「俺も、北斗のことが好き……」
気づいたら、ぽろりと言葉が漏れていた。
北斗が、うれしそうに何度もうなずく。
「じゃあ僕たち、好き同士ですね」
そう言って微笑む北斗は、ちょっと幼く見えた。
マンションに着いたとき、ふいに宗一郎の顔が思い浮かんだ。
表札が出ていなかったか、と彼に訊かれたことを思い出した。ちらりと盗み見るように確認したけれど、それらしきものは見当たらなかった。
俺は、軽く頭を振った。
詮索するのは止そう。北斗は北斗だ。俺の目の前にいて、俺のことを好きだと言ってくれた。それで十分だ。
「……ここまで来て、今さらだけど」
「なんですか?」
部屋の鍵を開けながら、北斗が振り返る。
「お邪魔して、大丈夫なのか?」
俺は、遠慮がちに北斗を見た。今日も家族は不在のようだ。
どうやら、父親は会社を経営しているらしい。母親も役員に名を連ねており、二人でパーティーに出席することもあるというのだから、いかにも上流階級だなと思った。
「平気ですよ。妹も、塾で遅くなるようですから」
「……そうか」
北斗と二人きり。
うれしい。怖い。信じたい。嘘でもいい。
いろんな感情が、ぐるぐると頭の中を駆け巡る。
北斗の部屋に案内され、中に入った瞬間、眩暈を覚えた。カッと頬が熱くなった。腰が抜けそうになって、その場にへたり込みそうになった。
ぎりぎりのところで、北斗に支えられた。
「瑞生さん……?」
ガクガクと足が震えている。俺は、北斗の腕に爪を立てながら縋りついていた。
ひどく甘い匂いがする。
これは、北斗のフェロモンだ。
「く、薬……」
途切れ途切れの声で、俺は北斗に訴えた。
俺の様子を見て、察したのだろうか。ベッドのほうにゆっくりと誘導して、座らせてくれた。
「抑制剤、ありますか?」
「う、うん」
ボディバッグを漁り、念のため持っていた抑制剤を取り出す。服用するのは初めてだ。上手く飲み込めず、咳き込んだ瑞生の背中を北斗がさすってくれる。
「……北斗は、平気なのか?」
オメガに影響されて、アルファも発情することがある。相性が良いなら、尚更のことだった。
北斗は、困ったように笑った。
「瑞生さんと会う前は、いつも強力な薬を飲んでいるので」
薬名を確認したら、しぶしぶといった感じで北斗が白状する。
「それ、常用するものじゃないぞ……」
かなり強い成分だ。オメガの影響を受けない分、ひどい副作用もある。
「次の日に、ちょっと頭痛がする程度です」
「なんで……?」
そんなものを飲んでいるんだ。
「北斗さんを怖がらせたくないから」
「怖がらせる?」
意味が分からず、俺は首をかしげた。
「オメガのひとって、たいてい怖い思いをしてるって書いてあったので……」
アルファの判定を受けた際に、冊子を手渡されたらしい。そこに「オメガとは」という説明が事細かにされていたようだった。
「そういえば、俺も貰った記憶がある。たしか『オメガのこころとからだ』とかいう冊子……」
もう手元にはない。どこへ仕舞ったのか、今となっては覚えてもいない。
「それのアルファ版ですね」
本棚から、薄いA4サイズの冊子を取り出した。北斗はいまだに持っているようだ。几帳面だな、と感心する。
「ありがとう……。でも、北斗が心配だから。あまり強い薬は飲まないで欲しい」
まだ、北斗に言っていないことがある。
自分は、完全なオメガではない。
そのことを瑕疵のように感じている。だから、今まで言わないで来てしまった。
「……俺は、怖い思いをしたことは一度もないんだ」
「え?」
「急に、ヒートになって襲われたりとか、そういう目にあったことはない。それどころか、発情期も来なかった。この年になるまで、ずっと……」
冷汗が止まらなかった。自分が小刻みに震えていることがわかる。
誰にも知られたくなかったこと。
「俺は、不完全なオメガだって、医者に言われてたんだ……」
「でも、さっきの症状って……」
瑞生は、小さくうなずいた。
「北斗と出会って、初めてそうなった」
良い年をして恥ずかしい。赤面しているだろうなと自分でも思う。
瑞生の告白を聞いて、北斗は呆然としていた。
しばらくのあいだ、沈黙が流れた。無言のままの北斗が怖い。逃げ出したい。
もしかして、言わないほうが良かったのだろうか。もしかしたら、欠陥品だと思われたかも。
ザッと血の気が引いていくのが分かる。
瑞生が、ベッドから立ち上がろうとした、その瞬間。
がばっと北斗に抱き着かれた。
「あ、あの……。北斗?」
戸惑いながら、そっと北斗の背中に腕を回す。
「発情しなかったんですか……?」
俺の肩に顔を押し付けているせいで、声がこもっている。
「う、うん」
「一度も?」
「そうだよ」
「僕以外のアルファの匂いって、分からないんですか?」
北斗が顔を上げる。
至近距離で見つめられた。ごくりと喉が鳴る。
「そういえば、そうだな……」
同僚の医師、患者の家族。アルファと接する機会は多い。
学生時代にも、周囲にアルファはたくさんいた。それでも、彼らの匂いを感じたことはなかった。
やっぱり、自分は欠陥品なのだと思った。
それなのに、北斗がしがみついてくる。離してくれない。ぎゅうぎゅうと力をこめられて、ちょっと苦しいほどだった。