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第57話 ずっとさみしかった

 帰宅してすぐに、ハイボールを作る。


 ソファにどかりと座り、頬をムニムニと揉む。突っ張ったように痛むのだ。


 おそらく、笑顔の練習をしたからだと思う。


「今日の今日で筋肉痛になるってことは、まだまだ俺も若いな……」


 ふふん、と笑いながらハイボールで喉をうるおす。


 スマートフォンが震えたので確認したら、北斗だった。メッセージが届いている。


『会うのはダメですか』


 そういえば『会いたいです』というメッセージに対して、まだ返信をしていなかった。


『僕ではダメですか』


『年下は相手になりませんか』


『もしかして、他に誰かいるんですか』


 返事がないことに焦れたのか、立て続けにメッセージが届く。


 ダメなわけない。


 相手がいるなら、そもそも「番マッチングシステム」を利用したりしない。


 慌てて文字を打った。


 すぐに返信しなかった理由を並べ立てた。でも、送信する前に消去した。俺が言いたいことはそれじゃない。


『俺も会いたい』 


 震える手で文字を入力した。そして、送信した。


 たったそれだけのことなのに、泣きたくなった。意味もなくソファを立ち上がる。居ても立っても居られない。


 北斗も、こんな気持ちだったんだろうか。


 ……すぐに返信できなくてごめん。


 心の中で、何度も詫びた。





 日曜の午後。


 約束の場所であるカフェで、俺はひたすら緊張していた。北斗を待っているのだ。約束の時間まで、あと一時間もある。


「いくらなんでも早すぎだろ……」


 思わず自嘲した。


 早く会いたいとか、遅刻できないとか、それはもちろんある。でも、単純に自宅にいることができなかった。そわそわして落ち着かなかった。


 カフェのドアが開く音がした。


 視線を上げると、ひとりの青年が店内に入ってくるところだった。たぶん、大学生だろう。長身で、見たことがないくらい美形だった。


 店内を見回している。


 おそらく、彼も待ち合わせをしているのだ。ちょっと緊張しているように見える。


 はぁ、微笑ましい。というか、マジでイケメンだな。


 近づいてくる青年をちらちらと見ながら、心の中で感嘆する。俺の塩顔イケメンもどきとは違う。正真正銘の美男子だ。


 くっきりとした二重瞼に、すっと通った鼻筋。そこまで圧を感じないのは、幼さがあるからだろう。


 たぶん、アルファだろうな。


 そう思ったところで、声をかけられた。


「瑞生さんですか……?」


 圧倒的美男子に見下ろされている。


「え?」


 思わず間が抜けた声が出た。


「……すみません。人違いだったみたいです」


 そう言って、軽く頭を下げた。


 俺は、慌てて「あの!」と呼び止めた。


「そ、そうだけど」


 まさか、この青年が?


「北斗……?」


「はい」


 安心したように、北斗が大きく息を吐く。笑うと可愛さが増した。


 はわわわわーーーー!


 心の中で絶叫する。俺とマッチングした相手は、こんなにもイケメンで可愛いのか。信じられない。もしかしたら自分は、前世でとんでもない徳を積んだのかもしれない。だって、現世では特に良い行いをした自覚はない。


「早かったんですね」


 北斗が向かいの席に座った。


「え? あぁ……」


 そういえば、まだ約束の一時間前だった。


「用事があって。予想以上に早く終わったから……」


 これも嘘八百。


 大人になるのはイヤだ。


 自分でも驚くほど、その場で上手に嘘をつける。


「僕は、なんだか緊張して。気がついたら早めに家を出ていました」


 素直さがまぶしい。苦しいくらいに。


「子どもっぽいですよね」


 照れたように北斗が笑う。


 全身が震えるくらいに衝撃が走った。


 呆然としていたら、北斗が心配そうな顔になった。


「もしかして、体調が悪いんですか……?」


「い、いや。平気」


 ぎこちなく笑う。あんなに笑顔の特訓をしたのに、上手に笑えない。 


 念のため、抑制剤を飲んで家を出た。これまでは飲む必要もなかったけど、もしかしたらと思た。マッチングした相手だ。


 遺伝子的に相性が良いということになる。


 今のところ、問題はない。それが薬のおかげなのかはわからない。


 北斗とは、いろんな話をした。


 好きな音楽ユニットの名前を聞いたときは、必死に頭にインプットした。おそらく、若者が好む音楽だと思う。俺は初めて聞くユニット名だった。


 自宅に帰ってから検索しようと心に決める。 


 北斗は両親と妹の四人暮らしだという。


「お兄ちゃんか……」


 優しそうだもんな、と思う。叶わぬ夢だけど、できれば彼の妹になりたい。そして一つ屋根の下で生活したい。朝も昼も夜も一緒にいたい。彼の姿を拝みたい。


「瑞生さんは?」


「え?」


 一つ屋根の下ライフの妄想が爆発してしまった。


 我に返って、おたおたする。


「な、なに?」


「兄弟とかいるんですか?」


 あ、そうだ。家族構成の話だった。


「いや、一人っ子だよ」


 父親は亡くなった。母親とは、今は別々に暮らしている。


「さみしくないですか?」


 小さな子供に訊ねるような口調だった。


 なんだかくすぐったい。 


「別に。もう子供じゃないから……」


「大人は、さみしくなったりしないんですか」


 北斗の言葉が、ズキン、と胸にささる。 


 さみしい。


 一人はさみしい。


 だから、いつも傍らにアルファがいるオメガが羨ましかった。俺は一人で不完全なオメガだから。一人で生きていけるオメガだから。


「……さみしい」


 俯いて、ぼそりとつぶやいた。


 ずっと隠していた罪を告白するような心境だった。


「一人だったから……」


「うん」


「ずっと、さみしかった」


 テーブルの上に置いた手に、北斗がそっと触れる。


 生暖かい感触に、ドキリとする。


 初めて知る体温なのに、びっくりするほど肌になじんだ。


 触れているのが当たり前で、どうして今まで離れていたんだろうと思うくらいだった。


「遅くなってごめんなさい」


「……なにが?」


 そろりと目線を上げる。


 北斗と目が合った。


「瑞生さんを見つけるのが遅くなって」 


「ほ、北斗……」 


「もうさみしくないですよ」


 言葉にならなくて、視線で「ほんとうに?」と訊ねた。それでも、北斗はちゃんと分かってくれた。


「これからは、ずっと僕がいますから」


 俺は震えながら、ゆっくりとうなずいた。


 そして、北斗の指を握り返した。

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