を明かすというのは、なかなかにセンシティブな問題だ。
オメガらしくない性質なので、アルファと出会って運命的に恋に落ちるという経験もない。
「なにが億劫なんです?」
返信を終わらせた柊が、よいしょっとベンチから立ち上がった。
「……別に。なんでもありません」
そっけなく返した。
子持ちのくせに美少年の柊を見ていると、ついいじわるをしたくなるのだ。これは、シンプルに嫉妬だ。
アルファと幸せな家庭を築いている柊が羨ましい。
彼だって、たくさん苦労している。主治医として、そのことは知っているのだが、それでもやっぱり「いいな」と思う。
いつだったか、俺との仲を誤解して柊が診察室を飛び出して行ったことがあった。
柊を追いかける宗一郎の背中を見ながら、あんな風に必死に追いかけてもらえるんだと思ったら、妬ましくて仕方がなかった。
✤
久しぶりの休日。
ベッドで寝転びながら、スマートフォンを開いた。ごろごろしながらニュースを見ていると「番マッチングシステム」の記事が目に留まった。
この「番マッチングシステム」なる制度が運用されることが明らかになったのは、柊が安定期に入った頃だったと思う。
アルファとオメガの遺伝子情報を国が管理することも発表され、巷ではかなり騒ぎになっていた。
確か「免疫不全が深刻なオメガにとっては歓迎すべきものなのかもしれませんね」というようなことを柊に言った記憶がある。
なんでもない風を装って「マッチングアプリのようなものらしいじゃないですか。登録したくはありませんね」と感想を述べた。「自分の相手くらい自分で見つけますよ」とも言ったはず。
鼻で笑いながら、新たな制度を小馬鹿にした覚えがあるけれど、それは見せかけだ。内心はまるで違っていた。
第一報を知ったときは、夜通しパソコンにかじりついて情報収集を試みた。
タイトル詐欺な動画やまとめ記事の情報に踊らされないよう注意しながら、ネットの海をパトロールした。朝になる頃には、眼精疲労がヤバかった記憶がある。
もしかしたら、運命の番を見つけられるかも。
その一心で、パソコンに向かい合った結果だ。
発情期が来ないので、運命の番と出会うことは諦めていた。見つけられるはずがない。たとえ会ったとしても、判別できないと思う。
一人で生きていけるように努力して、医師になった。何不自由のない暮らしをしている。
でも、俺だって運命の番を見つけたい。この制度なら、たぶん可能だ。国が管理する遺伝子情報によって、相手とマッチングできるのだから。
かなり浮かれていた俺だったけど、それは長くは続かなかった。
アルファとオメガは、早婚の傾向がある。
出会って早々に番になることもめずらしくない。
ヒートによる不慮の事故を防ぐため、見合い結婚も盛んだ。子供がアルファやオメガだった場合、同じくらいの家柄の相手と早々に縁組をする。
特に良家の場合はその傾向が強い。家と自分たちの子供を守るために、早々と番わせる親が多いのだ。
この「番マッチングシステム」も、若年層の利用が想定されているとのことだった。
その事実を知って、愕然とした。
「えっと、俺はアラサーなんだけど……?」
急に、自分が年寄りになった気分だった。
医師としては、まだまだ若手なのに。
「誰ともマッチングしないとかあり得るのか……?」
想像したら、自分が可哀相で笑えてきた。泣けない。もう笑うしかない。
「せめて、あと五年早く運用開始してくれてたらな……」
通勤の途中、診察の合間、休憩時間。その考えが頭の中をグルグルと駆け巡る。「番マッチングシステム」を利用するか、否か。
散々、悩んだ結果。
俺は利用しないことを選んだ。傷つくのは怖い。要は逃げたのだ。「番マッチングシステム」なんて馬鹿らしい。そう何度も、自分に言い聞かせた。
✤
午前の診察を終え、医局にある自分のデスクで昼食をとった。売店で買ったパンをかじっていたら、同僚の女性医師が話しかけてきた。
「秋里先生も、参加されますよね?」
紙パックの野菜ジュースにストローをさしながら、肩をすくめる。
「……なんの話?」
「結婚式ですよ。杉山先生の」
「あぁ……」
そういえば、招待状をもらっていた。
杉山というのは、先輩医師だ。男性で、バース性はアルファだと思う。本人から直接聞いたわけではないけど、見た感じで分かる。
ちなみに、隣にいる女性医師の川上もアルファだろうと推測する。
医師はアルファが多いのだ。
「杉山さんの相手って、たしか看護師だったよな」
「そうですよ。市民病院に勤める年下女子。オメガらしいですね」
オメガの看護師。
医師ほどではないけど、希少性がある。
頑張ったんだろうな、と思う反面、やはり羨ましいと思う。またしても胸の奥がチリチリする。
「……行くよ。川上さんは?」
「私も出席します。それまでに、ボロボロなのどうにかしないと……」
そう言って、ため息を吐いている。
彼女曰く、仕事が忙しくて髪も肌もボロボロなのだそうだ。さっそくスマートフォンを取り出し、美容院とエステの予約を入れている。
俺には、その「ボロボロ」というのがよく分からない。そこまで状態が悪いようには見えない。
「そのままで良いんじゃないか?」
川上は、どこから見ても美人なタイプだ。今のままで十分。そういうつもりで言ったのだが……。
「秋里先生、そういうこと言うと彼女に嫌われますよ」
「はぁ?」
「綺麗になろうって前向きになってるところに、水を差す行為ですよ。今まで、それで喧嘩になったこととかないんですか?」
片手で器用にスマートフォンを操りながら、やれやれといった顔で俺を見る。
「ないね」
そう言って、俺は残っていたパンを口に押し込んだ。
喧嘩になったことなどない。彼女がいたこともない。もちろん彼氏だって。悪かったな。
悔しまぎれに、俺は川上を睨んだ。
彼女は、予約を取るのに夢中らしかった。浮かれた様子で、スマートフォンの画面に見入っている。
口の中の水分を奪われながら、俺はなんとか咀嚼してパンを飲み込んだ。