帰宅してすぐに、ハイボールを作る。
ソファにどかりと座り、頬をムニムニと揉む。突っ張ったように痛むのだ。
おそらく、笑顔の練習をしたからだと思う。
「今日の今日で筋肉痛になるってことは、まだまだ俺も若いな……」
ふふん、と笑いながらハイボールで喉をうるおす。
スマートフォンが震えたので確認したら、北斗だった。メッセージが届いている。
『会うのはダメですか』
そういえば『会いたいです』というメッセージに対して、まだ返信をしていなかった。
『僕ではダメですか』
『年下は相手になりませんか』
『もしかして、他に誰かいるんですか』
返事がないことに焦れたのか、立て続けにメッセージが届く。
ダメなわけない。
相手がいるなら、そもそも「番マッチングシステム」を利用したりしない。
慌てて文字を打った。
すぐに返信しなかった理由を並べ立てた。でも、送信する前に消去した。俺が言いたいことはそれじゃない。
『俺も会いたい』
震える手で文字を入力した。そして、送信した。
たったそれだけのことなのに、泣きたくなった。意味もなくソファを立ち上がる。居ても立っても居られない。
北斗も、こんな気持ちだったんだろうか。
……すぐに返信できなくてごめん。
心の中で、何度も詫びた。
✤
日曜の午後。
約束の場所であるカフェで、俺はひたすら緊張していた。北斗を待っているのだ。約束の時間まで、あと一時間もある。
「いくらなんでも早すぎだろ……」
思わず自嘲した。
早く会いたいとか、遅刻できないとか、それはもちろんある。でも、単純に自宅にいることができなかった。そわそわして落ち着かなかった。
カフェのドアが開く音がした。
視線を上げると、ひとりの青年が店内に入ってくるところだった。たぶん、大学生だろう。長身で、見たことがないくらい美形だった。
店内を見回している。
おそらく、彼も待ち合わせをしているのだ。ちょっと緊張しているように見える。
はぁ、微笑ましい。というか、マジでイケメンだな。
近づいてくる青年をちらちらと見ながら、心の中で感嘆する。俺の塩顔イケメンもどきとは違う。正真正銘の美男子だ。
くっきりとした二重瞼に、すっと通った鼻筋。そこまで圧を感じないのは、幼さがあるからだろう。
たぶん、アルファだろうな。
そう思ったところで、声をかけられた。
「瑞生さんですか……?」
圧倒的美男子に見下ろされている。
「え?」
思わず間が抜けた声が出た。
「……すみません。人違いだったみたいです」
そう言って、軽く頭を下げた。
俺は、慌てて「あの!」と呼び止めた。
「そ、そうだけど」
まさか、この青年が?
「北斗……?」
「はい」
安心したように、北斗が大きく息を吐く。笑うと可愛さが増した。
はわわわわーーーー!
心の中で絶叫する。俺とマッチングした相手は、こんなにもイケメンで可愛いのか。信じられない。もしかしたら自分は、前世でとんでもない徳を積んだのかもしれない。だって、現世では特に良い行いをした自覚はない。
「早かったんですね」
北斗が向かいの席に座った。
「え? あぁ……」
そういえば、まだ約束の一時間前だった。
「用事があって。予想以上に早く終わったから……」
これも嘘八百。
大人になるのはイヤだ。
自分でも驚くほど、その場で上手に嘘をつける。
「僕は、なんだか緊張して。気がついたら早めに家を出ていました」
素直さがまぶしい。苦しいくらいに。
「子どもっぽいですよね」
照れたように北斗が笑う。
全身が震えるくらいに衝撃が走った。
呆然としていたら、北斗が心配そうな顔になった。
「もしかして、体調が悪いんですか……?」
「い、いや。平気」
ぎこちなく笑う。あんなに笑顔の特訓をしたのに、上手に笑えない。
念のため、抑制剤を飲んで家を出た。これまでは飲む必要もなかったけど、もしかしたらと思た。マッチングした相手だ。
遺伝子的に相性が良いということになる。
今のところ、問題はない。それが薬のおかげなのかはわからない。
北斗とは、いろんな話をした。
好きな音楽ユニットの名前を聞いたときは、必死に頭にインプットした。おそらく、若者が好む音楽だと思う。俺は初めて聞くユニット名だった。
自宅に帰ってから検索しようと心に決める。
北斗は両親と妹の四人暮らしだという。
「お兄ちゃんか……」
優しそうだもんな、と思う。叶わぬ夢だけど、できれば彼の妹になりたい。そして一つ屋根の下で生活したい。朝も昼も夜も一緒にいたい。彼の姿を拝みたい。
「瑞生さんは?」
「え?」
一つ屋根の下ライフの妄想が爆発してしまった。
我に返って、おたおたする。
「な、なに?」
「兄弟とかいるんですか?」
あ、そうだ。家族構成の話だった。
「いや、一人っ子だよ」
父親は亡くなった。母親とは、今は別々に暮らしている。
「さみしくないですか?」
小さな子供に訊ねるような口調だった。
なんだかくすぐったい。
「別に。もう子供じゃないから……」
「大人は、さみしくなったりしないんですか」
北斗の言葉が、ズキン、と胸にささる。
さみしい。
一人はさみしい。
だから、いつも傍らにアルファがいるオメガが羨ましかった。俺は一人で不完全なオメガだから。一人で生きていけるオメガだから。
「……さみしい」
俯いて、ぼそりとつぶやいた。
ずっと隠していた罪を告白するような心境だった。
「一人だったから……」
「うん」
「ずっと、さみしかった」
テーブルの上に置いた手に、北斗がそっと触れる。
生暖かい感触に、ドキリとする。
初めて知る体温なのに、びっくりするほど肌になじんだ。
触れているのが当たり前で、どうして今まで離れていたんだろうと思うくらいだった。
「遅くなってごめんなさい」
「……なにが?」
そろりと目線を上げる。
北斗と目が合った。
「瑞生さんを見つけるのが遅くなって」
「ほ、北斗……」
「もうさみしくないですよ」
言葉にならなくて、視線で「ほんとうに?」と訊ねた。それでも、北斗はちゃんと分かってくれた。
「これからは、ずっと僕がいますから」
俺は震えながら、ゆっくりとうなずいた。
そして、北斗の指を握り返した。