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第56話 会いたい

 北斗とは、毎日メッセージのやり取りをするようになった。


 内容は、他愛ないことばかりだ。『おはよう』とか『今日の昼食はなんだった?』とか。


 俺は、たいていパンを食べている。売店で売っている、くるみパンかたまごサンド。ときどきベーコンマヨロール。


 北斗は、学校のカフェテリアでランチを食べているらしい。


 カフェテリアという単語が、なんとなく引っかかった。


 あれは、たしか柊と世間話をしていたときだったと思う。「高校のカフェテリアで」という話を聞いた覚えがあったのだ。


 柊と宗一郎の母校である須王学園は、進学科と体育科に分かれている。


 特に進学科には、資産家や著名人の子息たちが多数在籍しているらしい。そのほとんどが、アルファの生徒らしいのだ。


 まさか、と思った。


『もしかして、北斗が通っているのは須王学園……?』


 いや、さすがにそんな偶然はないか、と送信した後に苦笑いをしたのだけど。


『そうです』


 まさかの正解。


 こんな偶然もあるんだなと思った。


『どうして分かったんですか』


 担当している患者が、と文字を打ったところで、思い直して消去した。


「これもプライバシーだよな……?」


 患者のプライバシーを漏らさないように、普段から徹底して指導を受けている。


『知り合いが卒業生なんだ』


 これなら問題ないだろう。 


『その知り合いって、アルファですか』


 宗一郎の顔が浮かんだ。


 ……あいつ、一応はアルファだもんな。


 アルファらしいオーラというか、雰囲気は皆無だ。両親がベータのせいか、本人もベータっぽい。


 俺と同じ隔世遺伝でのバース性だ。


「それで、妙に親近感が湧いたのかもな……」


 のほほんとした男(宗一郎)の顔を思い浮かべながら『そうだよ』と返信した。


 しばらく待ったけど、北斗からメッセージは届かなかった。


「ランチを食べるのに夢中なのか……?」


 きっと食欲旺盛だ。育ち盛りだし、アルファは特によく食べる。


 口いっぱいに、ごはんを頬張る北斗……。


 想像したら、頬がゆるんだ。


「かわいい……」


 顔は分からないけど、きっと純粋で慎ましくて、少年らしい子だと思う。


 メッセージのやり取りをするようになって、それが分かった。文面から伝わってくるのだ。





 午後の診察。


 カルテを確認しながら、患者の女性に微笑みかける。


「順調ですね。それでは、また来月にお越しください」


 患者はオメガだ。現在、妊娠八か月。夫を伴って妊婦検診に訪れていた。


「ありがとうございます」


 夫婦そろって、深々と頭を下げる。


 診察室を出ていくとき、患者の細い指が、そっと夫の腕を掴んだのが見えた。


 幸せそうな患者の顔が、いつまでも胸に残った。


 ……自分も、あんな風になれるだろうか。北斗と。


 いや、ムリだ。


 小さくかぶりを振る。


「なんで、よりにもよって高校生なんだよ……」


 誰もいなくなった診察室で、俺はひっそりとつぶやいた。


 医局に戻ると、北斗からメッセージが届いていた。


『会いたいです』


 シンプルな言葉だった。


 その文字を凝視する。すぐに返信できなかった。スマートフォンをバックに入れて、俺は顔を覆った。


 会いたい。


 俺だって、もちろん会いたい。北斗がどんな顔をしているのか見たいし、直接言葉をかわしたい。


 でも……。


 会うのは怖い。どう思われるんだろう。北斗から見た俺の第一印象って……。


「秋里さん、どうかしたんですか?」


 顔を覆ったままの俺を見て、川上が声をかけてくる。


「……俺って、アラサーだよな?」


「そうですけど。今さら、なにを言っているんですか」


「若く見えるか?」


「えぇ……」


 声色で、彼女がドン引きしているのが分かる。


 たしかに、逆の立場だったら同じ反応をすると思う。


「正直に言っていいんですか?」


「そのほうが助かる」


 俺が求めているのは気遣いではなく、正確な情報だ。


「年相応だと思います」


「……そうか」


 力が抜けて、そのままデスクに突っ伏した。


「若く見えると思ってたんですか?」


「そういうわけじゃないけど……」


 横に並んだとき、少しでも年齢差がないように見えたらいいなと思ったのだ。


「……会う気マンマンだな」


「え? なにか言いました……?」


 川上がパチパチとまばたきをしながら、俺を見る。


「……川上さんは良いよな」


「なにがですか」


「若いだろ」


「二歳しか違いませんけど……」


 いや、二歳は大きな差だ。


 川上は二十九歳。まだ二十代。ギリギリだが、二十代には違いない。同じアラサーでも、この差は大きい。


 実年齢が二十代で、外見が若く見えるタイプだったら……。


 北斗と一緒にいても、特に違和感がないと思う。


「あぁ……!」


 デスクに突っ伏したまま、俺は唸った。


「おじさんだと思われたくない……」


「え、大丈夫ですよ?」


「なにが」


「私、秋里さんのことオジサンとか思ったことないです。自信を持ってください」


 自信って……。


「あ、そう」


「普通にイケメンだと思います」


「……そうか?」


「すっきりタイプのイケメンですよ。塩顔イケメンとかいうやつです」


 柊と同じことを言う。


「でも、ちょっと冷たそうに見えますね。目元が涼しいからだと思うんですけど……。ちょっと内面も出てるかもしれないですね。ほら、秋里さんって他人に興味ないじゃないですか」


 失礼なことを言う後輩だ。


 まぁ、あながち間違ってはないかもしれないが。


「初対面の相手には、印象があまり良くないと思いますね」


 遠慮が無さすぎる……いや、でもこれは有益な情報かもしれない。


 なるべく良い印象を与えたい。第一印象は大切だ。


 デスクから顔を上げて、川上のほうを向く。そして、口角を引き上げてみた。


「なんですか、その顔……」


 川上が眉をひそめる。


「……なにって、笑顔だよ」


「え、不気味」


 失礼が過ぎる。


「もっと自然なほうが良いです」


 デスクの引き出しを開けて、川上が手鏡を引っ張り出す。


 俺は鏡に向かって、にっこり笑ってみた。


「やり過ぎです。不自然なんですよね。微笑むくらいで十分ですよ」


 川上の物言いに思わずムッとしたが、気を取り直して手鏡を覗き込む。


 そして、にこ……としてみた。


「それですよ!」


 鏡の中には、まぁまぁイケている自分の顔があった。柔らかい印象だ。


「……川上さん」


「なんですか?」


「助かった」


 はからずも笑顔の特訓に付き合ってもらった彼女に礼を言った。


 これで、少しは良い印象を北斗に与えられると思う。

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