目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

第60話 確かめない

 以前、宗一郎と利用したことのあるカフェで待ち合わせをした。


 お互い勤務を終えたあとなので、酒を酌み交わしたいところなのだが、そういう雰囲気でもないと思ったのでカフェを利用した。


 アイスティーのストローをくるくるまわしながら、向かいに座った宗一郎を見る。


 落ち着かないような、憮然としたような、明らかにいつもの彼ではなかった。


「……それで、話ってなんです?」


 自分から切り出してみた。


 宗一郎も覚悟を決めたのか、大きく息を吐いた。


「先生の相手のことなんですけど」


「相手……?」


「例のマッチングした、年下の……」


 ドキン、と心臓が跳ねた。


「北斗が、どうかしたんですか……?」


「上手くいっていますか」


 なぜ、宗一郎がそんなことを聞くのだろう。


 俺の表情で察したのか「実は」と話し始めた。


「偶然、秋里さんを見たんです。紺田町の駅前のカフェで……」 


 北斗といつも会っているカフェだ。


「相手の子、アルファですよね」


「そう、ですけど」


「柊から、聞いたんですけど。彼は、御門北斗というそうですね……?」


「……はい」


 柊と話しているとき、北斗の名前を告げた記憶がある。


「先生と彼を見たとき、同僚と一緒にいたんです。北斗くんは、知り合いのご子息だとか」


「……そうなんですか」


 宗一郎が、ずっと渋い顔をしている。


「同僚が言うには、北斗くんは『御門』という名字ではないそうなんです」


「え?」


 ど、どういうことだ?


「知り合いといっても顔見知り程度らしくて……。確かに息子だと紹介はされたらしいんですが、そのときに聞いた下の名前も、あやふやだと言うんです」


「……それじゃあ『北斗』という名前も、嘘かもしれないってことですか?」


「あの子は、偽名を使っているのかもしれません」


 鋭利な刃物で、胸を突かれたような感覚だった。


「そ、そんな。まさか……」


 俺は、ゆっくりとかぶりを振った。信じられない。だって、家にだって呼んでくれた。


 そうだ。表札……。


 マンションの表札は、どうだっただろう。


 出ていなかった気がする。どれだけ記憶をたどってもダメだった。思い出せない。


「……俺は、騙されているんですか?」


 宗一郎が、困ったような表情になった。


 同時に申し訳なさを感じた。俺のことを心配して、彼はこうして忠告してくれているのだ。


「前に一度、柊から『パパ活みたい』と言われたことがあります」


「それは」


「分かってます。あのときは冗談だったって」


 俺は、正面から宗一郎を見た。


「……でも、それでも良いんです」


 自分の声は、凪みたいに静かだった。不思議と怒りは湧いてこない。


「金を要求されたことは?」


「ありません」


「これから、されるかもしれませんよ。体だって……」


「良いんです」


 金銭を要求されてもいい。それ以外のことを求められても、彼が欲しいというのなら渡すつもりだ。


「確かめないんですか……? もしかしたら、彼にもなにか事情があるのかもしれません」


「……確かめたら、終わってしまうじゃないですか」


 そう言って、俺は笑った。


 自分の気持ちはもう、引き返せないところまで来ている。そのことに、ようやく気づいた。





 宗一郎と会った次の日、北斗からメッセージが届いた。


『よかったら家に来ませんか』


 自分でも驚くほど冷静に『いいよ』と返信した。


『レパートリーが増えたんです』


 また、料理をするらしい。今度は味がするだろうか。


 ぼんやりと、そんなことを思った。


 約束の日。


 駅を出たところで、俺は周囲を見回した。迎えに来てくれることになっているのだ。


 しばらくすると、ふっと目の前に影ができた。


「すみません、ちょっと道を教えていただきたいんですが」


 サラリーマン風の男が立っていた。


 自分と同じか、少し年上かもしれない。かなりの長身だった。オフィスビルを探しているらしい。


「真新しいビルなんです。それで、地図に反映されていないのかも……。住所を見ても、よく分からなくて」


 そう言って、困惑の表情を浮かべた。


「この辺りは、区画整理されたばかりなんですよ」


 おそらく、それで地図に反映されていないのだろう。


 ビルの名前を確認すると、聞き覚えがあった。一階にコンビニがあって、何度か利用したことがある。


「駅の南側ですよ。この通りをまっすぐに行って……」


 説明を始めたら、背後から声が聞こえた。


「道案内なら僕がしますよ」


 振り返ると、北斗がいた。


 サラリーマン風の男に笑顔を向ける。でも、不思議と目が笑っていない気がした。


「遠慮しておくよ」


 男は、肩をすくめた。そして駅のほうに向かって歩き出す。


「あっさり引き下がってくれて良かったです」


 北斗が、ふっと息を吐く。


 俺は意味が分からず、首をかしげた。 


「……さっきの人が行きたがってた場所、駅の南側なんだけど」


 どうして反対の方向に行くんだろう。


「俺、ちゃんと説明したんだけどね」


 北斗が、すごい顔で俺を見る。驚愕しているようだ。


「あれは、ナンパだと思います……」


「え……」


 いや、あり得ない。俺みたいな地味男をナンパするなんて。


「あのひとは、たぶんアルファです」


 北斗の顔つきが、ちょっと怖くなった。まるで、周囲を警戒しているような感じだ。


「あ、そうなのか……」


 長身だなとは思った。


 それ以外、俺は特になにも感じなかった。でも、アルファ同士であれば察することができるのかも。


 そんなことを考えていたら、ジッと北斗に見られていることに気づいた。


「な、なに……?」


 真顔だった。


 いつもニコニコしているから、少し怖い。


「瑞生さんは、危機感が無さ過ぎると思います」


 低い声で言われて、ビクリと体が震える。


 俺は、彼の気に障ることをしてしまったのだろうか。


「あ……」


 なにか言おうとしたけど、言葉にならなかった。


 歩き始めた北斗が視界に入って、慌ててついて行く。


「ご、ごめん。ほんとうに、ただ道を聞かれただけだと思って……」


 北斗に手首を掴まれた。痛いくらいだった。


 ぐいぐいと引っ張られながら歩く。駅前の喧騒はいつの間にか消えていた。


 住宅街に入ると、北斗の力が緩んだ。


「……すみません」


 振り返った北斗が、俺の手首に触れる。


「痛かったですよね」


「ぜんぜん」


 平気だよ、と言いかけたところで、ぎょっとした。


 掴まれていた箇所に、痕が残っていた。北斗の指のカタチが、くっきりとついている。


 力が強いんだなと思った。


 北斗が、あまりにも痛ましそうに見ていたので、俺は微笑みながら「大丈夫」と言った。


 勇気を振り絞って、北斗の手に自分の指をすべり込ませた。


「一方的に掴まれるより、こっちのほうが好きだな」


 俺がそう言ったら、ぎゅっとやさしく手を握り込まれた。体温を感じる。泣きたくなった。


「……嫉妬しました」


 それは、ほんとうだろうか。


 北斗の言葉を信じられない自分がいる。いや、嘘でもいい。そばにいてくれるなら。俺を見てくれるなら。


「嫉妬するってことは……。北斗は、俺のことが好なの……?」


「はい」


 肯定されて、涙があふれた。


 全部が嘘かもしれないのに。


 それでも、彼がくれる言葉がうれしい。全身が、じりじりと痺れるくらいに幸せだった。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?