木目が店内のほとんどを占めている。
ところどころに緑が置いてある喫茶店の中には、非常に緩やかな時が流れていた。
目の前にいるのがジガバチでさえなければ、なおさら雰囲気がよかっただろう。
借りてきた本をエコバックに詰めた逆瀬川さんは、それを自分の座る椅子の隣に置き、薄い湯気を上げるブラックコーヒーを啜った。
「普段は何をしてらっしゃるんですか?」
「読書。あと映画鑑賞」
「へぇ。実は私も読書を嗜むんですよ」
存じております。
そう言おうと思ったが、そういえば彼女が「読書好き」であるのを本人の口から聞いたことはなかったな、と今更の気付き。
「結構分厚いの読むんだね」
「あ、私は速読らしくて」
普通の小説とかだとすぐに読み終わっちゃうんです。
と逆瀬川さんは恥ずかしそうに俯いた。
誇るこそすれ、恥じる必要はないと思うが。
まぁ何を思うかは人それぞれか。彼女の場合は人ですらないし。
「それにしても雰囲気がいいお店だね」
「ですよね。月に何度か通ってるお気に入りなんです」
「うん。本当に」
恋人ができたら一緒に来たいくらいだ。
現状明るい展望は見えていないけれども。
いつかはきっと。
期待し続けていれば。
「……あと、凄いね」
「何がですか?」
「それ」
今まで意識して触れないようにしていたのだが、流石に好奇心というか怖いもの見たさというか、とにかく視線を奪って仕方がない。
ブラックコーヒーの入ったカップの横。
明らかに大きさの比率がおかしいと一目でわかる、真っ白な皿。
その上の圧倒的質量を誇るパンケーキ。あるいはホットケーキ。
未だに俺は両者の違いがわからないということは置いておいて、バターやら蜂蜜やらアイスやら、一日の摂取カロリー量を凌駕していそうなそれ。
申し訳程度に乗せられたセルフィーユが揺れる。
俺の頬に汗も流れるというもの。
逆瀬川さんは爛々と複眼を輝かせた。
「美味しそうですよね」
「…………美味しそう、ではあるのかな」
多分。
食べられる気がしないけど。
見ているだけで胸焼けがしそうなのだ、実際に食べるとなったら吐き気と戦うことになるだろう。
様相があれでも中身は立派な女子ということか。
逆瀬川さんは軽々とフォークを操ってパンケーキ(もしくはホットケーキ)を口に放り込む。
「んん〜!」などと片手を頬に添える彼女の姿を眺めていると、種族の差以上に性別の差を強く感じた。
たとえ自分がジガバチだったとしても食べ切れる気がしない。
間違いなくパンケーキ(もしかするとホットケーキ)が消滅するまでには一時間程度はかかると予想していたのだが、女子の言う別腹とはブラックホールにでも連結されているのか、十五分ほどでなくなる。
正直な話トイレに行っていたら消えていたので、もっと早く消えていたのかもしれないが。
怖い。
一緒に会計を済ませるとまだ春だというのに暑い外へ。
俺は数冊の薄い本しか借りていないけど、逆瀬川さんは探偵もののドラマで凶器になっていてもおかしくない鈍器を十冊借りているので――あの図書館は最大で十冊まで借りられるのだ――、ずいぶんと足取りが不確か。
「持とうか?」
「大丈夫です。自分で借りたので、責任は果たします」
雪花とのお出かけで鍛えた紳士的ムーブ。
しかし「申し訳ないですし」の一言の前にあっけなく敗れた。
目的地をなくした手が寂しく宙を掻く。
まぁ、冷静に考えたらそれほど仲良くない男子が手伝いを申し出てきた場面なわけだしな。
それほど仲良くない男子とお茶するかという疑問はさておいて、下手に下心を刺激すると面白くないはず。
彼女の立場からすれば断ってしかるべきだろう。
空を見れば先程まで落ち着きのなかった夕日が馴染んでいた。
ほどほどの高さに滞在し赤い日差しを周囲に撒き散らす。
おかげで影がずいぶんと伸びてしまい、不思議な物悲しさが胸の中に生まれた。
「本当に大丈夫?」
「本当に大丈夫です」
ちらちらと振り返る。
よたよたとジガバチ。
言い忘れていたが彼女の現在の格好は当然制服ではなく、フリルの類が随所に施されたワンピースだった。
腰のあたりがキュッと締まり動きにくそう。
少なくとも俺が着ようものなら変態の
まぁ本人が言うからには大丈夫か。
ジガバチだから異常に腰は細いし。
きっと世界中の誰よりもウエストのサイズが小さいはずである。
針金といい勝負できるんじゃないだろうか。
「歩道橋だけど、大丈夫?」
「歩道橋ですけど、私は大丈夫です」
「ならいいけど」
たまたま帰宅ルートが被っている彼女の目の前には、段差が約三十ほどありそうな歩道橋がそびえていた。
何も荷物を持っていなくてもキツそうななのに、逆瀬川さんは鈍器を携帯している。化け物とか関係なく心配。
しかし自身で言うからには自信があったようで、時間はかかったものの、確かに着実に階段を制覇。
ついには斜陽が照らす車を見下ろせる歩道橋上まで到達した。
「ね、大丈夫だったでしょう?」
「……うん」
小さく頷いて、足を進める。
――何だか嫌な予感はしていたのだ。
積みあがってきたフラグとか。
図書館を出てから不安定な足元とか。
そのせい、だろうか。
逆瀬川さんは下りの階段で足を滑らせてしまって。
俺の体はそれを視認すると、自然に彼女を抱きとめた。