北斗とは、毎日メッセージのやり取りをするようになった。
内容は、他愛ないことばかりだ。『おはよう』とか『今日の昼食はなんだった?』とか。
俺は、たいていパンを食べている。売店で売っている、くるみパンかたまごサンド。ときどきベーコンマヨロール。
北斗は、学校のカフェテリアでランチを食べているらしい。
カフェテリアという単語が、なんとなく引っかかった。
あれは、たしか柊と世間話をしていたときだったと思う。「高校のカフェテリアで」という話を聞いた覚えがあったのだ。
柊と宗一郎の母校である須王学園は、進学科と体育科に分かれている。
特に進学科には、資産家や著名人の子息たちが多数在籍しているらしい。そのほとんどが、アルファの生徒らしいのだ。
まさか、と思った。
『もしかして、北斗が通っているのは須王学園……?』
いや、さすがにそんな偶然はないか、と送信した後に苦笑いをしたのだけど。
『そうです』
まさかの正解。
こんな偶然もあるんだなと思った。
『どうして分かったんですか』
担当している患者が、と文字を打ったところで、思い直して消去した。
「これもプライバシーだよな……?」
患者のプライバシーを漏らさないように、普段から徹底して指導を受けている。
『知り合いが卒業生なんだ』
これなら問題ないだろう。
『その知り合いって、アルファですか』
宗一郎の顔が浮かんだ。
……あいつ、一応はアルファだもんな。
アルファらしいオーラというか、雰囲気は皆無だ。両親がベータのせいか、本人もベータっぽい。
俺と同じ隔世遺伝でのバース性だ。
「それで、妙に親近感が湧いたのかもな……」
のほほんとした男(宗一郎)の顔を思い浮かべながら『そうだよ』と返信した。
しばらく待ったけど、北斗からメッセージは届かなかった。
「ランチを食べるのに夢中なのか……?」
きっと食欲旺盛だ。育ち盛りだし、アルファは特によく食べる。
口いっぱいに、ごはんを頬張る北斗……。
想像したら、頬がゆるんだ。
「かわいい……」
顔は分からないけど、きっと純粋で慎ましくて、少年らしい子だと思う。
メッセージのやり取りをするようになって、それが分かった。文面から伝わってくるのだ。
✤
午後の診察。
カルテを確認しながら、患者の女性に微笑みかける。
「順調ですね。それでは、また来月にお越しください」
患者はオメガだ。現在、妊娠八か月。夫を伴って妊婦検診に訪れていた。
「ありがとうございます」
夫婦そろって、深々と頭を下げる。
診察室を出ていくとき、患者の細い指が、そっと夫の腕を掴んだのが見えた。
幸せそうな患者の顔が、いつまでも胸に残った。
……自分も、あんな風になれるだろうか。北斗と。
いや、ムリだ。
小さくかぶりを振る。
「なんで、よりにもよって高校生なんだよ……」
誰もいなくなった診察室で、俺はひっそりとつぶやいた。
医局に戻ると、北斗からメッセージが届いていた。
『会いたいです』
シンプルな言葉だった。
その文字を凝視する。すぐに返信できなかった。スマートフォンをバックに入れて、俺は顔を覆った。
会いたい。
俺だって、もちろん会いたい。北斗がどんな顔をしているのか見たいし、直接言葉をかわしたい。
でも……。
会うのは怖い。どう思われるんだろう。北斗から見た俺の第一印象って……。
「秋里さん、どうかしたんですか?」
顔を覆ったままの俺を見て、川上が声をかけてくる。
「……俺って、アラサーだよな?」
「そうですけど。今さら、なにを言っているんですか」
「若く見えるか?」
「えぇ……」
声色で、彼女がドン引きしているのが分かる。
たしかに、逆の立場だったら同じ反応をすると思う。
「正直に言っていいんですか?」
「そのほうが助かる」
俺が求めているのは気遣いではなく、正確な情報だ。
「年相応だと思います」
「……そうか」
力が抜けて、そのままデスクに突っ伏した。
「若く見えると思ってたんですか?」
「そういうわけじゃないけど……」
横に並んだとき、少しでも年齢差がないように見えたらいいなと思ったのだ。
「……会う気マンマンだな」
「え? なにか言いました……?」
川上がパチパチとまばたきをしながら、俺を見る。
「……川上さんは良いよな」
「なにがですか」
「若いだろ」
「二歳しか違いませんけど……」
いや、二歳は大きな差だ。
川上は二十九歳。まだ二十代。ギリギリだが、二十代には違いない。同じアラサーでも、この差は大きい。
実年齢が二十代で、外見が若く見えるタイプだったら……。
北斗と一緒にいても、特に違和感がないと思う。
「あぁ……!」
デスクに突っ伏したまま、俺は唸った。
「おじさんだと思われたくない……」
「え、大丈夫ですよ?」
「なにが」
「私、秋里さんのことオジサンとか思ったことないです。自信を持ってください」
自信って……。
「あ、そう」
「普通にイケメンだと思います」
「……そうか?」
「すっきりタイプのイケメンですよ。塩顔イケメンとかいうやつです」
柊と同じことを言う。
「でも、ちょっと冷たそうに見えますね。目元が涼しいからだと思うんですけど……。ちょっと内面も出てるかもしれないですね。ほら、秋里さんって他人に興味ないじゃないですか」
失礼なことを言う後輩だ。
まぁ、あながち間違ってはないかもしれないが。
「初対面の相手には、印象があまり良くないと思いますね」
遠慮が無さすぎる……いや、でもこれは有益な情報かもしれない。
なるべく良い印象を与えたい。第一印象は大切だ。
デスクから顔を上げて、川上のほうを向く。そして、口角を引き上げてみた。
「なんですか、その顔……」
川上が眉をひそめる。
「……なにって、笑顔だよ」
「え、不気味」
失礼が過ぎる。
「もっと自然なほうが良いです」
デスクの引き出しを開けて、川上が手鏡を引っ張り出す。
俺は鏡に向かって、にっこり笑ってみた。
「やり過ぎです。不自然なんですよね。微笑むくらいで十分ですよ」
川上の物言いに思わずムッとしたが、気を取り直して手鏡を覗き込む。
そして、にこ……としてみた。
「それですよ!」
鏡の中には、まぁまぁイケている自分の顔があった。柔らかい印象だ。
「……川上さん」
「なんですか?」
「助かった」
はからずも笑顔の特訓に付き合ってもらった彼女に礼を言った。
これで、少しは良い印象を北斗に与えられると思う。