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その手でどうやってペンを持っているのか

 図書委員のお仕事を果たすために階段を降りていると、丁度図書室の前で立ち止まっているジガバチを発見した。

 彼女は設置された移動式の黒板を熱心に眺めている。

 黒板には『皆さんの今年の目標は!?(文字じゃなくてもOK!!)』と書かれていて、各々好きなことが書けるようであった。



「こんにちは」

「あ、こんにちは」



 すらりとした今にも折れてしまいそうな腰。

 ぴこぴこと可愛らしく動き回る触覚。

 例のごとく美少女らしい逆瀬川さかせがわ美穂みほさんだ。



「面白いのでも書いてあったの?」

「いえ、そういうわけではないんですが……」



 よく見ると彼女はチョークを持っている。

 その手でどうやってペンの類を持っているのだろうか。

 疑問に思って観察してみるのだが、ただ持っているとしか表現できない。

 持てるはずがないのに持っている。



 確かに黒板には『甲子園行きます』『五分切りますBy帰宅部』だのが記述されており、目を引くものは書いていなかった。

 そして逆瀬川さん自身がチョークを握っている。

 つまり彼女は何らかの事物を書こうとしているのだろう。



「目標を書くつもりなの?」

「いえ、私は少しお絵描きを……」

「あぁ」



 言われて気付いたが端っこにイラストが散乱していた。



「得意なの?」

「……そうですね、人並みには」



 こういうときは十中八九滅茶苦茶得意である。俺は詳しいんだ。

「人並み」という言葉を使う場合は人並みを著しく凌駕している、と古事記にも書いてある。



 彼女の黒い指先――と表現していいのかわからないが――にチョークの白い粉が付着しているのをぼやっと眺めていたら、逆瀬川さんはふんすと胸の前で小さなガッツポーズをした。



 しばらく画伯のイラストメイキングを閲覧する。

 乾いたチョークと黒板のぶつかり合う音。

 粉がしなやかな指に纏わりつく。



 おぉ、これは…………。

 やがて完成した絵を見て俺は感嘆の声を漏らした。



 圧倒的存在感の極太麺じみた髪。

 目、鼻、口は線対称の法則を外れ好き勝手に踊る。

 取ってつけたような寸動の胴体はあまりの機能美を見せつけてきた。

 下手すると六本になっていても違和感のない手指。

 先端に向かうにつれて鋭くなっていく足。



 それは同時に全体像を捉えることが不可能な絵だった。

 キュビズムの亜種かな?



「これは……」

「お恥ずかしながら、化野くんです」



 え、これ俺なの。

 複眼を通してるから特徴的な認識方法になっているのか。

 それとも単純に画力が足りないのか。



 微妙な顔をしながら首をひねる。

 逆瀬川さんは言葉通り恥ずかしそうにしていた。

「人並み」という言葉を使って人並み以下なことあるんだ。

 画伯のお絵描きはためになるなぁ。



 彼女はその化け物みたいな何か――決して自分だと認めたくない――の横にふき出しを書き加えると、『化野参上』などと記す。



「……よし」

「『よし』じゃないが」

「え?」



 一昔前の落書きみたいなことをしないでほしい。

 どうにも理解していない様子の逆瀬川さんを無視して、そっと黒板消しを握る。



「あっあっあっ」



 ジガバチは突然オットセイの真似事を始めた。

 しかし、この世界に存在してはいけない化け物にされた身としては、可愛らしいオットセイなど取るに足らない存在である。

 あわあわと脚を振るう逆瀬川さんには申し訳ないが、俺がここでこの呪霊を祓う。



 数十秒もすれば、化け物は黒板に付着した意味をなさない粉となった。

 悲しそうに肩を落としている彼女に振り返って、



「じゃあ仕事しよっか」

「……はい」

「そんなにショック?」

「我が子を殺されたような気持ちです」



 そんなに?

 多分ショックの度合いでいえば、化け物と認識されているかもしれないこちらのほうが大きいと思うんだが。

 まぁ俺は絵を描かないので詳しいことはわからない。

 きっと描く人にしか理解できない〝領域〟の話なのだろう……。



 歩く速度の著しく落ちたジガバチを連れて図書室に入る。

 昼休みだというのに静か。

 やはりお客さんが少ない。



「あ、待ってたよ」

「先生」



 今日もまともに仕事をせず過ごすのだろうかと考えていたら、カウンターのさらに向こう、ガラス張りの書庫でパソコンを弄っていた図書の先生が、白衣を揺らしながら出てきた。

 何故白衣を着ているのかは誰にもわからない。

 別に理科の先生でもないし。本当に謎。



「あまり生徒が来てくれないのは知ってるよね」

「はい」

「僕も心配でさぁ、何か対策を打ちたいわけ」

「はぁ」

「だからポップ作ってくれない? 美麗なイラスト付きの奴。図書室の前に飾れば多少マシになると思うんだ」

「なるほど」



 とりあえず逆瀬川さんに任せてはいけない仕事であるというのだけは完璧に理解した。



「別に凝ったものじゃなくてもいいから」

「でも美麗なイラストのやつなんですよね?」

「うん」



 難しい注文だ。

 図書の先生は「じゃあ任せたよ」と腕を振って出ていく。

 あの人は普段何をしているのだろうか。学校で見たことがないのだが。

 不思議である。



「……逆瀬川さん、お仕事しようか――って」

「私に任せてください。汚名は返上します」



 無理じゃないかなぁ。



 やる気十分であることを見せつけるように、制服の袖をまくる彼女を見ながら、さてどうやったら傷つけずに諦めさせることができるだろうか、とため息をついた。

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