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第55話 彼の名前

「あれ、目の錯覚かな……?」


 しょぼしょぼする目をこすりながら、俺はスマートフォンの画面を凝視した。


 要約すると「あなたとマッチングできてうれしいです」的な文言があったのだ。


「え、マジで……?」


 少しずつ頭が冴えてくる。


 無視するわけにもいかないので、震える手で返信した。息を飲んで反応を待ったが、一分経っても、三十分経っても、音沙汰はなかった。


 浮上していた気分が急降下していく。


「いや、待て。今は夜中だから、寝てるのかも……」


 なんといっても高校生だ。明日も学校があるはず。


「そうか。そうだよな、うん。すぐに返信がなくても大丈夫だ」


 自分に言い聞かせた。


「そもそも俺だって、すぐにメッセージを返してないし」


 諦めて、今日は寝よう。


 そう思っても、諦め悪くスマートフォンを閉じたり開いたりしていた。明け方近くまで眠れなかった。





 バイブレーションを手のひらに感じて、目を覚ました。ほとんど寝ていなかったので、瞼が開かない。のろのろとスマートフォンを開くと、メッセージが届いていた。


 マッチングした相手からだった。 


 慌てて飛び起きた。ベッドの上で正座して、メッセージを読む。


『おはようございます。返信をもらえてうれしかったです。メッセージが届いた時間を確認したら深夜だったんですが、お仕事が忙しいんですか?』


 頭が真っ白になる。


 う、うれしい……? 俺からのメッセージが、うれしい……?


 心臓が破裂しそうなくらいバクバクする。


 ごくり、と息を飲んでメッセージを返した。


『返信が遅くなって申し訳ない。勤務医だから、時間が不規則なんだ』


 嘘八百を書き連ねることに罪悪感を覚える。メッセージを確認する勇気が持てず、ズルズルと時間を引き延ばしていただけだ。あげく、酒の力を借りた。


 ちなみに、俺が医師であることは最初から伝わっていると思う。職業欄を確認できる仕様なのだ。それで、相手が高校生だということをこちらも把握できたわけで。


「でも、医者といっても色々あるし……」


 ステータスという意味では、やはり開業医が一番だ。俺はただの勤務医。病院自体は、かなり有名だけど。


『責任のあるお仕事をされていて、とても尊敬します』


 そ、そんな……! 尊敬なんて……! 


 正座をしていたのに、気づいたらベッドの上で悶えていた。ぐねぐねと身を捩りながら「ぐふふ」と奇声をあげる。


『どうして、医師になろうと思ったんですか?』


 ……それは、ひとりで生きていくため。


「でも、いきなりこんなこと言ったら引かれるよな」 


 重いヤツだと思われたくない。


『オメガの医師は、まだ少ないから。同じ立場として患者に寄り添えると思って』


 物は言いようだ。希少性をいかすという意味では同じだが、俺の場合は単純にガッツリ稼ぎたかっただけ……。


『素敵ですね』


 ざ、罪悪感……!


 でも、うれしいと思ってしまう。


 再び、メッセージが届いた。


『名前、聞いても良いですか』


 ……名前。


 そうなのだ。このシステムは、スペックは表示されるけれども顔と名前は分からない。


 お互いがやり取りをしていく中で、氏名を明かしたり、会う約束をしたりしていく。


『いいよ』


 俺が名前を告げると、間もなく相手から返信があった。


『僕は、御門北斗みかどほくとといいます』


 ……格好良い。


 思わずときめいた。名前にときめくなんて意味不明だけど、とにかく鼓動が早くてヤバい。


「御門北斗……」


 ベッドの上で仰向けになり、天井に向かってつぶやく。


「うわぁーーー!」


 頬が赤くなって、恥ずかしさでジタバタと暴れた。またしても身を捩る。誰にも見られていないから良いけど、動きは明らかに不審者だ。


『瑞生さんって呼んでも良いですか』


 ヒイーーー!


 心の中で悲鳴を上げた。名前呼び。うれしい。恥ずかしい。死にそう。


『いいけど』


 息も絶え絶えなのに、文面だけ見るとそっけない。大人ぶりたいのだ。アラサーなりの余裕を見せたい。


『僕のことは、呼び捨てで良いですよ』


 な、なんですと……?


『北斗?』


『はい』


 ぎゃーーー!


 カップルみたい!!


 うつ伏せになって、足をばたつかせる。水泳の授業かと自分で自分にツッコむ。


『そろそろ学校に行かないといけないので、これで失礼します』


 そ、そうか……。


 残念だが仕方ない。アプリを閉じたら、一気に冷静になった。


「良い年して、ひとりではしゃいで。俺はなにをやっているんだ……」


 身を捩ったり悶えたりしたせいで、シーツがぐちゃぐちゃに乱れている。それを眺めながら、俺は長いため息を吐いた。





 午前の診察が終わって、いつものように医局でパンをかじっていた。今日はたまごサンド。


 ちびちびと食べていたら、スマートフォンが震えた。まさか、と思いながら開くと、そのまさかだった。


 北斗からメッセージが届いている。


『今、たまごサンドを食べています』


 画像も送られてきた。食べかけのたまごサンドだった。


「え、嘘……」


 自分が食べているのも、たまごサンドだ。些細な偶然に、気分が果てしなく上昇していく。


 デスクの上をささっと片付けてから、たまごサンドを撮影する。そして、北斗に送信した。


『俺も、ちょうど食べてた』


 まったくもって、素晴らしい偶然だ。これで午後からも頑張れる。


『運命ですね』


 ……う、ううう、うんめい?


「んぐっ……ごほっ! ぶふぉ……!!」


 衝撃的な言葉を目にして、思わず咳き込んだ。


「ちょっと、秋里さん。こっちにまで飛ばさないでくださいよ」


 ゼリー飲料をすすっている川上が、俺のほうを見ながら顔をしかめる。勢いよく咳き込んだせいで、迷惑をかけたらしい。


「悪い……」


 ティッシュで口元を拭きながら、俺は川上に詫びた。

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