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第61話 言えなかったこと

「俺も、北斗のことが好き……」


 気づいたら、ぽろりと言葉が漏れていた。


 北斗が、うれしそうに何度もうなずく。


「じゃあ僕たち、好き同士ですね」


 そう言って微笑む北斗は、ちょっと幼く見えた。


 マンションに着いたとき、ふいに宗一郎の顔が思い浮かんだ。


 表札が出ていなかったか、と彼に訊かれたことを思い出した。ちらりと盗み見るように確認したけれど、それらしきものは見当たらなかった。


 俺は、軽く頭を振った。


 詮索するのは止そう。北斗は北斗だ。俺の目の前にいて、俺のことを好きだと言ってくれた。それで十分だ。


「……ここまで来て、今さらだけど」


「なんですか?」


 部屋の鍵を開けながら、北斗が振り返る。


「お邪魔して、大丈夫なのか?」


 俺は、遠慮がちに北斗を見た。今日も家族は不在のようだ。


 どうやら、父親は会社を経営しているらしい。母親も役員に名を連ねており、二人でパーティーに出席することもあるというのだから、いかにも上流階級だなと思った。


「平気ですよ。妹も、塾で遅くなるようですから」


「……そうか」


 北斗と二人きり。


 うれしい。怖い。信じたい。嘘でもいい。


 いろんな感情が、ぐるぐると頭の中を駆け巡る。


 北斗の部屋に案内され、中に入った瞬間、眩暈を覚えた。カッと頬が熱くなった。腰が抜けそうになって、その場にへたり込みそうになった。


 ぎりぎりのところで、北斗に支えられた。


「瑞生さん……?」


 ガクガクと足が震えている。俺は、北斗の腕に爪を立てながら縋りついていた。


 ひどく甘い匂いがする。


 これは、北斗のフェロモンだ。


「く、薬……」


 途切れ途切れの声で、俺は北斗に訴えた。


 俺の様子を見て、察したのだろうか。ベッドのほうにゆっくりと誘導して、座らせてくれた。


「抑制剤、ありますか?」


「う、うん」


 ボディバッグを漁り、念のため持っていた抑制剤を取り出す。服用するのは初めてだ。上手く飲み込めず、咳き込んだ瑞生の背中を北斗がさすってくれる。


「……北斗は、平気なのか?」


 オメガに影響されて、アルファも発情することがある。相性が良いなら、尚更のことだった。


 北斗は、困ったように笑った。


「瑞生さんと会う前は、いつも強力な薬を飲んでいるので」


 薬名を確認したら、しぶしぶといった感じで北斗が白状する。


「それ、常用するものじゃないぞ……」


 かなり強い成分だ。オメガの影響を受けない分、ひどい副作用もある。


「次の日に、ちょっと頭痛がする程度です」


「なんで……?」


 そんなものを飲んでいるんだ。


「北斗さんを怖がらせたくないから」


「怖がらせる?」


 意味が分からず、俺は首をかしげた。


「オメガのひとって、たいてい怖い思いをしてるって書いてあったので……」


 アルファの判定を受けた際に、冊子を手渡されたらしい。そこに「オメガとは」という説明が事細かにされていたようだった。


「そういえば、俺も貰った記憶がある。たしか『オメガのこころとからだ』とかいう冊子……」


 もう手元にはない。どこへ仕舞ったのか、今となっては覚えてもいない。


「それのアルファ版ですね」


 本棚から、薄いA4サイズの冊子を取り出した。北斗はいまだに持っているようだ。几帳面だな、と感心する。


「ありがとう……。でも、北斗が心配だから。あまり強い薬は飲まないで欲しい」


 まだ、北斗に言っていないことがある。


 自分は、完全なオメガではない。


 そのことを瑕疵のように感じている。だから、今まで言わないで来てしまった。


「……俺は、怖い思いをしたことは一度もないんだ」


「え?」


「急に、ヒートになって襲われたりとか、そういう目にあったことはない。それどころか、発情期も来なかった。この年になるまで、ずっと……」


 冷汗が止まらなかった。自分が小刻みに震えていることがわかる。


 誰にも知られたくなかったこと。


「俺は、不完全なオメガだって、医者に言われてたんだ……」


「でも、さっきの症状って……」


 瑞生は、小さくうなずいた。


「北斗と出会って、初めてそうなった」


 良い年をして恥ずかしい。赤面しているだろうなと自分でも思う。


 瑞生の告白を聞いて、北斗は呆然としていた。


 しばらくのあいだ、沈黙が流れた。無言のままの北斗が怖い。逃げ出したい。


 もしかして、言わないほうが良かったのだろうか。もしかしたら、欠陥品だと思われたかも。


 ザッと血の気が引いていくのが分かる。


 瑞生が、ベッドから立ち上がろうとした、その瞬間。


 がばっと北斗に抱き着かれた。


「あ、あの……。北斗?」


 戸惑いながら、そっと北斗の背中に腕を回す。


「発情しなかったんですか……?」


 俺の肩に顔を押し付けているせいで、声がこもっている。


「う、うん」


「一度も?」


「そうだよ」


「僕以外のアルファの匂いって、分からないんですか?」


 北斗が顔を上げる。


 至近距離で見つめられた。ごくりと喉が鳴る。


「そういえば、そうだな……」


 同僚の医師、患者の家族。アルファと接する機会は多い。


 学生時代にも、周囲にアルファはたくさんいた。それでも、彼らの匂いを感じたことはなかった。


 やっぱり、自分は欠陥品なのだと思った。


 それなのに、北斗がしがみついてくる。離してくれない。ぎゅうぎゅうと力をこめられて、ちょっと苦しいほどだった。

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