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圧がすごい圧がすごい

 俺を中心とした半径二メートルが氷河期に入った。

 圧倒的寒気の発生源はもちろん雪花。

 ゾンビらしい見た目を活かして夏バテ対策をしてくれているらしい。

 惜しむらくはまだ四月ということか。活躍の機会は遠い。



「誰よあの女」

「聞こえてる」

「じゃあ答えなさい」



 雪花は静かに腕を組む。

 けれども怒りが満ち満ちているので、いつ爆発するかわからない爆弾を相手にしているようだ。

 これで自分に彼女がいて、なおかつ浮気がバレた状況なら文句はないのだが。

 どうして上記のシチュエーションでないにもかかわらず、俺は詰められているのだろう。



「彼女は隣のクラスの逆瀬川さん」

「また引っ掛けたの?」



「また」って何だ「また」って。

 今まで恋人がいたことはない。

 そのため「また」などという上等な形容は不可能である。



 よっぽどそう言ってやろうかと思ったものの、なぜかお怒りらしいゾンビ様に直接伝えるとぱっくりいかれる可能性があるので、少しずつ言葉を探しながら口を開く。



「図書委員の仕事で一緒になっただけ」

「ふぅん」



 彼女は顎に手を添えて天井を睨みつけた。

 きっとこのあとの俺の処置を考えているのだろう。

 もしかすると死刑判決を食らうかもしれない。ただでさえ姉上との関係、またデートらしきもので不興を買ったあとだ。発火剤を追加しようものなら間違いなく爆発。不幸にも享年十五歳。



 ほんのりと脂汗を額から流していると、隣の席で俯いていた菜々花が肩――だと思われる部分――を揺らし始め、



「――ぷっ、ぷぷ」

「………………何よお姉ちゃん」

「いや、雪花も素直になったなぁって」

「はぁっ!?」



 ガタッ。

 椅子を大きく軋ませて雪花が立ち上がる。

 しかしそんな様子には慣れているのか、菜々花は止まらない。



「可愛いね」

「その『好きな子に悪戯しちゃうような子供』を見る目をやめなさい!」

「わかってるじゃん」

「ああああああああああああああっ!!!!」



 髪を振り乱して叫ぶゾンビ。

 このシーンだけを切り取ればパニックホラーものだな。

 丁度自分の席が空いたので着席する。間もなく昼休みが終わるので次の授業の準備でもしようか。



「違うから!」

「何が?」

「そ、その……っ、化野のことなんて……!」

「そういえばいつの間に化野さんのこと名字で呼ぶようになったの?」

「もおおおおおおおおおおっ!!!!!」



 雪花は顔を真赤にしてしゃがみこんでしまった。

 化け物同士の喧嘩なんて平凡な人間が巻き込まれたら死ぬこと間違いなしなので、意識して彼女らの会話から耳を遠ざけている俺には、雪花が何を言ったのかわからないけれども。



 意味ありげに彼女から向けられた視線が、誰もいない黒板を眺めている自分の横顔に刺さる。

 これってそっちを見ないといけない感じ?

 下手すると土の下に行くことになるから嫌なんだけど。ゾンビのせいで土の下に行くなど皮肉なものである。



「化野、あんたからも否定しなさい」

「それは違うよ」

「具体的に説明しないとお姉ちゃんからの追求を逃れられないでしょうが!」



 俺は話を聞いていなから無理だって。

 言ったら冗談抜きに噛みつかれそうだから言わないが。

 ほら、あと少しで時計が鳴るからさ。

 逃げ切れば勝ちだよ。

 知らんけど。



「ふふふふ」「ぐぅ……!」だのラグナロクじみた光景が真横で繰り広げられる。

 教室中から面白がるような視線もセットで。

 早く先生来ないかなぁ。

 高校生になってから授業が早く始まることを願うことが増えたのは誠に遺憾。できることならやり直したいものだ。



 そんな俺の願いが天に通じたか、あるいは普通に時間が経っただけか。

 安っぽい音割れをしたチャイムが響き、怪獣大決戦を終了させた。

 菜々花は未だに肩を震わせており雪花は頬を膨らませている。

 早急に立ち去ってくれ。疾く疾く。



「はいじゃあ授業始めるぞー」



 数学の先生のやる気が感じられない声。

 それが俺の耳に入るころには雪花は教室を出ており、やっと息が一つつけるようになった。



 しかし、このあとは数学が待ち構えている。

 どちらにせよ地獄。

 救いはないのですか?



 ◇



 図書委員の仕事は一週間。その一週間が経過したために逆瀬川さんと会うこともあまりないだろうな、と思っていたのだが。



「あ」

「あ」



 本好きであるものの懐に余裕のない俺は図書館をよく利用している。

 どうやら彼女も同じだったようで、ずいぶんと使い込まれた様子のエコバッグを肩にかけ、ジガバチがそろそろと歩きよってきた。

 もう片方の手には五冊ほど入ったカゴ。しかもいずれもが鈍器になりえそうな、分厚い辞書みたいな本だった。



「奇遇ですね」

「そうだね」

「化野くんも図書館にはよく?」

「うん」



 市内の図書館は一つしかない。

 ゆえに学校の本を大体網羅してしまった本好きの学生は、すべからく図書館に集まることになり。

 暇さえあれば本を読んだり映画を見ている俺はもちろん、文学少女の雰囲気を醸し出す逆瀬川さんも図書館に来ていた。誘蛾灯に惹かれる虫のように。



「巡り合いには何かしら意味があるらしいですし、このあとお茶でもどうですか?」

「うーん」



 せっかくの休日。

 ゆっくりと読書をしようと思っていたところ。

 ジガバチのお誘いに乗ってもいいものか。

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