以前、宗一郎と利用したことのあるカフェで待ち合わせをした。
お互い勤務を終えたあとなので、酒を酌み交わしたいところなのだが、そういう雰囲気でもないと思ったのでカフェを利用した。
アイスティーのストローをくるくるまわしながら、向かいに座った宗一郎を見る。
落ち着かないような、憮然としたような、明らかにいつもの彼ではなかった。
「……それで、話ってなんです?」
自分から切り出してみた。
宗一郎も覚悟を決めたのか、大きく息を吐いた。
「先生の相手のことなんですけど」
「相手……?」
「例のマッチングした、年下の……」
ドキン、と心臓が跳ねた。
「北斗が、どうかしたんですか……?」
「上手くいっていますか」
なぜ、宗一郎がそんなことを聞くのだろう。
俺の表情で察したのか「実は」と話し始めた。
「偶然、秋里さんを見たんです。紺田町の駅前のカフェで……」
北斗といつも会っているカフェだ。
「相手の子、アルファですよね」
「そう、ですけど」
「柊から、聞いたんですけど。彼は、御門北斗というそうですね……?」
「……はい」
柊と話しているとき、北斗の名前を告げた記憶がある。
「先生と彼を見たとき、同僚と一緒にいたんです。北斗くんは、知り合いのご子息だとか」
「……そうなんですか」
宗一郎が、ずっと渋い顔をしている。
「同僚が言うには、北斗くんは『御門』という名字ではないそうなんです」
「え?」
ど、どういうことだ?
「知り合いといっても顔見知り程度らしくて……。確かに息子だと紹介はされたらしいんですが、そのときに聞いた下の名前も、あやふやだと言うんです」
「……それじゃあ『北斗』という名前も、嘘かもしれないってことですか?」
「あの子は、偽名を使っているのかもしれません」
鋭利な刃物で、胸を突かれたような感覚だった。
「そ、そんな。まさか……」
俺は、ゆっくりとかぶりを振った。信じられない。だって、家にだって呼んでくれた。
そうだ。表札……。
マンションの表札は、どうだっただろう。
出ていなかった気がする。どれだけ記憶をたどってもダメだった。思い出せない。
「……俺は、騙されているんですか?」
宗一郎が、困ったような表情になった。
同時に申し訳なさを感じた。俺のことを心配して、彼はこうして忠告してくれているのだ。
「前に一度、柊から『パパ活みたい』と言われたことがあります」
「それは」
「分かってます。あのときは冗談だったって」
俺は、正面から宗一郎を見た。
「……でも、それでも良いんです」
自分の声は、凪みたいに静かだった。不思議と怒りは湧いてこない。
「金を要求されたことは?」
「ありません」
「これから、されるかもしれませんよ。体だって……」
「良いんです」
金銭を要求されてもいい。それ以外のことを求められても、彼が欲しいというのなら渡すつもりだ。
「確かめないんですか……? もしかしたら、彼にもなにか事情があるのかもしれません」
「……確かめたら、終わってしまうじゃないですか」
そう言って、俺は笑った。
自分の気持ちはもう、引き返せないところまで来ている。そのことに、ようやく気づいた。
✤
宗一郎と会った次の日、北斗からメッセージが届いた。
『よかったら家に来ませんか』
自分でも驚くほど冷静に『いいよ』と返信した。
『レパートリーが増えたんです』
また、料理をするらしい。今度は味がするだろうか。
ぼんやりと、そんなことを思った。
約束の日。
駅を出たところで、俺は周囲を見回した。迎えに来てくれることになっているのだ。
しばらくすると、ふっと目の前に影ができた。
「すみません、ちょっと道を教えていただきたいんですが」
サラリーマン風の男が立っていた。
自分と同じか、少し年上かもしれない。かなりの長身だった。オフィスビルを探しているらしい。
「真新しいビルなんです。それで、地図に反映されていないのかも……。住所を見ても、よく分からなくて」
そう言って、困惑の表情を浮かべた。
「この辺りは、区画整理されたばかりなんですよ」
おそらく、それで地図に反映されていないのだろう。
ビルの名前を確認すると、聞き覚えがあった。一階にコンビニがあって、何度か利用したことがある。
「駅の南側ですよ。この通りをまっすぐに行って……」
説明を始めたら、背後から声が聞こえた。
「道案内なら僕がしますよ」
振り返ると、北斗がいた。
サラリーマン風の男に笑顔を向ける。でも、不思議と目が笑っていない気がした。
「遠慮しておくよ」
男は、肩をすくめた。そして駅のほうに向かって歩き出す。
「あっさり引き下がってくれて良かったです」
北斗が、ふっと息を吐く。
俺は意味が分からず、首をかしげた。
「……さっきの人が行きたがってた場所、駅の南側なんだけど」
どうして反対の方向に行くんだろう。
「俺、ちゃんと説明したんだけどね」
北斗が、すごい顔で俺を見る。驚愕しているようだ。
「あれは、ナンパだと思います……」
「え……」
いや、あり得ない。俺みたいな地味男をナンパするなんて。
「あのひとは、たぶんアルファです」
北斗の顔つきが、ちょっと怖くなった。まるで、周囲を警戒しているような感じだ。
「あ、そうなのか……」
長身だなとは思った。
それ以外、俺は特になにも感じなかった。でも、アルファ同士であれば察することができるのかも。
そんなことを考えていたら、ジッと北斗に見られていることに気づいた。
「な、なに……?」
真顔だった。
いつもニコニコしているから、少し怖い。
「瑞生さんは、危機感が無さ過ぎると思います」
低い声で言われて、ビクリと体が震える。
俺は、彼の気に障ることをしてしまったのだろうか。
「あ……」
なにか言おうとしたけど、言葉にならなかった。
歩き始めた北斗が視界に入って、慌ててついて行く。
「ご、ごめん。ほんとうに、ただ道を聞かれただけだと思って……」
北斗に手首を掴まれた。痛いくらいだった。
ぐいぐいと引っ張られながら歩く。駅前の喧騒はいつの間にか消えていた。
住宅街に入ると、北斗の力が緩んだ。
「……すみません」
振り返った北斗が、俺の手首に触れる。
「痛かったですよね」
「ぜんぜん」
平気だよ、と言いかけたところで、ぎょっとした。
掴まれていた箇所に、痕が残っていた。北斗の指のカタチが、くっきりとついている。
力が強いんだなと思った。
北斗が、あまりにも痛ましそうに見ていたので、俺は微笑みながら「大丈夫」と言った。
勇気を振り絞って、北斗の手に自分の指をすべり込ませた。
「一方的に掴まれるより、こっちのほうが好きだな」
俺がそう言ったら、ぎゅっとやさしく手を握り込まれた。体温を感じる。泣きたくなった。
「……嫉妬しました」
それは、ほんとうだろうか。
北斗の言葉を信じられない自分がいる。いや、嘘でもいい。そばにいてくれるなら。俺を見てくれるなら。
「嫉妬するってことは……。北斗は、俺のことが好なの……?」
「はい」
肯定されて、涙があふれた。
全部が嘘かもしれないのに。
それでも、彼がくれる言葉がうれしい。全身が、じりじりと痺れるくらいに幸せだった。